あの日以来、蘭ちうには父と何度か出掛けているが、交配の時期が迫っていることもありここ何日かは顔を出してはいなかった。
冬眠で池の底でじっと動かないランチュウを見ながらの毎日に退屈もしていた正吉は気晴らしに久しぶりに飲みに出掛けることにした。と言っても一人で飲みに出るほど夜の街に慣れてはいないこともあり、親友の裕也を誘ってのことである。
裕也はなつみと一緒にいたらしく彼女も一緒に来ることになった。なつみが佳代を誘ってみると連絡をしたが佳代は母の手伝いで来られないということであった。正吉は残念な反面心のどこかでほっと感じていた。佳代のことを好きだという感情を持っていることは間違いのない。彼にはその先その気持ちをどのように表現してよいものかがわからなかった。電話で佳代とあれこれ話す時間は楽しく、その度に会いたいと思う。しかし、いざ食事なり、遊びに誘うという段になると言葉に発することができなかった。気持ちを募らせながらも、結局約束はしたもののあれ以来会うこともなく彼女の声を頼りに姿を夢見る日々が過ぎていた。
裕也となつみとの待ち合わせ場所は、小川町のイタリアンの店にした。佳代を誘って行くつもりで、おしゃれな食事ができる店をと蘭ちうの有紀さんに紹介してもらった店である。佳代との約束はしていないが、まだ、一度も行ったことのないその店の、下見も兼ねてと思いその場所を選ぶことにした。
約束は早めの時間にした。初めての店と言うこともあり、混み具合がわからなかったこともあったからである。
六時半に店の前で、三人は合流した。
その店は平屋の一軒家を改装しているところでK屋と書かれた看板が小さくライトアップされていた。大通りから一本入っていることもあり、隣の民家との区別はその看板があるくらいで、見た目は特に店という構えもしていなかった。
「そこは、殆どが常連で一見のお客は余りいないけど、美味しいから行ってみて」 と言った有紀さんの言葉どおり静かで落ち着いた雰囲気の店であった。
「いらっしゃいませ。どなたかのご紹介ですか?ウチは初めてのお客さんは少ないですから……」 とオーナーシェフは、温和な笑顔で三人を迎えた。
正吉が、蘭ちうの名前を告げると
「あぁ、有紀さんですね。そうですか……。綺麗な方ですよね、前はよく見えていたんですが、最近あまりお見えでなかったです。元気にしておられますか」
「えぇ」
「彼女を見ているとなんだか幸せな気持ちになれますものね。そうですか」
その後、シェフとは有紀さんの話しから打ち解けることができ、三人で料理のことやワインの話を聞きながら食事を楽しむことができた。そろそろ帰ろうかと言う時に正吉の携帯がメールの着信を知らせた。
「誰?佳代から」 なつみがからかい半分に問いかけた。
メールを確認すると有紀さんからであった。
「無返はよくないぞ。二回ちびったこと公表するぞ。さっき、K屋のオヤジからお礼メールがあったから友達連れて店に着てね。でないと……」
メールを確認すると正吉は、
「違う、有紀さん。この店紹介してくれた人」 と慌てて返信をし始めた。
「オーナー、有紀さんにメールした?」
返信しながら、厨房の中でコーヒーを飲みながらニコニコしているオーナーに訊ねると、
「えぇ、お客さんを紹介してもらったお礼を……」 とオーナーは歯切れ悪く答えた。
店を出ると二人に一件付き合って欲しいと正吉は言った。
「いいよ、さっきの話しの綺麗な人のいる店でしょ」 となつみは嬉しそうに答えた。
裕也も満更ではない様子で素直に同意してくれた。
蘭ちうに着くと結構お客さんが入っていた。席もカウンターの二席しか空いておらずまた後から来るというと有紀さんが例の笑顔で、 「恋人どうしはそこのカウンターに座って、あなたはカウンターの中に入ってお手伝い。嫌なら……」 と言った。
正吉は、オドケて
「了解、了解」 と承諾し、二人にチビッタことを話されても困るので結局そこで飲むことになった。
一時間程して、店の他の客もいなくなったが、正吉はカウンターの中で有紀さんと並んで自然と店の従業員のようにしてそのまま飲んでいた。
「正ちゃん似あうね」
「ホント、ホント。ここの従業員みたい」 となつみも裕也も笑いながら話していた。
「ウチもそれ程儲かるような店でもないから、誰か雇いたいけど中々そうもいかないでしょ。たまに、正ちゃんがこうして来てくれるだけでも気が楽だし。助かるのよ」
「こんな綺麗な人と働けるんなら、俺ならいつでもOKだけどな」
「裕は、いっつも調子いいんだから……。正ちゃんなら、安心だけど。裕だったら、逆に落ち着かないわよ。ちゃらちゃらしてて。ですよね……」
「ハハハ、そんなこと無いけど。正ちゃんだったら、お父さんも良く来るし。小さい頃から知っているし、安心でしょ。でも、これから忙しくなるからそうもいかないよね」
有紀さんは、そう言ってからしまったという表情で少し首を傾げて見せた。 「へぇ〜、そうなんだ。小さい頃から……」
というなつみの言葉に、有紀さんは、
「そうそう、忙しくってランチュウに餌やるの忘れてた」 と厨房の方へと行ってしまった。
「お前、昔から知ってたのか」
と裕也が聞いてきたが、正吉には覚えがなかった。彼女に逢ったのは、ほんの数週間前のことである。
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