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作品名:死に逝く人 作者:宮本野熊

第1回   1
 ベンチに捨て置かれていた新聞を手に取った。一面と言っても片隅のほんの僅かなスペースに真珠湾攻撃のことが書かれてあった。十二月八日、今から丁度七十年前のこの日、日本軍が、パールハーバーに攻撃をしかけたという記事が書かれていた。

 一九四一。

 ふと昔、見た映画のタイトルを思い出した。故ジョン・ベルーシが主演であったと思う。詳細までは記憶に薄いが、パールハーバーでのアメリカの様子がコメディタッチで描かれていたことは覚えている。戦時において、人の命は、今と比べ重かったのかそれとも軽かったのだろうか。自分なりに考えてみても“どちらが”という答えは見つけられなかった。戦争中には国家の威信と威光の名の下に多くの命が犠牲になり、今は、どうにも使い道のない命が溢れている。自分も、そのどうにも使い道のない命をもてあましている一人には違いなかった。

 不景気と言われるようになって久しいこの国であるが、世界的に見ればまだまだ幸せな部類に入るらしい。この国で生まれ育った当の我々には、到底実感のできないことであった。

 話し相手がいないと誰しもそうなるのだろうか。自分が目にする光景にもつまらないナレーションが頭の中で浮かんでは消えてゆく。何日か、何ヶ月か、何年かわからない先、知らず知らずのうちに大きな声を上げて自分の中の自分と話をするようになってしまうのだろうか。独り言という自分との会話に傍目を気にもしなくなる日がくるのもそう遠くはないのだろう―。

 宮本は名古屋の中心地である栄を寝城にしている。名前は野熊。四十六歳、無職、バツ一独身、住所不定一ヶ月。

 彼のような境遇の者が、珍しかった時代もあった。それが今では波間に漂うプランクトンが大繁殖し赤潮を作り出し環境問題になるくらいに中年以降の浮遊層がビルの谷間に大発生している。国も地域も企業も家庭もなす術がない。誰もが皆、自分自身が生きることで精一杯なのである。

 何にも、誰にも役立てようのない命―。

 こう考えるとただ侘しさだけが募ってくる。

 今では世間並みに落ちぶれている彼ではあるが、若い時には、将来を嘱望された人物であったと自負している。浮遊仲間との僅かな世間話の時には、こうした言い回しでもしないといたたまれなくもなる。誰もが、あったのかなかったのか確かめようの無い自慢話をいくつも抱えているからだ。嘘でなければいい。ただ、落ちぶれた果てにある今は、過去に少しでも良かった時代のあったことが慰めにも、笑いの種にもなるものだ。


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