いつから鱗堂家が、こんな家法に縛られるようになったのか、定かではないが、初代二代三代がランチュウの繁殖を通じて話し合い、体系づけたと言い伝えでは残っていた。ランチュウから身を起こした家らしく家訓のすべてもランチュウを基に記されている。
鱗堂家・家訓
『ランチュウの小さな命に感謝を忘れるべからず』の前書きから始まる家訓は五つある。 一、人はランチュウなり、ランチュウは人なり 一、系統は守れ、但し血は濃くするな 一、遺伝を侮るな、美は必ず三代まで遡って見よ 一、選別を怠るな、性格も体形と同じように遺伝する 一、ランチュウの進化・変化は、人の進化・変化を教えるものなり たった五項の家訓である。
しかし、これまでには几帳面で暇なご先祖様が何人もいて、十四代目まで来ると一つ一つの家訓に添えられた附則、解釈文が膨大になっていた。当に、仏陀の言葉を弟子が解釈し記した膨大な量の仏典に匹敵しようかと思われる量である。家長の心得、妻の心得、親の心得、子の心得、家業の心得、使用人の心得、お上と付き合う心得、知人と付き合う心得、金と付き合う心得、命と付き合う心得……。年齢、立場が、変わるに従って、文献が収められている十坪ほどの書庫に篭り、音読をさせられるのである。それは何も、この家に生まれたものだけに課されたものではない。鱗堂で働こうとする全ての者が、そうしなければならなかった。鱗堂では、奉公する者も代々続いている由縁もここにある。
どの解釈文献の最後にも『鱗堂家の歩みは、ランチュウと共にあり。この教えを努々忘れることなく人間進化の魁たらんことが鱗堂に天が与えし使命なり』と締めくくられている。
ご先祖様の悪戯も度を超すと少々迷惑にもなってくる。十四代までの間、書き継がれ、継ぎ足され、その内戒律なる鱗堂家法とも呼ばれる治外法権の法律までもが現れる。罰則規定は厳しいとは言えないまでもすべてランチュウに準えてある。先の衣服のこともその一つであった。
正吉は、こうした伝統と仕来たりに守られてきた鱗堂の家督をいずれは継ぐことにもなる。
今、正吉は、まだ父に話していない悩みを抱えていた。年頃には付き物の恋の悩みであった。恋愛については特に仕来たりがどうということはなかったが、常日頃の習慣から、父に相談しなければと思いながらもこれまで言い出せずにいた。
彼には、心密かに思う木村佳代という同級生がいた。交際をしているというわけではないが、大学時代、仲間同士で遊びに行ったりもした。彼にとって、一番気になる異性が佳代であった。相手も、正吉に好意を持ってくれているらしい。しかし、正吉にはこの家の仕来たりのことを考えると、中々、「付き合って……」と言い出すことができなかった。そのくせ、来る日も来る日も、彼女の姿が頭に浮かんでくるのである。大学を卒業した今では学校で会うということもなくなり、会えなくなればなるほどまた愛しさが募ってくる。家業の金魚屋での修行が本格的になった今では、美しく滑らかな金魚の泳ぎと彼女の歩く姿が重なる始末である。どうにも仕事に身が入らない。
そんなある日、父の為吉が正吉にランチュウの交配を教えていた。
「いい金魚を創り育てるには、親魚の姿・性格を見極めることが大切だ。特にランチュウはな、肉瘤、尾付け、鰭、柄をどう見極めるかにかかっている。親魚の容姿は遺伝するものだからな。それに、泳ぎ方も、性格も一緒に飼っているわけでもないのに同じように遺伝するから不思議だ。人もしかり、家訓にある“人はランチュウなり、ランチュウは人なり”とはよく言ったものだ……」
正吉は、これまでに何度も聞かされてきた父の言葉には上の空であった。
|
|