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作品名:人として駄目になったいくつかの理由 作者:宮本野熊

最終回   1
   人として駄目になったいくつかの理由
 
 もしも 今 少しだけ贅沢が許されるのなら
 発泡酒ではなく 本物のビールで喉の渇きを癒したい
 もしも 今 一つだけ些細な願いが叶うのなら
 家族そろって食卓テーブルを囲み
 その日あった出来事を笑いながら話したい
 もしも 今 小さな罪を許されることができるのなら
 通勤時間の駅前に素裸で寝そべってみたい
 
 わたし ぼく おれ じぶん おのれ われ……
 自身を示す曖昧な言葉の中に埋もれ
 名前を何度も書き綴ってみても
 そこに誰をも見つけることができなかった
 いったいここに居るのは誰なのだろう
 鏡の向こうに映る姿にも
 存在を認めなければならないというだけで
 そこに映る存在に自信をもって
これが
 わたし または ぼく または おれ、じぶん、おのれ、われ……
 と安心することができない
 
 こうして 考えているのは
 いったい誰なのだろう
 こうして 書いているのは
 いったいどの意思の由縁なのだろう
 こうして 見ているのは
 誰が なんの 目的を持っているのだろう
 
 敢えて わたしというものがあるとするならば
 わたしは なんのために
 息をし、水を飲み、食べ、語り、読み、歩き、見ているのか
 何もできない 何の役にも立っていない命なのに
 どうして こうして ここに居るのだろうか
 生きていることは、それだけで素晴らしいなどという虚飾は
 生命から魂を抜き取る為の欺瞞に過ぎない……
 
 この際、私?が、いくつでどこの誰でどんな性格・趣向をもち、どんな生き方をしてきたのかなどということはなんの意味もなさないことなのかもしれない。ただ、ある男というだけで十分だろう。また、彼、そして彼女にしてもそれは同じことに違いない。どんな名前を持ち、私とどんな関係であるかということに関心をもったところで、エンターテイメント的に話が面白くなるなどという虚溝をなぞってみたところで、つまるところ私には私しかなく、あなたにはあなたしかなく、彼には彼しかなく、彼女には彼女しかないというごく当たり前の結末に辿りついて終わることが関の山。飾ることで見失うことの多い世の中だから、嘘と真実の見分けもつきにくくなっている今だから、凡てを捨てたところに何があるのか考えてみたい。
 これもいわゆる我儘なのだろう。
 ボーヴォワールのかつて考察したように『もし人間が無限に膨張しようと夢見るならば、たちまち、自分を失ってしまいます。夢で自分を失うのです』という言葉が真実と認められるのならば、自分を失った先にあるこの体、この心は一体どうなってしまうのだろう。ただ、そこに果敢に立ち向かうなどという大それたことを私は思っているのではない。私は、この世に生まれ、生き、夢を見、膨張し、そして、失ったものの一人(いちにん)として、現実に在った人として些細な断片を遺したいという意志に沿ってゆきたい。ユマニテ(人間)を構成する一つの細胞にも満たない一個人としての小さな存在が、それでも、あの時あそこにあったのですと主張することにどんな意味があろう筈もないには違いない。一人の人ができる、神という観念に対する嗜好の反逆、それが、遺すということであるとするならば、それもまた面白いのかもしれない。
 
 夢
 この年齢になった時 妻を持ち 子供を持ち 家を持ち 車を持ち
 仕事は順調で 友人も多く人望もあり
 名士とは行かないまでも近所では「あぁ、あの人なら知っていますよ。立派な方で……」
 といわれる位の人になっていると思っていた
 『人とは違う……』
 具体的にどこがどう違うかなどとは考えてはいなかった
 自分という存在が、『人とは違う』
ということが当たり前のことであったなどには気付いてはいなかった
 人とは違うという意味が、『自分は特別の存在』であるという
 慢心のようなどこか飛躍した論理に埋もれていたことに気付かなかった
 
 将来という展望は、いつまで経っても未だ来ずのまま……
 現実をどこかに置き忘れたままである
 糧を得るための仕事に就き
 妻を娶り 子供ができ ローンでぐるぐるに巻かれた家を買った
 自分の生きるということが そのまま 他の人を
 生かすという経済の仕組みにどう繋がっているのかさえ理解していなかった
 その内に自身が生かされること無く、他人を生かすことだけに
 時間と心と金が割かれ始めていった
 家族の為というのならまだ納得もいこうというものである
 現実には、いつの間にか目先の金と引き換えに
 未来を売ってしまっていた自分に悩まされることになった

 この体のどこに自分というものがあるのかさえも定かではない
 自分というものがいったい何であるのかもわからない
 それでも 肉体は生きているという現実がある
 生きなければと思う強迫観念に突き動かされてここまで来た

 医者を夢見ていた時があった
 政治家を夢見ていた頃もあった
 小説家になりたいと思っていた
 お坊さんになりたいとも思っていた
 そして金持ちになりたいと思った瞬間(とき)……
 それらのすべては夢として消えていった……はずであった
 もうありはしない夢を心の隅に抱えたまま 当たり前のように就職をした
 給料がどのような意味を持っているのかわからなかった
 ただ、お金が欲しかった時でもあった
 それを持てば漠然と自由が手に入ると思っていた
 「金は恐い」という祖母の言葉の意味がわからなかった
 私は僅かな金と引き換えに
 自分という存在を世間に売ってしまっていたことに気付かなかった
 もしかしたら引き返すことのできた時もあったに違いない
 それでも、遊び、旅行、酒といった嗜好的刺激が手に入る金の力に抗うことは
 とうとうできずに来てしまった
 夢はいつか金を手に入れることへと変わっていった
 そして現実は金に追われる日々へと堕ちていった

 振り返るとあの時が、そうだったのかもしれないという人生の変わり目がいくつもあったように思う。その時々には、振り返ることは女々しいとだと思い込み、ただ漫然と目先だけを見ていた。人波に揉まれるという否応のない様々な経験も重ねてきた。苦労と懊悩の違いがわからずにいた。これは今でも解ってはいないのかもしれない。何故こんなに苦しまなくてはならないのかという疑問だけが、年々歳々反復され増長してゆく。ただ目先のことだけに振り回され、結局は何も為す所なく知らぬ間に朽ちてしまうのだろうか。生きるということはこんなにも苦しいことだったのか。
四難という言葉が仏教の教えにある。四苦とも言うらしい。

 『生老病死』

 生ということがすべての難に先駆けて記されている。それ程に生まれる、生きると言うことは困難を伴うものなのか。
 かつて異常な程に死を恐れていた。今でもそうなのかもしれない。
何をして無駄死にというのかはわからないが、そう思っては死にたくはない。これが今自らの存在を自らの意志で消すことのできない唯一の理由であり、その思いからこうしてキーボードに指を運んでいる。
 最早、世間でいうありきたりの幸せなどは望むべくもない。そのような幸せなど随分昔にどこか遠くへ離れて行ってしまっている。「諦めなければ、いつかきっといいことがある」という友人の慰めも、もう何年も飽きるほど聞いてきた。そうした友人も今では顔を合わせると愛想笑いで濁すに留まるようになった。それどころか、もう誰も近寄って来てはくれなくなった。
 私の場合、前を向いてばかりでは、どうやら進捗は一向に良くならない。
 人が駄目になる理由は様々であるが、生という難はその理由を教えてはくれない。考えることが、寧ろその理由を見えなくさせる方向へと働くものなのかもしれない。


 純真であった時

 誰もがそうなのだろう、一生の間で一番純真でいられる時は
 生かされている時に違いない
 それが幼児期であっても 少年期であっても 青年期であっても
 その時の思考は人間(ひとま)にあって美しさをのみ追求できる素養を備えている
 海の青さに素直に感動できる目は 人の美しさをも見ることができる
 夜空を見上げたとき満天にきらめく星に 
 思わず「キレイ〜!」と声に出すことのできる心は
 人の美しさを飾ることなく素直に表現することができる
 正しいと言う言葉に従い
 正直という言葉をルールとしていた時代
 それが 一度自らの足で立ち
 世の中を生きる為には正直と言う観念は常識からズレていたことに気付いた時
 ようやく人は人と認められる存在になる
 あんなに嘘をついてはいけないと言われていたことが
 生きるためにはなんの役割も果たしてはいない事に焦りと憤りを感じた
 幼い頃、繕う事と偽ることには僅かな差もなかったのに
 繕うことは容認され
 偽ることは罰せられる世間があることに矛盾を感じた
 正義と言う言葉の意味がいくつもあることに戸惑いを覚えた
 青いという言葉に偏見を感じた
 人はグレーでなければ強く生きてはいけない現実に
 慣れることができず
 そうとは気付かぬうちに 社会の枠組みから外れてしまった
 
 無垢なとき、嘘ということに敏感であった。嘘を付かれるという事に必要以上に悲しみを覚えた。成長するに従って、世間を知るに従って、隠すことは仕方のないことという歪曲した感覚を持ち始めていった。何もすべて正直に表明する必要はない、ただ、嘘を付く位なら隠していれば済むことと思うようになっていった。その内、隠し事が増えるに従い繕わなければならないことが多くなり、そうして次第に言葉数が少なくなっていった。

 正しい行い、正しい考え方、正しい発言……。
 
 正しいという言葉の意味が年齢を重ねるに従って解らなくなるのは果たして私だけなのだろうか。正の語源には城邑に向って人が進み、攻める、攻めて“征服する”の意味があるらしい。正しいとは、支配者が支配の方法として正当な行いをするという意味もあり。人によって作られた道理を意味する言葉になる。支配者の都合により正しい行為は変わることになる。

 一方、貞しい(ただしい)は、ト(ぼく)と貝(ばい)とを組み合わせた形で、神意を問うた意味になる。《『常用字解』平凡社》
 
 時に応じ、場所に応じ、人に応じ違った表現になる正しいという言葉に虚しさを感じるのは弱くなった証拠なのかもしれない。最早、人として生きる力を無くしてしまったのかもしれないとも感じる。いつの頃からか自分が社会と言うものに適応できなくなってしまったのだろう。
 
 私は貞しかった。私だけではない。すべての人の子供といわれる時代は貞しいに違いない。それが人としての営みを経るに連れ支配構造の正しさへと意識が移行してしまうのである。人によってその時は違うであろう。生きる為に稼ぎを得なければならなくなったときがそうである人も居る。公にその存在が認められた時にそうなる人も居る。異性を意識した時にそうなる人も居る。

 私の場合、はっきり言えることは異性を意識した時に、心が“貞しい”ということから少しずつ遠ざかっていったように思う。

 それは、幼い頃、大切な人の性行為を事故的に見てしまったことから始まった。しかし、自身で体験するまでは貞しい心は持ち合わせていた。その行為は美しいという観念からは程遠い醜態というに近いもののように目には映った。しかし、この時の視覚体験からなのか、性に対する興味は人一倍強かった。そして、その時に見た性の力に、これが人(異性)に対する支配の力であるという意識が植え付けられた。十八の時、私にその機会は訪れた。支配する為の行為が、始まった。それからというもの、私の意識は、性を支配していると思いながら、実のところは逆に“性というもの”に支配され続けてきたのかもしれない。

 
 性への目覚め

 誰も一度は必ず性という理屈のない本性に悩む
 男として初めて触れた女性の身体は柔らかく、温かで、甘い香りがした
 写真や映像では知ることのできなかった異性の温もりは
 溺れるに十分な魅力を持っていた
 夢?
 これが本当に自分と同じヒトなのだろうか……
 と思う程の抱擁がその身体にはあった
 それまで押し込められていた想像から
 自分の中の本性が解き放たれていった

 女性がどこで男性に惹かれるという感覚を持つのか未だにわからない
 しかし、男性は明らかに男の根に凡ての思考が集中することは事実と認めざるを得ない
 どんな男性も例外なく同じであろう
 もし、そうでなければ
 いつかヒトからは雌雄が必要なくなるに違いない
 長い年月を掛けて進化と言われる命の進捗の中で
 いつか失われても不思議ではない本能

 愛するという感情がどんなものであるのかはわからない
 しかし、欲するという感情は明らかでわかりやすい
 “その気持ち”が愛というものではないのだろうかと悩んだこともある
 それはどうやら違うもののようだとわかるまでには
 随分と年月を重ねなければならなかった
 愛という得体の知れない観念よりも
 とにかく、どうにも体が欲しかった
 そうすることにより相手を支配下に置くことができるものと信じていた
 偽らざる本心を隠し
 いい人という化粧を忘れてはならない恋愛というものを
 疎ましく感じた時期があった
 半ば強引に身体を奪うことも幾度か重ねた
 その度に自身の身体に宿る野生を呪わしく思った
 罪を罪として認めざるを得ない性癖を抑える事は終にできなかった
 そうしていつの間にか
 性と言う行為に心も身体も支配され続けることになった


 愛という感情。どれだけ考えてもどんな感情を指してそう言うことができるのか、どうしても未だに理解ができない。そのことが、おかしい、異常なのだろうと悩んでも来た。そうした中で、私の意識はいつも情欲・色欲に支配され続けてきた。与える何もなく、貪る情だけが私の中に好く(愛する)という意味の表現となっていった。身体を合わせることがすべてであり、そのこと無しに男女の関係など成り立たないと思い続けていた。そのことがなされなくなった時、二人の間の感情は消えてゆくしかない。悲しい、現実。寂しい意識。

 何故、そうなってしまったのか。

 愛も支配であるという構造に正しいという意味があることを知ったのはごく最近になってからのことである。本当にそうであるのか、わからない。しかし、支配の構造は生きるということの全てにおいて成り立つ法則のようなものなのかもしれないと思うようになった。
 
 誰かを、何かを支配し、また、誰かに、何かに支配されないでは誰も、何ものも生きてはいけないのがこの世の中と言うことに漸く気付くことになった。

 生きる術がこれまでどれ程あっただろう。その時に目先を少し変えてさえいればこんなに悩むことはなかったのかもしれない。つまるところ、私は私の選択した道(生き方)において大きな間違いを冒してしまった。人を愛することにより、その人の愛を支配することができなかった。

 『何故?』

 『私には、人を愛するだけの度量も土壌もなかったからなのだ』
と今は素直に言うことができる。自身の身の程を大きく見せる為に金を稼ぐことに、というよりも金を手に入れることに自分の全ての環境を利用した。仕事も賭け事も時には法律に触れかねないことにも手を出した。それでも金が手に入れいいと、良心の呵責も少しずつ薄れていった。

 他の人がどうだかわからない。私に限って言えば私は金にすべて支配されているとしか言いようがなかった。

 金があれば、地位も名誉も愛も人の心も命さえも手に入れることができる。

 金がなければ何もできない、何も手に入れることができない。他人のみならず、自身の人生の傍観者として生きていかなくてはならないのである。

 実際、金のない今、身動きさえとれないのである。

 電車にも乗ることができない。
 ご飯を食べることもできない。
 誰と会う事もできない。
 仕事にすら就くことができない。
 大好きな酒など手に入れようもない。

 神仏に祈るのにさえ、賽銭すらないようでは、申し訳なく願い事すら言い出すことが憚られる。これが世の中である。私にとっての世の中なのである。

 
 仕事

 初めてついた仕事は、営業であった
 二十六年前のことであった
 バブル景気もすでに昔の語り草になっていた頃であるが
 それでも今ほど景気も悪くはなかった
 モノはそれなりに売れていた
 売れば金も手に入った
 手に入れた金はすべて遊びと女に消えていった
 当時、高卒というのが嫌で、何とか大学へは行きたかった
 数年海外で生活をしていたこともあり
 高卒ながらバイトで英会話も教えていた
 そんな時、新設大学の社会人枠で大学に入ることができた
 昼は学生、夜は英会話の先生としての生活に入っていった
 毎日、五時間も働けば二十五、六万の収入があった
 学生としては、贅沢な生活を送ることができた
 その金も遊びとパチンコに消えていった
 当時女には不思議と興味が湧かなかった
 周りが学生であったためかもしれないし、一応、先生という肩書きがあったからかもしれない
 その分、酒をおぼえることになった
 大して勉強もすることなく四年間が終了した
 それでも苦学生として周りは尊敬の目で見てくれた
 卒業前の就職活動もした覚えは無い
 特にどんな仕事に就きたいとも思わなかったからかもしれない
 無気力であったわけではない
 もし、そうであったなら、とっくに学校は辞めていただろう
 政治家になるにも、小説家になるにも、坊さんになるにも
 本当は学歴など必要なかったと気付いた時
 それらのどの門にも就職口というものがないということを知った
 ということが就職活動をしなかった理由かもしれなかった
 そのまま、英会話スクールに居続けることも一つの選択肢であったことも
 理由の一つには違いなかった
 卒業を前にして、歳の暮れに転機が訪れた
 両親の知り合いから
 海外のホテルを見てもらえないかということであった
 それがなければ、英会話の先生で幸せに過ごしていたかもしれなかった
 同時に結婚の話も持ち上がった
 遠距離恋愛を続けていた彼女とであった
 それまでも年に数回しか逢うことはできなかったが
 それでも別れることなく四年近く付き合っていた
 離れていても彼女と言う存在があったから 
 他の女の人に興味を持たなかったのは真実である
 仕事先と結婚が一度に決まった
 卒業の前に結婚をした
 父親の関係もあり式は盛大に行われた
 この結婚で父の借金は随分と楽になった筈であった
 費用を差し引いて、新婚旅行も行って、小遣いを貰っても
 何百万か手元に残ったと陰で話しているのを聞いてしまった
 事業をしていたため金が必要なのだろうと無理やり納得した
 学生結婚の新婚生活は楽しかった
 大学の卒業も無事にすることができた
 半年ほど、社員研修ということで国内勤務
 その間に子供を授かった
 単身で海外へ赴任することになった

 
 今、思へば、これがすべての落とし穴に繋がっていた。

 短絡的に生きてきた四年間。悩みはあったには違いないが、恵まれた環境であった。やりたいことはすべてできた。彼女と逢いたいと願う以外の我慢しなければならないことは何もなかった。一人で生活し、最低限の時間で学校に通い、他の人よりも楽に生活費を稼ぎ、多少の努力で大学を卒業し、将来を考えることなく結婚と就職を果たした。ただ、目の前に置かれたレールの上を歩いていただけであった。

 もっと言えば、水槽に飼われている熱帯魚のようなものであったのかもしれない。
生きる為に必要な環境は整えられ、悩みはあるのだろうが、生活に根ざしてはいない。哲学的な悩み。何のために生きているのか、何のための命なのか……。

 大学の四年間、そして、海外で仕事をしていた三年間、私はただ漠然と“何のために”を考え続けていたように思う。もちろんそれ以前のもっと囲まれていた時にも同じであった。

 生きるに於いて、懊悩はしてきた。しかし、苦労はしていない。これが、私のすべてなのだと今になって思う。苦労をしている時には、何も考えることなどできないものだから。

 帰国後、私は父の会社を手伝うことにした。コンサルタントとして。実情は、コンサルティング契約を取る営業マンであった。営業指導、研修、講演を商品として企業に売り込むことが仕事であった。やりたいと思うことではなかった、しかし、生活というものが目の前にぶら下がってくるとやりたいことを選択する余地はなかった。ただ、毎日を企画と営業で過ごしていた。仕事とはそういうものであるに違いないと漠然と思っていた。

 しかし、現実にはそういうものであるはずもなく、そういうものであってはいけなかった。

 “金”を追いかけるという執念を持つか、このことをやり遂げるとか、これで人の役に立ちたいと思うことでなければ代償を貰う限りにおいて仕事とは言えないのである。この当たり前のことをわかっていながら、行動することができなかった。むしろ、そうすることから逃れてきた。


 会社

 ある時、会社をつくってやると父から言われた
 何でもいいから自分の力でやってみろと言う言葉に
 体が熱くなることを感じた
 しかし、その熱は直ぐに冷めることになった
 ダミー、トンネルと呼ばれる会社を作りたかったとわかったからであった
 お前には迷惑掛けないようにするからと言われ
 架空の請求書を切っては会社に金が入ってきた
 手数料を幾らか残して数百万の金が引き出される
 その手数料だけで五十万以上はあった
 それが違法なことだとわかった時
 恐くなって抗議した
 それじゃ、自分で稼いで見ろと言われ必死になったができなかった
 違法な手数料の方がいつも多かった
 バレれば捕まるでも金が欲しかった
 仕事はいつからか金を集める道義的な言い訳に過ぎないと
 諦め、思うようになっていった
 真面目に仕事をしろと言われることがどういう意味だか
 解らなくなっていった
 儲かるという言葉にだけ自分の心が反応するようになっていった


 儲かれば、遣うを繰り返すうちに、色々な感情が麻痺するようになった。蓄えなどあろう筈もなく、目の前を流れる大きな金額の金に翻弄されるようになっていた。実の感じられない、達成感のない会社は長く続くはずもなかった。人も定着しない、自分のやる気も金に左右された。金があれば動く、なければ動かない。動けないといった方が正しいだろう。

 そして、数年後。会社という盾を失った。

 実のない売上も手伝って、金融機関からの借り入れもかなりしていた。なくなったら、借りる、返しては、借りるを繰り返してゆけば、会社というものは存在できるのだと勘違いしていた。そして、借りることができない時代になってしまった。借りるための審査が通らなくなった次の月から、いきなり、全てが苦しくなった。


 借金

 どこからも借りることができなくなって
 それでも毎月の返済は七十万以上あった
 その頃には、金を追いかけることをやめまともな仕事を始めようとしていた時であっ た
 人の役に立つ商売をしたい
 人のためになる仕事をしたいと思っていた
 売上こそまだ、少なかったが
 地道にコツコツとやっていけばなんとかなる
 何とかしなければと思っていた
 現実は、地道にやっていくだけの時間も金も無くなっていた
 そのことに何故、もっと早く気付かなかったのだろうと後悔しても
 実情は、すでに末期を過ぎていた
 支払いに追われる毎日
 電話を取ることができなくなっていた
 返済のメドが立たない限り
 何も話すことはできなかった
 連絡だけでもと何度言われても、連絡だけでは済まされないことは
 当たり前であった
 無いものはないと開き直れば
 差し押さえ、法的な手続きがすすむ
 すいませんと謝りながら遅れ、遅れに支払うしかなかった
 自己破産も考えた 人にも勧められた
 しかし、名義を貸している不動産があり
 それも簡単にはできそうもなかった
 その分の返済だけでも早くしてもらうしかなかったが
 先方にもどうすることもできない
 脅し半分に 自己破産したら全部持っていかれるよと言うと
 そうしたら住むところを保証しろと言われた
 買取を約束されて名義を貸した
 景気が良くなったら全額保証して返すから
 年数が経てばそれだけ利益になるだろうという約束であった
 自己破産して取られたら
 逆に全額保証をしてもらうと脅された
 全ては金に失敗を重ねたことにあった

 
 今では、毎月の返済額は一時より減ったものの
 とてもきちんと払える状態でないことには変わりはない 

 
 誰もが苦しんでいる。何に苦しむのかは人それぞれ、悩みのない人などいない。しかし、これが高じると気力が奪われてしまう。叩かれてばかりの人が、根気よくできずに諦めるのとよく似ている。二つの違いは、自発的に無気力になるのか、他動的に無気力になるのかにある。どちらにしても、何かことを成そうという気力に欠けるという意味においては同じである。

 借金をするということはこれに似ている。悩みの・叩かれる種を撒く様なものであ る。金が無ければ、何もできない。金を借りなければ、会社も家庭も命も維持ができない。

 「もし、そうであれば、何もする必要はなく、維持する意味もない……」
と言うことに早く気付けばよかったと今では思う。

 それに、目先の困難に一人で立ち向かって行かなければならない状況を作ってきてしまったこれまでの生き方を悔やむしかない。

 
 断れないということも大きな理由の一つなのかもしれない。

 どれだけ苦しくとも、どれだけ落ち込んでいても、ただ、誘ってくれる人がいるというだけでどうしても断れない。

 嫌といえないことの浅はかさ、すみませんといえないことの軽薄。
人は、人が堕ちて行くのを静かに見守るだけである。助けてくれようなどと考えない方がいいと解っていても、一縷の望みを抱かずにはおられない。それがどれ程間の抜けたことで、どれだけ周りに迷惑をかけることになるのかがわかっているにもかかわらずである。

 今も、酒の誘いがあった。

 金は無い。また、四時間掛けて歩いて帰らなければならなくなるかもしれない。それでも行こうと思うのは何故か。ただ、寂しいというだけなのだろうか。それが、私にはわからない。


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