20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:鱗堂家の生き方 作者:宮本野熊

第22回   22
 為吉の表情を見ると、二人は顔を合わせ、微笑んだ。何か、ことがあると、為吉がこうしてランチュウと語り合うようにするのはいつものことである。それを、二人は知っていたから、暫く何も話さずに、ただ、微笑んでいたのである。

「あのね、……」

漸く為吉が口を開いた。

「命って、なんだと思う有紀ちゃん」

「命?」

「そう命」

「難しい質問ねそれは……」

「そうだね、……。じゃ、小さな子供に命を教えるとしたらどう言うとわかりやすいかな」

「そうね〜、とっても大切なもの……、かな」

「そう俺もそれが一番わかりやすいと思う……」

 それから為吉は、鱗堂に伝えられている選別について語り出した。

 鱗堂は、金魚屋である。金魚屋と言えば命を生み出す仕事のようであるが、実のところは、世に出す金魚がいる反面、選別をして流してしまう数の方が多いことはあまり知られてはいない。特に、観賞用、品評会用のランチュウともなると孵化してから成長するまでの間に何度も選別にかけることになる。流すとは言っても、長年観賞魚としての飼育、繁殖を繰り返しているためそれは処分するということに等しい意味となる。

 特に鱗堂ではお城への献上魚を扱うようになってからは選別の目は厳しくなり、年に数万匹生まれるランチュウの中からほんの一、二匹しか残すことができなくなることもあった。選別は、孵化したばかりの針子と呼ばれる稚魚の時に始まる。針の先程の細長く黒い稚魚を尾の開き具合、背の曲がりを規準に落としてゆくのである。それから、成長するに従って選考基準は厳しくなってゆく、折角だから庶民の観賞用にと申し出たこともあったが、お上のものだからそれはあいならんと聞き入れられず。毎年多くの、命を流すことになった。昔の人のことだから、そのことに罪の意識を感じ、供養の意味も込めて人の選別が鱗堂では行われるようになったと伝えられたのが、ことの始まりであった。その内に何代かして、ランチュウの姿態だけではなく、性質も遺伝するようだと気付いたご先祖様がいた。人に聡明な人も愚劣な人のいるように、ランチュウにもそうした資質のあることを悟ったのだった。そして、それは遺伝することも発見した。すると今度は性質(たち)だけではなく、性格も遺伝するものだと言い出したご先祖様がいた。確かに、親魚の姿形により、色やら、形やら、柄が遺伝することは知られていた。それが、性質や性格にまでいたることは余り知られてはいない。それに、長年、何代も飼われ続けていると人とコミュニケーションの出来るほどに知能の発達したランチュウまででてきたから。これは、人もランチュウも変わりないということになって、人に対する選別もかなり厳しくなった時期があったらしい。

 もとは、供養の儀式的に始まった鱗堂の選別が、年月を経ることによって人を創る選別へと徐々に変わっていったということである。

「でも、なんの目的で?ランチュウなら、色や形のいいものをということは判るけど、人は?」

「人も同じさ……」

 鱗堂の文献によると、人もランチュウも生き物として同じ線上で考えられている。身体が小さいより、大きい方がいい。禿げているより、豊毛な方がいい。目は小さいより、大きい方がいい。肌理は細かい方がいい。頭は悪いより賢い方がいい。性格は怠惰より、実直な方がいい。攻撃的より、温厚な方がいい。

「いいものをどんどん取り込んでゆけば、隔世的にその成果は現れる。人は違うというのは人間の驕りのようなものだ。それを、鱗堂はランチュウから学んで、実践し続けてきたというだけのことさ。
だから、ウチはどちらかと言うと美形だろ……。
昔は、それでよかったのかもしれない。親が決めた許婚っていうのが普通で、恋愛なんていうものは夢物語だった時代だから。でも、今はそうじゃない。だから、鱗堂のこうしたこともいつかはなくなってしまうんだなと思うよ。好きも自由、嫌いも自由な時代になったんだから。
でも、不思議に思うことがあるんだよね。
小さい頃のことだったけど、お前は、おじいさんにそっくりって言われると意味も無く嬉しく思ってた。随分と昔の話しだけどさ……」

「ふ〜ん」

 有紀と雅は為吉の話しに聞き入りながら、顔を見合わせていた。

「また、話しがずれちゃったのかな」
と不安げに為吉は雅の顔を見た。

「そうね、でも、なんだか考えさせられる話よね。恋愛とか結婚って好きとか嫌いだけで済まされる話じゃないってことでしょ。今まで、黙ってたことだけど、この人と一緒になるんだって思ってたとき、実は、お義父さんの奥さんや彼女さんたちと温泉に行って身体を調べられたことがあるの、一緒にお風呂に入って身体を洗って貰ったりしただけだけど。昔はもっと酷かったよって、お義母さんに後で教えられたけど。それでも、変な人たちって思ったわ。髪を触られ、肌を触られ、乳房の形や、色や、それに小股も広げさせられて……」

「うぁ、そんなことがあったんだ……」

「そうよ、あなたのこと本当に好きだったから我慢できたけど。この家の人たちはちょっとおかしいんじゃないかと思ったわよ」

 鱗堂のお嫁さんの選別は、男には伝えられてはいなかった。為吉が、その内容を知らなかったのは当然のことであった。

「じゃぁ、さ。正ちゃんのお嫁さんになる人もそんな風になるの?」

「それは、もうないんじゃないかしら、結局、そうするのは私や、鱗堂のお姉さんだし、もう、そんなことはいいんじゃないかって話しているの。ただ、……」

「ただ、何?」

「ただ、これまで代々守られてきたランチュウのことだけは話をして、自分というものを捨てて、一生正ちゃんと一緒にランチュウを育てて行ける気持ちがあるのかっていうことだけは、確かめなくちゃって。
私には私の生き方があるって言われちゃ、叶わないもの。
本当にこの人をって思えるのなら、私のことなんて捨ててでもって言う位の覚悟がなくちゃ。
この人ととも、たまに話をするのよ。
結婚とか、一緒に暮らすって言うことの一番大切なことはって……」

 この日は、姉の雅もいつになく饒舌になっていた。

「この頃は、私は私というけれど、私なんていうのは幻と同じなのよ。あなたが、いなければ私なんていうものは存在しない。誰もいなければ、私なんて言う者は何の意味もないものなの。それが、最近では、夫と一緒のお墓に入りたくないとか、同じ仏壇や神棚に手を合わせないとか、自由がありすぎて相手のことを心から好きになるという覚悟ができていないのよ。それでも、恋愛でしょ。とことん、つくしあってそれでも、どうしようもなくて別れなければならないこともあるもの。
でもね、人は自由になりすぎていると思うの今は……。
同じご飯を食べて、同じ布団で寝ることは出来ても、同じ神様を信じることが出来ない、一緒に仕事をすることが出来ないなんておかしいと思わない?
私とこの人は、法律の上では結婚にはなっていないけど、鱗堂のお姉さんと同じ位、この人とは結ばれていると思っているわ。だから、同じ布団で寝るのも、仏壇に手を合わせるのも一緒。これまでは、正ちゃんのこともあって、あまり鱗堂には顔を出せなかったけどお姉さんと話をして仕事も手伝おうと思ってる。お義母さんも早くいらっしゃいって言ってくれてるし。身体を契るだけなら人じゃなくてもランチュウにだってできることよ、私たちはその上を行かなくちゃ、折角人として生まれて来たんだから。
よくこの人は酔うと言うの。
世の中には人の顔をした、犬がいる、猫がいる、虫がいるって。
私も、夜の仕事をしてると本当にそうだと思うことがよくあるわ。あなただって、そう思うでしょ……」

 実際に、そうに違いないと有紀は思っていた。盛りのついた猫のように男を誘う女がいると思えば、犬のように節操無く腰を振る男もいる。虫のように纏わりついている男女もいる。

 有紀は以前、為吉に聞いたことがある。

「いいランチュウを生むにはどうしたらいいの……」
その時、為吉は、
「それ程難しいことじゃない。本当にいいランチュウを創ろうと思ったら、ランチュウの声を聞いて、愛し合っているかどうかを確かめればいいだけさ。深い愛情の末に生まれたランチュウには形や色だけではなく、品性が生まれながらに備わっている。人間も同じだ。お互いを思う気持ちがあれば、それは何も言わなくとも子供に伝わっているし、子供のDNAに刻み込まれているもんだ。それが、性根というものかもしれん。
この白黒を見てご覧、いつも寄り添って泳いでいるだろ。魚に、愛情なんてあるものかって、同業の者には言うのもいるが、間違いなくある。
自然の生存競争から、何百年も遠ざかって交配を重ねてきたランチュウだ。人間に似た感情が備わっていたっておかしくは無い。それ程、複雑な思考は無いにしても、この人は好きだ、この人とは合わないって思っていたって不思議じゃないさ。
いいランチュウは、ランチュウのそんな声を聞いてやって、添い遂げたいと思う二匹を一緒にしてやることで生まれるものさ……」

「それって、相性ってこと?」

「それもあるが、愛性って言った方がしっくりくるな。環境や、性格によって、愛し方も違えば、愛され方も違うだろ。それの合う相手とめぐり合うことが、人にとってもランチュウにとっても一番幸せなことなのさ。だから、愛の性(しょう)の合う番いを見つけることができるかどうかが、いいランチュウを創る上で一番大切になるんだ。
人もランチュウも犬も、猫も根本は同じ、異性を見れば発情するし交尾もする。節操無く種を撒き散らしていては、いい出会いに巡り合うことはできない。いい出会いに巡り合えなければいい人もランチュウもできないって、家の教えにはある。
と言っても、家のご先祖様たちには、何人も奥さんみたいな人がいるんだから、身勝手なのかもな……」


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 3839