予定していた日程が終わるとまた、二人を残し、Nagoyaに戻ってきた。
次の日事務所に、出社し、例の依頼の調査資料を見直した。時間に追われ、また、様々な出来事が重なってそれまでマリ・ユージンから預かっていた革表紙の彼女の記憶が記されていると言っていたノートをまだしっかりとは読んではいなかったこともあり、入念に読むことにした。
そのノートは日記のように綴られていた。毎日書いていたわけではなく。その日に思い出した、過去の記憶を時系列的にではなく綴られたものだった。 それが書かれた最初の日付は1983年の夏のことだった。
1983年8月2日 これまで、記憶が交錯することに悩まされていた私は、この家を出ることにした。何の根拠があるわけではないが、この広すぎる屋敷と娘の子ども・孫のユリの世話をすることに疲れていたのだろう。とても可愛い孫娘であるが、彼女の無邪気な遊びの相手をしていると自分が誰だかわからなくなってしまう。二歳の誕生日を迎えようやく色々な言葉を話し始めた頃、突然ユリが言い出した、いつもは「おばあちゃん!」から始まる孫娘の言葉が「磨里、やっと近くで出会えたね!二千年近く経ってしまったけどよかった間に合って。これからは、錘帝と編里を探さなくっちゃ。また、近くにいるといいのにね。」 声と話し方は幼子そのものであるが、確信と断定の感じられるその言葉に大人の意識を感じないではいられなかった。 私がマリに、「なにを言っているの?」と尋ねると。 彼女は「そうか、あなたはまだ記憶が蘇っていないのね?でも大丈夫、私が少ずつあなたに教えてあげるから。本当によかったあなたの孫として生まれることが出来て、これまでのように探さなければならないことがないもの。」と幼い微笑を投げかけてきた。 私の記憶の交錯、それは、この家に仕えてくれていた給仕。私が生まれる前に亡くなっているはずの給仕を幼い頃に探して、母に叱られたことがある。また、家人さえも知らなかった隠し部屋の入り方も知っていた。父のことをまるで祖母のように叱ったこともある、その時、母さえも知らなかった父の幼い頃のいたずらの話をしてみんなを驚かせた。父に言わせると、まるで祖母がいつもそうしていたように、庭の花壇の手入れをしている姿をみて、祖母が生き返ったようだと話すのを今でも忘れない。 祖母の生まれ変わりかと思われたようだが、祖母が生まれるもっと昔の家系のことまで、父が祖母から聞かされた昔話をもっと正確に話し始めたこともあったようで、父母は私を連れ、精神科医や霊媒師といったところへも何度となく相談に言ったことを憶えている。 そこへ来て、孫娘のユリの突然の言葉である。 何か呪いのような、不気味なものを感じて、明日、ここを出ようと決心した。誰にも告げずに。
ここでその日の日記は終わっている。彼女がどういう心境で、家を出ようと思ったのか、また、そう考えた日に日記をつけ始めたのか。考察しがたいところであるが、恐らく、彼女は誰かにその苦悩を伝えたかったに違いない。または、この日記をもって自分と言うものを探すもしくは、自分の存在を認める証にしたかったのかもしれない。日記は次の日も書かれていた。
8月3日 部屋で旅の支度をしていると、ユリが入ってきた。そして、昨日の口調で、「私の過去の記憶は後数ヶ月で失われてしまうかもしれないでも、あなたとこうやって話していると、きっとあの頃の記憶を留めることが出来る。だから、お願い一緒にここにいて。」と薄っすらと涙をその美しい目に滲ませながら話し掛けてきた。 まるで私がここを出ようと決心したことを見通しているかのようなその言葉。 そのあまりにも切実な表情に私は思わず彼女を抱きしめ、「わかったわ、だから、そんなに悲しい顔しないでね。」と彼女の瞳からこぼれそうになる涙を親指でぬぐいながら言った。そして、窓際のソファーに彼女を膝に抱きながら、彼女の記憶と向き合うことにした。 彼女が語るその言葉には驚かされることばかり、4人で暮らしていた1000年も前の話、それから、すれちがいを繰り返す生命の話。 そして、一番驚かされたのは、私の今の前の生命は私の祖母であり、それは、隔世的にこの家系で繰り返されてきたことを聞かされたとき。 私のというより私たちの、約束が始まって以来、私がタイムキーパーのメッセンジャーとしての役割を担い、常に同じ場所で生まれ変わりをしてきたと聞かされたこと。 もともとWakayamaで暮らしていたが約二千年前、当時の私の死後、子ども達が、何かのきっかけで長い船旅の後、スコットランドへ流れ着き、そして、そこへ移住したという。息子の孫娘が私の転生先、そして、それから隔世の人としての生命を享受してきたという。 記憶は、私が二、三歳位になるまではどの生でもはっきりと残っていた、しかし、それは、五歳位を境にして薄れてゆく。彼女によれば、周りの目が気になりだし、記憶を語ることがなくなってしまうからだという。 実際私もそうかもしれないと感じる。幼い頃の記憶がよみがえる。そして、いまだにその片鱗は強く残っている。ただ、語ることをしなくなっただけ、それが、正しいことなのかどうなのか知る由もないが、話さないことが周りの人に幸せなのだと自分自身に言い聞かせてきた。でも、それは本当ではないと三歳のいや二千歳の孫に教えられた気がする。 明日ももう少し、彼女と話をしてみよう。
不思議な体験が、本当に世の中にはあるものだと感心しながら、ページを捲っていく。隔世的に彼女だけが同じ家系の中で生まれ変わりを繰り返している。 タイムキーパーと呼ばれる人の存在。自分自身にそのような役割が与えられていて、それが逃れられない使命だと知ったときいったいその人の人生はどう変わってしまうのか、記憶さえよみがえらなければ普通の人と同じ人生を歩む事が出来る。しかし、宇宙の時間の流れに支配された生命には、それが許されない。大きな役割。それが、彼女の上に敢然とのしかかっている。
彼女のページに戻る。
8月10日 今日は、朝から、森へ散歩に出かけた、幼い二千歳の孫の手を引いて。複雑な気持ちが、彼女の小さな手を通して伝わっていくことを感じる。彼女も、それを感じているかのように無言で人目がなくなるまで周りの風景を楽しそうに眺めながらついてくる。 事情を知らない人から見れば、好奇心旺盛な子供と、その祖母そのままなのに、実際には私が彼女の教えを請う立場で居るとは誰が考えるだろう。 森の奥、湖のほとりに差し掛かったとき彼女が足を止めた。そして、私を見上げながらこういった「もうこの辺でいいわね、きょうはたっぷり昔話をしましょうね」彼女の目には微笑みがあふれている。 四人でいつも一緒に楽しんだ芝居の話、子供たちのこと。とても、空想とは思えないほどにユリの記憶は細部まで及んでいた。それを聞きすすめていくと、私の心から疑いという気持ちが消えてゆくのを感じた。おそらく、私がこの話を聞いてあげないと私がそうであったように、この子の貴重な記憶が消えてゆく、私がそうであったように。また、こうして血のつながった形で、今生で出会ったということは、時がたつにつれ薄れてゆく記憶を留めよと言う“流れ”の意志が働いたからかもしれないと思えてくる。 その日は、とても時間が経つのが早く感じられた。また、彼女の話に自分の記憶が少しずつ、また蘇ってくることを感じた。次第に、そして、自然におさない親友の話に相槌をうち、自分の口から当時の思い出を彼女の言葉にかぶせるようにして話をしていた。 まだ、ぼんやりとではあるが、自分に課された使命を自覚しつつあるようになってきた。
その日の日記はそこで終わっていた。 「使命」、なんという重たい言葉に感じたことか。また、なんと魅力的な言葉なのか。私達が、もし、その生命に課された使命を知らされたとしたら、どんなに充実した人生を送ることができるだろうか。大抵の人にとって生きる使命を感じるのは、自分自身でその進む、道を探し当てた時、そして、その道を歩むためにしなければならない数多くのことを自覚した時にすぎない。すべて自己責任において。しかし、彼女の人生の場合はそこが違っている。生まれながらにして、その生命に課された逃れられない運命がある。自由に自らの意思をもって進む人生とそうではない人生。どちらが、幸せなのだろうか?それは、世襲によって決められている人生とも少し異なっている。家業を引き継ぐという中には、まだ、少しばかり意志の自由を主張する隙間がある。しかし、彼女にはそれすら許されてはいない。逃れられない、運命の狭間の中で、タイムキーパーとして、与えられた使命をまっとうすることしか許されない。ただ、時の経つのを見つめながら、大宇宙に奏でられる刻々と過ぎてゆく時と言うリズムを見つめることしか。 私もそうであるように、時として、人は生きると言うことに迷い、そして、悩む。何のために生きるのかについて考えない人は恐らくいないだろう。また、運命という言葉に、人は惹かれてゆく。それが例え、何らかの事情が重なり幸運に恵まれた生活が約束されたとしても、また、その逆に辛く悲しい思いをしなければならないということであったとしても、そこに自らの意志で行き着いたと考えるより、運命と言う言葉だけで納得してしまう。それ程に魅力と強制力をもった言葉である。
マリは、まさにその運命の流れの中から逃れられない定めを背負ってこの世に生まれてきたとしか言いようがない。この後、彼女は、タイムキーパーと言う運命にその生命が呑みこまれてゆくことを自覚することになる。 日記を読み進めてゆくと彼女のタイムキーパーとしての使命は、まず、時の流れる法則を学ぶことから始まった。幼いユリに師事することによって彼女の、運命が次第に明らかになってくる。我々にとっても生きるとはを考えるうえで非常に興味深いものがある。
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