鱗堂の仕来たりには金魚屋だけにいささか変わったものもあったが、それ程困難を伴うものではない。家長の言葉は何事にも優先するというどこの旧家にもありそうなものから、金魚の前で魚を食べるなとか、金魚より華やかな着物を着るなというものや、金魚に生かされていることを忘れないようと仏壇には先祖の慰霊と共に金魚慰霊碑があり毎日欠かさず祭祀の礼をつくすことといったものなどがそれである。こうしたことに、正吉が悩んでいるというわけではない。問題は、数ある仕来たりを破った時の仕置きもまた仕来たりになっていたことにある。
『家督を継ごうとする者、いかなる理由があろうとも仕来たりを侵すものはその罰として以降七日間、らんちうの気持ちを知るべく衣服の着用を禁ずるものなり』
鱗堂家に伝わる仕置きの条文である。
仕来たりを守るというプレッシャーよりも、仕置きの期間は、誰が居ようと誰が来ようと外出から帰ったら衣服を一切着ることが出来なくなるというこちらの方が彼には悩みの種となっていた。
―どうなのこれは?
これまで何度も何度も繰り返し思って来たことには違いなかったが、このことは誰にも相談できずにいた。それは、家の中の出来事はどんな些細な事であっても“決して外には漏らさない”ということもまた仕来たりとされていたからである。幼い頃から、家訓や仕来たりを洗脳のようにして厳しく躾けられていた彼には、抵抗するという感覚は欠落していた。ただ、年頃になってくるとこの仕置きの仕来たりは彼の悩みの種にはなっていた。
よその旧家では、折檻として、暗い土蔵に閉じ込められたり、庭の木に吊るし上げられたり、縁側の柱に括り付けられたりといった体罰が行われることもあるのだろう。それも幼いうちだけである。しかし、鱗堂家では、この仕置きは家督を継ぐまで続けられるのである。衣服を着ることができない、たったそれだけのことではあるのだが……。そうは言っても、これが結構精神的にきつい。随分昔は、外出の必要な時も衣服は与えられなかったこともあったそうだ。裸で出歩くその姿に『鱗堂のぼんが、なにかしでかした』と近所のものは遠巻きにみて微笑んでいた。寺子屋へ通うのも素裸、遊びに出るのも素裸。今では法律に触れるということで、外出が必要な時には、仕舞われた服を出してもらい、着ることが許される。ただ、帰宅時間は厳しく管理され、時間を破ると服を着られなくなる日数が延びることになる。幼い時はまだよかった、しかし、成長するにつれ、例え家の中であるせよこれは結構こたえる。そして、この仕置きは、家督を継ぐまで続けられるのである。鱗堂には、そうして守られてきた歴史があった。
鱗堂の家は農家造りの間口の大きな屋敷である。玄関、土間の横にはいつでも籠が一つ置かれてある。着衣を入れるための籠である。お仕置きの期間、外から帰ると玄関で裸になり家に入る。用事があってどうしても外出しなければならない時までそのままで過ごさなければならないのである。言い伝えによると「金魚はおべべを着ていない」というのが理由であった。金魚に食わせてもらっていることを忘れないようにと、ご先祖様が作ったルールであると父から説明された。もちろん正吉も反抗期と呼ばれる時期、そろそろ身体も大人になりかけていた頃、抵抗したこともあったが、家人によってたかって無理やり脱がされる羽目になり、泣いても叫んでも怒っても力ずくで衣服を剥ぎ取られるためいつからか諦めるようになった。
その罰を受けることになる時には、洋服ダンスの中は空っぽにされてしまう。いつか服を隠し持って窓から逃げようとしたことがあった、家出を試みたこともあったが、幼い頃から責任を与えられ育てていたランチュウがいるため、例え出ても気になって直ぐに戻って来ていた。何があっても、誰もランチュウの世話を彼の替わりにすることはなかったからだった。家出から戻った時、父に、彼の持つ全部の服・下着までが庭で焼かれ一週間外にも出られず学校を休んだ。
すべては、ランチュウの気持ちを知るためにという先祖代々受け継がれてきた鱗堂の掟として行われることである。
そんな馬鹿なことがと思われるかもしれないが、仕来たりという名の洗脳は、幼く物心ついたときから繰り返し繰り返し、頭と身体に叩き込まれるからこそ四百年続く家の仕来たりとしての価値がある。旧家には、世間から隔絶され独立した精神世界が歴史に刻まれているものだ。
『何人も家内のことを口外するべからず』という仕来たりのこともあり、相談はもっぱら父にすることになる。父、十四代目為吉も若い頃にはこんな環境に悩んだことがあったという。ただ、悩みと言ってもどんな悩みも一過性のことで時が経てば『なんて小さなことに悩んでいたのか……』というところにいつも行き着くものだと聞かされた。ただ、『悩むことは非常に大切だ。大いに悩め』と言って締め括るばかりであった。
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