「あれ、今なんか変なこと言わなかった?ビックリしてスピーカーからも音が出なくなっちゃったよ……」 とマスターがその場を何とか和ませようと肩を揺するようにして笑いながらアンプを触ったり、コンセントを確認し始めた。
「えっ……。わたしのこと……」
祥子も自分の声ながらこれ程に大きな叫びに似た声を出して人にモノを訊ねたことは無かった。彼女にとっては、それ程に勇気のいる言葉だったに違いない。一方、訊ねられた方の正吉も肘をカウンターに、祥子の方を見たままの姿で、気絶しているように固まったままであった。
「そりゃ、こうなっちゃうよな。女の子にそんなこと聞かれちゃ。この様子じゃ、アイスピックで心臓を突かれたように図星って言っているようなもんだよ」
マスターの大人のフォローが、フォローになったのかどうか。
正吉は、その場に氷のように溶けてしまった。
「本当なの……。やっぱり、そうだと思った。女の子と経験の無い男の子って、奥手なのか、がつがつしてるか、極端だもんね……」
「そうなのか、正?」
一番奥に座っていた、裕也がニヤニヤしながら身を乗り出してきた。その声に、漸く正気を取り戻した正吉はカウンターの上においてあった祥子のタバコを手にすると口にくわえ火を点けた。
「そうなのかって、お前は知ってんじゃん……」 と言いながら、 「タバコって、やっぱりまずいね……」とつけた火を直ぐに消した。
「無理して、タバコなんか吸って、誤魔化さなくてもいいのに。別に恥ずかしいことじゃないし、素敵だと思うな私は……。だって、誰でも良かったっていう訳じゃないわけでしょ。裕也は、誰とでもそういうことできそうだから、なんかちょっと嫌だ」
なつみの何気ない女心の真実を語る言葉は、落ち込みかけていた正吉を確かに救う言葉になった。それでも男と言うのか、雄というのは厄介な思考を持っているもので、こと交尾・繁殖に関わることとなると感情の上昇下降、起伏が必要以上に波を打つ。そんなこと位というほどの些細な言葉でさえ、後々尾を引くこともある。そんな風であるから、立ち直ったと言っても完全に立ち直ったというわけではなく、正吉の心のどこかには拭いきれない蟠りが確かに存在することになる。雄と言うものは、性的にはかなりデリケートな部分がある。人間のオスのこうした志向性は、数ある種の雄の中でもその点では、一、二を争うのではなかろうか。くだらないことかもしれない。いつ、何回、どれくらいの時間、誰と、と数え上げるときりが無くなる。しがないことに、遺伝、生まれつきでどうしようもない己自身のサイズさえもオス(男)としての自信を左右することになるのだから、まったくどうしようもない生き物なのである。
「まったく、正ちゃんはいつも誰かに甘やかされるんだから。だから、いつまで経っても駄目なのよ。佳代のことも考えてあげてよね。女の子の方からああやって言うのって結構勇気がいるもんなんだから。変なこと考えないで、好きなら好きって言えばいいだけなのに、その後どうなるかなんて考えたってわかるわけないじゃん。老舗の十五代目だかなんだか知らないけど、もっと自分の気持ちに正直になったっていいんじゃないの……」
祥子の言葉に、なつみが口を挟もうとした。
「祥子っ、飲みすぎたんじゃないの今日は……」
「そんなんじゃ、ないの……。でも、少しは酔ってるけど。でも、聞いて。今日は言わせて貰うわ」
「なになに」 と裕也もまた、身を乗り出すようにして、祥子の言葉を待っていた。
「……」
ここまで皆が構え出すと却って、その先を話しにくくなってきたのか、祥子は“ふぃ〜”っと一息吐き出すと身体を止まり木の背もたれに凭れかかるように起こし上がった。
「正ちゃんって、見た目カッコいいんだけど。面倒くさい!それに、何かで聞いたことあるんだけど、金魚を好きな人ってスケベな人が多いんだって、金魚が尾鰭をヒラヒラさせてる姿って後ろから見ると女のアソコに似てるんだって。だから、飽きもせずにじ〜っと見ていられるんだって……。気持ち悪いから、余り考えたくはないけど、正ちゃんも毎日、金魚見ながら変なこと想像してるんじゃないの?だから、素直になれないんだよ」
酔って勢いづいてしまった女性の口ほど危険なものはない。まだ、見ぬ女性の体であるから、正吉は祥子の言うような下衆な想像まではしていなかったもののランチュウの泳ぐ姿を見ながら、佳代のことを思っていたことは事実であった。
「そんなこと……、ないよ……」 と力なく反論したところで、半分以上は正吉の心は祥子に、どころか、その場にいる全員に見透かされてしまったようであった。
それでも、 ―女性の身体って、あんな風になっているんだ…… と毎日のように世話をしながら見ているランチュウを無意識に、必死に思い出そうとしている正吉がいた。
それに、裕也も、なつみも、マスターもそれぞれに自分の知る限りのランチュウの後姿に想像を巡らせてもいた。
なつみにいたっては、自分の股間に別の生き物がいるようで、なんだか腰の辺りがむず痒く感じてきていた。一瞬、祥子の作り出したバーチャルな世界に店の中の空気は流れを再び止めてしまったようであった。その空気に時の流れを呼び起こしたのはそのなつみであった。
「やだ、祥子ったら変なこと言って、皆んな、なんか変な想像しちゃってるじゃない……」
そういう祥子も、自分で言ったことに、なつみと同じように腰の辺りに違和感を覚えていた。
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