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作品名:鱗堂家の生き方 作者:宮本野熊

第19回   19
 今年の冬は、暖冬だと言われていたのにも関わらず。十二月も二十日を過ぎた頃から、例年にない大雪が降った。ランチュウの舟や池には毎年雪よけの被いをしているが、朝になるとその被いも雪の重みで役に立たない日が続いていた。毎日のように、雪かき雪下ろしをしなければならないほどであった。正吉は、自分のあの金魚部屋にだけ集中していればよいと言われたが、そうも行かず手伝っていた。その作業が終わると今度は、あの部屋に籠もって冬眠中の金魚の様子を半日じっと眺めるのである。たたき池は、青水になっているため底の方にじっとしているランチュウたちの様子はぼんやりとしか見えないが、時折身震いでもするかのように動くランチュウの姿を眺めて、交配が終わり、産卵が済み、孵化してからどのような育て方をしたらよいのかを考えていた。そんな時、佳代のことを思い出すこともあるが、最近では、青水の中のランチュウと同じようにぼんやりとしかその姿を感じることはできなくなっていた。それでも毎日のように電話では話をしているため、彼女に対する思いは募っていることには違いない。

 ランチュウは交配の前までは、雄雌別々の池で飼われている。それぞれを見比べながら、ランチュウもどの相手かに思いを馳せることはあるのだろうかと自身と置き換えるように正吉は考えていた。例え思いを持つ相手が居たにしても、年に数ヶ月しか、一緒に暮らすことを許されないランチュウは、出会った時、再開した時にオスは激しく、時に優しく愛撫をするようにメスを追う行動を見せる。そして、暫くするとメスはオスの追い行動に答えるように産卵藻へと誘導され、産卵と受精が行われる。今年の春先の別の池で飼育されていたランチュウ達の行動を思い出しながら、正吉は男女の営みについて考えてもいた。

 時期がくると、胸鰭の縁に追い斑と呼ばれるオスだけにしかあらわれない斑点がハッキリとしてくる。それは、オスに与えられた勲章のようでもある。数多くのランチュウを見ているとどれだけ一生懸命に追って見ても、メスに受け入れてもらい産卵させることのできないオスもいる。果たして、自分は佳代に本当に受け入れてもらえるのだろうかと考えていた。正吉の頭の中では、ランチュウ=人という思考が出来上がっているだけに不安でならなかった。人にとって付き合うということがランチュウの交配だとすれば、その先には結婚、子作りということが見えてくる。しかし、現実には、男と女が付き合うという意味は必ずしもそれだけではないようにも思われてくる。

―付き合うということは、どういう意味なんだろう

 それまで女性と交際経験のなかった正吉は、ただ漠然と考えるしかなかった。

―父と母は結婚をしている。しかし、父には雅さんと言う女性がいる。それも、身内の誰にも認められた女性である。正吉にその存在を知らせてからは、彼女も鱗堂にたまに出入りするようになっていた。二人が、付き合っているのだとすれば、母の存在はどのようなものになるのだろう……。

―祖父にも、祖祖父にも何人もそうした女性がいたらしい。それでも、なんの揉め事もなく鱗堂は続いている。

 世間に常識というものがあるとすれば、鱗堂家はいささかそのレールからは外れているというしかないだろう。

 いつか、祥子に言われた言葉を思い出した。

「正ちゃんて、面倒くさい……」

 考える前に行動しろとは、学生時代に講演会でよく聞いた言葉であるが、こと男女の仲ということになると正吉にはそれができなかった。

 人に関わることとなるとどうしても躊躇をしてしまう。特に何にということもないのであるが、恐れる気持ちを払拭することができなくなる。それは、命そのもの、命の誕生から営みというものをランチュウを通して幼い頃から見続けてきたからかもしれない。

 人を好きになることは簡単にできる。それは、友情と呼ばれる同姓に対してのこともあれば、異性に対しての恋愛にしても同じであった。実際、これまで人を好きになるという感情は何度も感じてきた。異性も同性にも友人はいる。

―面倒くさい……。

 実際、そうかもしれないと正吉は思っていた。昔の歌にもあるように“好き”なら好きと言えばいいことなのかもしれない。その先を求めるから、その先のことを気にするから中々一歩を踏み出すことができなかった。簡単に、と言っても人と自分の感情、それに関わる現実をそれほど簡単に理解することは難しいことではあった。

―感じたままに選べばいい。

 という父が、来年の交配に向けて、池から一対のランチュウを選ぶ時に言った言葉を思い出した。

 感じたままに……。

 恐らくこの二匹は、好むと好まざるとに関わらず交配を行うことになる。恋愛でもなければ、見合いでもない、敢えて例えるなら正吉のインスピレーションによる政略婚によってである。これまで幾度となくランチュウの交配に携わってきた正吉であるが、自分が人を恋しく思うまで、鱗堂の儀式に挑むまでは、交配についてこれほど深く考えたことはなかった。ランチュウの交配は、いい親魚を選べば後は魚の感情など考える必要もなかった筈であった。しかし、思い返してみるとランチュウは繁殖行動が済んだ後も同じ池に入れておけば寄り添うようにして泳ぐ姿をしばしば見ることが出来る。ランチュウにも相手を想うことのできる思考があるのだと感じたこともあった。彼らには相手を選ぶ自由を与えられてはいない。雄は、本能のままに雌を追い愛撫をするように寄り添い泳ぎ、時には人のするように雌の生殖器を刺激しながら、嫌がられても逃げられても雌に受け入れられるその時が来るまでひたすらに追い続ける。体力が続く限り、何時間も何日も追い続けることもある。そして、漸く雌が産卵巣に落ち着くと身体を小刻みに震わせ雌の産卵を待って射精にいたる。その時の様子は、命を分かつ儀式のようでもあり、声のない金魚ではあるが水面を震わせる程の叫びをあげるように口を大きく開け苦しみにも快楽にも安堵とも取ることの出来る表情をし交尾を終えることとなる。一度契りを結んだ後は、こちらの都合で離さない限り常に寄り添うようにして泳ぐ姿も見ることが出来る。行為の後、ランチュウは愛を確かめるように、相手を慈しむかのように寄り添いながら泳いでいる。

 正吉は、『ランチュウは人なり、人はランチュウなり』という家訓を思い返していた。と同時に、ランチュウの射精を果たした後の池の匂いも……。

 射精を終えた後の池の匂いには、彼の自慰を果たした後の匂いと同じものを感じた。人もランチュウも同じ匂いがするものだとその時は不思議に感じたものだった。形、殻こそ違えども命の根本では、ご先祖さまからの伝え通り繋がっているものなのかと感じたことを思い出していた。

 父や、祖父から聞いたランチュウや犬や猫や虫のような人がいると言った言葉にも真実味を感じたことを思い返していた。

 その時である。携帯からメールを知らせる着信音が鳴った。

「十五代目予定者殿、店も暇だし、たまには顔を出しなさい」

 有紀さんからのメールであった。


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