今日、もう一度あの劇場へ足を運ばねばならない。しかし、遠くても、まず、この調査の依頼が始まったあの墓地に出かけてみようと思い立った。Nagoyaからは随分距離があるその地は、Wakayama。老女の依頼を受けた時には、仕事だからとそれほど気にはならなかったが、やはり車を飛ばしても四時間近くはかかる。考えるのは、車の中にしようと思い、まず出かける事にした。今から急げば、今日の開園時間までには、何とか間に合う。
早朝のせいか、あれこれ考えながら以外に早くあの場所に着くことができた。その場所は一昨日の闇の中と違って、明るい、まだ朝の余韻の残る日の光に照らし出されていた。初めて訪れた時の記憶を辿りながら、草むらをぬって歩いてゆく。夜の風景とはまったく違った草原の中に、やはり、その石碑は突然姿を現した。歴史を感じさせるマーブルの外郭、日の光に照らし出される円形のプレートは、重厚に輝きを放っている。
そのモニュメントの前まで足をすすめる、一昨日、そこにあったブルーのチケットに目が止まる。私は、ポケットからデジタルカメラを取り出し、撮影を始めた。モニュメントの全景、そこに書かれている文字のクローズアップ、そして、ブルーのチケット。そのブルーのチケットは、それぞれがガラスのケースに入っており、また、石碑前の溝にしっかりと重ねてはめ込んであり、それを抜き取ることは出来そうになかった。なにか固定されているよううだった。そして、やはり、そのケースは、長年風雨に晒されているからか、かなり、汚れがついており中の文字はかなり読みづらくはなっているが、見覚えがある。昨夜の「千年前のラブストーリー」のチケットと同じモノだった「Time To Time」。その裏は、三枚が重なるようにして置かれているので最後の一枚のものしか読み取ることは出来ないが、そこにはEの文字が印刷されたメッセージの上に手書きで大きく書かれている。それを確認し、やはりカメラに収める。他の、チケットの裏も確認したいところだが、三枚のチケットは、やはり抜けることは無く、また、その置かれている間隔があまりにも狭くなっているため見ることは出来ない。チケットの表の面を見てみると、やはり一枚目のものしか見ることは出来ないが、そこには、タイトルと座席番号が書いてある。「I−22」偶然にもそれは、劇場での私の隣の番号の席である。
次に老女と会った時には確認できなかったモニュメントの裏に回ってみる。
するとそこにはとても興味深い文字の列が彫ってあった。一番上の真ん中には、Sir Name:Friends(遊仁)そしてその下には、四人の名前、そう、編里、磨里、錘帝、瞑有。また、それぞれの名前の下には、生きた年代が記されている。その年号によるとそれぞれの生きた年代は微妙にすれ違っている、四人が一緒の時代を生きた時もあったようであるが、磨里が生まれた歳に、編里が亡くなっていたり、二人、三人が重なっていても誰かが欠けているといった具合である。その年代記によると四人はこの約二年の間にそれぞれ二十三回の転生を繰り返している。そして、今回が二十四回目の生命ということになる。
この事実を目の前にしても、やはり、私には素直には受け入れることが出来なかった。転生を繰り返し尚且つ、前の生命の記憶を留めている人がいる。などということを。もし、本当なら今回の捜索依頼を受けた編里が、肉体は例え二十歳であったとしても、その精神は二千歳であるということである。二千年の記憶を留める人がいったいどんな人格の持ち主なのか。
そう言えば二千歳の人格者に会っていることに気づいた、そして、話もしている。そうマリ・ユージン。
様々な思いを巡らしながら辺りをそれ以上見回してみる。しかし、それ以上何も見当たらないので、また、訪れてみようと思いながら、今日はもう街へ引き返すことにする。もう一度あの劇場に行って真理に会うために。 車を飛ばしてNagoyaに引き返す。やはり、運転中も思考は止まることはなかった。しかし、いくら考えても思考の中からはなにもこの混沌から抜け出す答えを探し出す事をできないでいた。
夕方の五時過ぎ、そろそろ日も傾きかけてくる頃、ようやくNagoyaに到着した。車を会社の駐車場へ入れると。すぐに劇場に向かった。取り敢えず彼女に会わなければと思い、正確に言うと会いたくてタクシーを拾い劇場までの道のりを急がせた。すると十五分程で昨夜の劇場に到着し、急いで事務所を訪ねるとまだ彼女は控え室にも来ていないということであった。私は、身分を明かし、彼女から人探しの調査依頼を受けていることを話すと、マリはいつも七時開演の三十分程前にしか来ないということだった。そこで、昨日この芝居を偶然見たと話をし、またとても感動したことを話し、是非芝居の上演の経緯を知りたいと尋ねて見たが、応対してくれた女性は事務を行うだけで詳細についてはわからないということであった。劇場のオーナーは、その日は出社する予定が無いらしく、それ以上尋ねることを諦めるしかなかった。少し興奮気味の私であったが、その事務員の冷静な対応に、落ち着きを取り戻し、今夜も出来れば芝居を見たいのだが今チケットを買うことが出来るかどうかを、尋ねてみた。彼女は、本来その事務所では、販売をしていないからと言っていたが、どうしても、見たいからと熱心に話しをすると渋々私の願いを受け入れて手配をしてくれた。
その事務員の女性は「少し待っていてください。」そう言うと事務所を後にした。 しばらくし、彼女が戻ってくると、社員の接待用にとってある席のチケットしか渡せないということであったが、私にとっては、問題ではなかった。「ありがとう。」私はそういうと代金を支払いチケットを受け取った。
座席ナンバーを確認すると驚いたことにI−23、昨日と同じ番号である。彼女にそのことを話すと「この席は、一番最後の席で、特に社員が使わないときに販売されるもので、Last sheetなのです。昨日も実はこの席だけしかチケットカウンターでは売られていないのです。それ以外は前売りですべて完売でしたから。」といった。
「ということは、偶然新聞出見て、やってきた劇場のたった一枚しかないチケットを買って芝居を見たということですか?」 と私が尋ねると。 「そうですね、普通ラブストーリーというタイトルですとお一人でこられる方は少ないですから、窓口でチケットを尋ねられても、一枚しかなくお帰りになることが殆どですので。」 と彼女。 「そう、でもありがとう、また、今夜楽しみにしています。」と告げるとその場を後にした。
開演前までの時間を近くのカフェで過ごすことにする。マリに会った時に尋ねる質問をまとめるためだ。
川沿いのテラスの一番端、眺めのいい席に腰を下ろすとカフェとアップル・チーズのクロワッサンを注文した。それから、カバンから調査ノートを取り出し、今日のこれまでの調査内容を書き留める。本来、こうした調査資料には、私情を書き留めることはしないのだが、一通りこれまでの調査項目を書き終えると、感想を書くことにした。
夢の出来事のようなこの二日間 二千年の時を越え愛し合う四名の男女
記憶の彼方になにが 隠されているのか とても知りたいと感じる 愛は純粋であるほどに 美しいという あなたがたの見る愛も 同じなのだろうか 時の操作に翻弄され すれ違いを 繰り返してでも守られる約束 人は本当にそれを信じ続けることが出来るのであろうか 幼き頃 とても 好きだった人との約束 それすら守ることができないのに ひとは二千年の時を越えた 愛の誓いを守り続けることができるのであろうか 神に誓った 言葉さえ 懺悔の度に心をいためることばかりなのに・・・
そこまで書いたとき、注文した、カフェとクロワッサンが運ばれてきた。ノートをテーブルの端によけ、この二日間の出来事に思いを馳せながらも、しばらく、スナックを楽しむことにする。香ばしいカフェの香りが鼻をくすぐる。しかし、やはり私の脳裏にはこれまでの出来事が巡る。
食事を終えると、ノートをまた開く。今度は、マリに会った時に尋ねる質問を考えることにする。
なにをどう質問したらよいのかわからないので、箇条書きに思いつくままに書いてみることにした。 ・ 二十三回のこれまでの転生の歴史 ・ タイムキーパーとして、メッセンジャーとしての役割 ・ マリの見る世界観 ・ 何故、人は同じ過ちを繰り返すのか ・ 愛とはなになのか ・ アルとはなになのか ・ 肉体の存在とは ・ 精神の存在とは ・ 生まれ変わりに法則、ルールのようなものが存在するのか ・ 魂とはどこから始まったのか、そして、どこへ行くものなのか ・ 天国、地獄と呼ばれているところは存在するのか ・ 未来を見ることが出来るのか ・ 時の意味とは
と、ここまで進んだ時に、もう開演前三十分に近くなった事に気づいた。ノートをカバンにしまい、チェックを済ますと、急いで劇場に向かった。先ほどの事務所を尋ねるともうそこは、鍵が閉まっていた、楽屋を訪ねてみようと、そこから細い通路を辿って裏へ回ろうとするが、途中の警備員に止められ事情を説明してもどうしても通してもらえない。そこで、仕方なくメッセージを書きマリに必ず渡してもらうよう端でおく事にした。
“あなたから、編里を探して欲しいと頼まれた調査会社の本宮です。今日、閉演後少しお時間をいただけませんでしょうか?”と。
そのメッセージを警備員に託すと私は、また、劇場の入り口へ戻り、チケットの席へと向かっていった。席につくと座席の上に一枚の封筒が置いてあった。宛名を見ると私へのものである。そして、差出人はマリ。彼女は、今日私がここに来ることを知っていたのだ。後に彼女に知らされたのだが、あの事務員から私のことを聞いていたらしい。 私はその手紙を取り、シートに腰を架け、その封筒を開けた。中には和紙のような重厚なノートが入っていた。
それを取り出すと、美しい筆文字でこう記されていた 「あなたならきっとここを訪ねてきてくれると思っていました。ありがとう 編里の消息へ少しは近づいてくれましたか? それと、私の話を信じる気持ちになってくれましたか? 今日の芝居は、あなたのための特別のお芝居になるでしょう。しっかりと心の声、メッセージに感性を傾けて下さい。
もう一つ、今日の上演の後、あなたに会うことは残念ながらできません。でも、一週間後に、この住所に訪ねて来てくださいね。色々お話をしたいことがあるから。」そして、その住所の終わりには、スペインのバルセロナにあるサンタ・マリア教会の名前と住所が書かれていた。
何故、今日会うことが出来ないのかは、その理由が書いていないのでわからない。まだ、私のメッセージが彼女に届いてはいないはずなのに、なぜ、今日会えないとしているのか。それも不思議な思いを感じさせられた。しかし、閉演後、すぐに追いかければいいだろうと感じ、今日の開演を待った。 開演十分前になった。昨日と少し違っていたのが、観客がまだ誰も入っていないということであった。それほど広くは無い劇場の中ではあったが、それでも百席ちかくある劇場の中で一人座っていると、さすがに寂しい気分を感じた。そして、不安の中、上演開始のブザーが場内に鳴り響いた。それでも依然として、私以外、誰一人、シートに座っているものはいない。全てのシートが、今日までに完売されているにもかかわらずにである。
ブザーとともに辺りが闇に包まれた、そして、一昨日と同じように、ストーリーテラーがスポットライトに照らし出された。一昨日と同じ、過去に仁錘帝として生きていた老人=紀野純二。彼の声が、場内に響き渡る。
これは千年前に実際にあったお話です。千年という時の流れであっても、その時は、私たちが感じる時間というもののほんの断片にしか過ぎないのです。私たちは、すべて、時の旅の中に身をゆだねている旅人に過ぎません。正確には人ということではありませんが・・・それでは、時の旅がどういうものであるかを感じていただくことにしましょう。
昨日とは違った劇の始まりであった。
やわらかなフルートの旋律が場内を包み込む。相変わらず場内は、闇のまま。何か宇宙空間に育まれているような不思議な心地がする。
すると次の瞬間、辺りが目を開けていられないほどの光に包まれた、真っ白な閃光が全てを飲み込む。何も見ることはできない。その光は目をつぶっていても感じる程の強い光であった。
それでもフルートの旋律が、耳に心地よく、気持ちを落ち着かせるには十分の柔らかさで染みてくる。同時に、ストーリーテラーの、声が胸に響いてきた。 すべては、光の中からはじまった。その光は、父性と母性を兼ね合わせ、始まりの無い始まりから、終わりの無い終わりへと移行する。 その光は、すべての存在の根源としてある旋律の中の旋律。何者もその旋律から逃れることは出来ない。旋律は、一閃のリズムではその美しさを表現しきれない。そう感じた意思を持ったその光は、自らの光を、その旋律とともに分かつことを試みた。すると、その光と旋律は、ハーモニーを奏でるかのようにとても美しさを増していった。父性と母性の出現である。その父性をもった旋律と母性をもった旋律は、さらに複雑でしかも美しいメロディーを奏でるために、それぞれの光を分かち新たな旋律を生み出した、また、光だけに包まれていた世界は、その濃淡を駆使してなんとも言えないメロディーを奏ではじめていた。とても、柔軟でなにものをも受け入れることのできる深遠なリズムを奏でていた。
私は目を閉じていながらに、ストーリーテラーの声に反応して、分離し調和してゆくことを感じられた。
一閃の光から発したその旋律は、融合と分離を繰り返し、今日、生命を宿すにいたることとなった。それからも、旋律は、融合と分離を繰り返し、より美しい旋律を奏でるために時の旅に身をまかせる事になっていった。
始まりの無い始まり、終わりの無い終わり、それは、我々の生涯そのもの。いつ始まったのか、いつ終わるのかさえ自身では知覚することのできない旋律。 しかし、時とともにその旋律も、はじめの意志から離れていってしまう。それは、あたかもそれぞれの閃光がそれぞれの意志をもち始めたかのように。本当は、大きな意志に包まれているのにも関わらず、それを忘れ各々の意志の求めるままに。 私たちは、自然と自らの持つリズムに合う旋律を求める。本能とでもいうものか、生きるために身についた性質と捕らえがちであるが、それは、本来の理解からすると異なっているといえる。旋律は、いつも美しく奏でられるものであるとは限らないのである。調和が乱れることによって、現れる新しい調和がアル。それに気づくことがより美しい調和へと繋がるのである。そして、悠久の時を経て、旋律は、その最初の意志から離れていってしまう。 それを、最初の意志に戻すこともタイムキーパーの役割なのです。そして、その役割の端緒は、誰の中にも備わっているのです。より美しさを求めることが、本能とよばれる感性の中に。すべては美しく生きるために、美しい旋律を奏でるために。すべては、ともに輝くために。
その声の流れとともに、光のカーテンが閉じた瞼の向こうで様々に躍っていった。 美しいステージと呼べるに留まらない深遠な音楽と光の競演が最後まで続いた。心の奥底まで染み入るステージが幕を閉じた。短くもあり、そして、長くもあった一時間半に渡るステージであった。
そして、ストーリーテラーの紀野が現れた。本日のストーリーはお楽しみいただけましたでしょうか、また、お目にかかることが出来る時を楽しみにしています。すると、昨日と同じように場内の灯りが一瞬落とされ。次に明かりがともされるとそこに彼の姿を見ることは出来なかった。
私は急いで、楽屋を訪ねてみるが人の気配はまったくなく、本当に今日芝居があったのかと思わせるほどの静かさであったので、落胆を憶えながらも、彼らに会うことはあきらめて劇場を後にした。まったく予想もしていなかったその日の展開に焦りを感じながら。
その日は、すぐに帰宅せず、たまに訪れるバー・ムートンに向かった。
そこでは、いつもそうするように、カウンターの入り口から一番遠い席に腰を下ろすと目の前にあるインテリアミラーに映る自分の姿をぼうっと見ていた。何故だか今は亡き両親の姿がそこに在るように感じた。すると、今度は、生まれつき体が弱く、今は療養のため田舎に行っている息子の姿を見た。とても二人に会いたくなった。そして、携帯電話を取り出すと上司に電話をした。
「明日から調査で少し町を離れます。連絡を入れますから、宜しくお願いします。」 と伝えると、次に妻の元に電話をする。
「明日から、休みを取ることが出来たから、しばらくそちらに行こうと思う。夕方には到着するから、夕食を一緒に摂ろう。」 と言った。
妻は、突然の私の話に驚いた様子だったが、
「きっと有也も喜ぶわ、気をつけて来てね。」 と電話を切った。
それから一時間程ワインを飲みながら、その店のオーナーでもあるソムリエと色々世間話をした最近の出来事の話もした。彼は、不思議な話もあるものだと感心しながら私の話を聞いていたが、客が増えてくると忙しく立ち回りはじめ、私は再び目の前のミラーを見ながら、暫く一人酒を嗜んでいた。考えるとでもなく考え、心を赴くままに遊ばせながら、ワイングラスを傾けていた。そして、心地よく酔いが回った頃に、タクシーを呼んでもらい帰路に着いた。
家に到着し、ベットに横たわり、部屋の明かりを消すとまるで昨日、今日の劇場にいるような気持ちになった。するはずのない声が耳に木霊する。始まりのない始まり、終わりのない終わりの時の流れの中に我々はアルのですという声が。
いつ眠ったのかさえ、分からないまま、次の朝が始まろうとしていた。
シャワーを浴び、支度を整えると、マンションの下にあるカフェにブランチを食べに行った。通りに面したテントの下で食事を取りながら行き交う人々の姿を眺めていると何か時の流れを感じた。ゆっくりと歩く人からはゆったりとした時の流れを感じ、急いで歩く人からは、矢のごとくに流れる時の速さを感じた。これでも、同じ時の中にいると言えるのかと不思議にさえ感じた。
人の存在ということについても考えてみた、確かに存在している妻と息子、しかし、実際にこの場にいる訳ではない。それは、今は亡くなってしまった両親もここにいないという意味では同じであるはずなのにもう存在していると言う認識は同じではない。どちらも私の心にアルことには違いがなくどちらもこの場にはいないにも係わらずにである。
私には亡くなったと聞かされた友人がいる。彼は、その死が間近に迫っているとき、その彼の妻にこう言ったと聞いた「誰にも、このことは言わないように」と。そして、彼の遺志を汲んで彼女は誰にも彼の死を知らせることはなかった。彼の事態は、後に彼と私との共通の知人でもある取引先の人から聞かされたことだった。実際のところ、彼の死を聞かされてみても、私の中での彼はまだ生きている。彼の妻とも会ってはいない、それに、一度は彼の墓を訪ねてみようと思ったこともあったが、まだ訪ねてはいない。いつ、彼が、そんな冗談誰が言ったのかと笑って目の前に現れてもいいように。そんな彼は、私の妻と息子同様「アル」存在である。彼に対しては、もう長く会ってはいない友人に対すると同じ感情がやはりある。
そんなことを思いながら食事をとり終わった。
部屋に戻ると、先程支度をして置いたカバンを手にとり、妻と息子がいる町へ出かけるため駅へ急いだ。
車窓を眺めているとやはり時が早く進むことを感じた。そして、瞼が重くなりいつのまにか浅い眠りに尽いていた。起きているのか、寝ているのか分からない眠り、意識はあり、思考が働いているのだが明らかに起きているとはいえない、しかし、心地よい気持ちに体を委ねることができる状態のことである。そんな状態が二時間も続いただろうか、列車は目的の駅に到着した。
駅と言うには、非常に小さく、電車が着くホームがあるだけの名も知られていないところである。電車を降りると私は、停車場のすぐ前にあるバーに向かった。電車に揺られ疲れた体を癒すためにエスプレッソを飲みたいと思った。都会で飲むそれとは違って、とても濃いものであるが、ここを訪れるたびに立ち寄ることが一つの楽しみでもあった。
この町で私と妻は生まれ、そして、成長した。今でこそ二人とも両親は亡くなってしまっているが、私の生家は、まだ、残っている。そこに、息子の療養のために妻も来ている。両親から引き継いだその家は、屋敷と言うには小さすぎるかもしれないが、百坪の敷地に部屋数が十ほどある。私の祖先はこの地ではそこそこの名家で通っている。四百年以上の歴史があるという。いずれは、また戻ってくるつもりであるが、今はNagoyaでの暮らしの方がまだ魅力を感じる。
エスプレッソを飲み終わると、馬車を呼びとめ、家に向かった。まだ、この辺りでは、タクシーと観光のための馬車が混在している。舗装されていない道には車より馬車の方が便利なところがあるからだ。とにかく長閑なところである。 馬車が家に着くと妻と息子が、玄関まで出てきた、ほぼ三ヶ月振りの再会である。
「有也元気か!」と駆け寄ってくる息子を力いっぱい抱きしめると、有也の後から出てきた妻とキスを交わし、三人で支えあうようにして家に入っていった。
家に入ると懐かしい暖炉がリビングにある。そこでよく薪にあたりながら居眠りをしたものだ。暖炉の周りには大きなスウェードのソファーがあるが、そこよりも床にひいてある絨毯の上で寝転がって本をよく読んだ映像が頭の中をかすめる。お気に入りの本は“怪盗ルパン”今も暖炉の上に飾ってある。小学校に上がる前から読んでいた。その本の興奮が今の自分の職業に結びついているとは、考えたくはないが、幼少時の興味はどんなに年齢を重ねても変わるものではないらしい。自ら望んで調査会社に勤務をしているのだ。もっともルパンのように盗みを芸術にするような感性と技術は持ち合わせてはいないが。
食事までの間、屋敷の中を歩いて回った。何もかも懐かしい香りを感じた。Nagoyaの家は、私たち家族の匂いがするが、ここは四百年の歴史の香りがする。一つ世代の家族だけでは、成し得ない生活の香りがそこには蓄積されている。そんな感傷に浸っているとダイニングから食事の準備が出来たことを知らせるベルが鳴った。
久しぶりの妻の手料理であった。懐かしく暖かな時間を共に過ごした。息子の体の具合も少しは良くなったようだ。後、二、三ヶ月で一度Nagoyaに戻って様子を見ると妻は、語った。彼は四歳、私の幼い頃を思い起こしてみると都会よりもこちらのほうが伸び伸びと成長できるかもしれない。今の仕事が片付いたらこちらで暮らそうかと言おうと思ったが、そのときには話をすることを留まった。
それから三日ほど何も考えずに懐かしい家でゆったりとした時を感じていた。場所が変わり、環境が変わるとそれまであった出来事がまるで、夢であったかのような錯覚に陥る。しかし、同時に夢か現実か、区別のつかない現実もある。
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