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作品名:Some kind of Love 作者:宮本野熊

第6回   6
 舞台は長閑な家庭の和風のダイニングであった。四人の男女が談笑している。大きな一本木で作られた重厚なテーブルを囲み食事をしている。笑いの絶えない、楽しそうな食事の風景。そんな家庭の様子が窺えるようであった。

 パンを片手に編里が言った。

編里:僕らが出会ってからもう、七年。来月には僕ももう三十五歳。世間から見てもやっぱり三十五歳に見えるのかな。自分ではまったくわからない、子どもの頃から何にも変わっていないように思えるのに。
(編里の言葉に頷きながらも、冗談っぽく錘帝が言う)
錘帝:編里、君は充分三十五歳だよ、誰が見てもそれ以下には、見えない。でも、そうだよね。僕だって、歳を取ったようには、感じない、ただ、肉体の衰えを感じるだけでね。もう、犬と一緒にかけっこをするだけの体力も残っていないし。

 錘帝はそう言うとお酒の入った湯のみを片手にぐっと一息で飲み干した。

 瞑有が、錘帝の飲み方を見て言った。

瞑有:あなたの、そのお酒の飲み方は、昔とちっとも変わらないのに、本当に体のほうは、全然ダメね。夜、私が寂しい思いをしてることもちっともわからないしね。(舌を出して、磨里にウィンク)この前なんて、これからというときに、ムードを出して目を閉じているのかなと思ったら、急に鼾をかき出すし。最低!
磨里:そうなの!?(おどけた表情で)編里は、そういう意味では全然歳とっていないわね。
編里:二人とも、馬鹿じゃないの。なんでそんなことみんなの前で話すの?(冗談っぽく、でも、喉の奥から大きな声で)
磨里:だって本当のことだからいいじゃない?(編里の肩を叩きながら、お酒を口に含む)
瞑有:そうそう全部本当のことだしね。でも、そんな錘帝がとっても大好きよ。(というと湯呑みを掲げ)今日も、楽しいわね!みんなで乾杯!

 四人は湯呑みを手に取ると、乾杯!とそれぞれのコップを飲み干した。

 編里がまた、空の湯呑みにお酒を注ぎながら

編里:でも、こんな楽しいときがずっと続いたらいいのにね。これからもずっと。でもいつか、死んじゃうだろ。来世でまた、こうして四人出遭って、あの時はこんなことをしてたって話ができないものなのかな。例えば、錘帝が、最中に寝ちゃってたとか、また、そんな話をできたら面白いよね。命に永遠はないかもしれないけど、もし魂が命の上にあるのなら、そんな風に、なることってなのいかな。どうしたら、そうなれるのかな?(酔いも手伝って、しかし、大真面目に)
 
 少しの間の沈黙、四人はコップに視線を落としながら、それぞれ思いを巡らしている。編里が話を切り出す。

編里:もし、前世の記憶があるとしたら、僕らにも、前世があり、そして、後世もあるって言うことだよね。これまでの前世はどんなものなのかはわからないけど。これからのことならなんとかならないかな。例えば、後世に今の記憶に残るものを、これから死ぬまでずっと皆で思い続けるとか―。みんな同じことを死ぬまで、考え続ければ、もしかしたら、きっとこの時の記憶が蘇ったりしないかな。
錘帝:いつも何か楽しいことないかなって、話してたけど。それは、面白いかもしれない!何か、生き甲斐みたいなものになるかもしれないし。
瞑有:そうね、いつもくだらないことばかり言ってる編里にしては、結構いけてるかもね。
(磨里が、冷たく装いながら、でも暖かく言葉をかける。)

磨里:どちらにしても、くだらないけど。でも、いいかもね!ちょっと面白そう。
編里:なにそれは、二人とも。面白いっていうことでしょ結局。正直になろうよ。
(四人の笑い声)

 それからのストーリーは、真理から、昨日会った彼女の言った通りであった。磨里がこの世を去るところまでは。

 磨里がこの世を去る前に、子ども達にブルーのチケット四枚を一緒に埋葬することを託したところで第一幕が終了した。十五分の休憩時間。私にはその時間がとてつもなく長く、そして、短くも感じた。

 魂に対するメッセージとでも言うものを感じずにはいられない。偶然は、すべて必然とでも言うべきなのか、私は暫く、劇場の椅子から動くことさえ出来ずにいた。世の中のすべての出来事は、必ず意味を有しているとよく言われる。大抵の場合、後付けの言い訳のようにも思われる。しかし、今こうしてこの場に座っていることが単なる偶然とは思われない。見えざる手によるメッセージに気づくか気づかないか、今の私にはそんなことさえ考えさせる猶予を与えない程に衝撃的な時間の中にいた。運命というものがあるとするならば、この時の私は操られるままになすすべがなかった。

 後にわかったことであるが、私たちの周りには、何者かが私たちに未来のことを知らせようとしたに違いないと思われるメッセージが溢れている。私たちは、それを感じない、いや、感じようとしていないだけなのかもしれない。心の声に耳を、というより魂を傾倒するかしないか、というだけなのであるが。感覚(つまり記憶)を研ぎ澄ますことが我々には必要なのかもしれない。どのように生きなければならないか、どのように生きることを魂が求めているのかを知ることがどんなに大切なことかを教えられたような気がしてならない。それも、この依頼を受けることになった必然を通じて。しかし、この時、つまり劇場を訪れた時にはまだ、ハッキリとは私にはわからなかったことであった。


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