宮本と彼とは二十年以上の付き合いがあった。名前が同じ、博之なこともあって、どこか気の合う友人となっていた。彼は、宮本博之を宮本と呼び、宮本は彼(村上博之)を博之と呼んでいた。小学五年生からの付き合いで、それ以来、中学、高校、大学と同じ学校へ進学した。大学を卒業してからも、二人は申し合わせたように就職を選ばなかった。二人して、「小説家になろう」と決めていた。 宮本は、今ではアダルトな性描写を得意としていた。奇抜なアイデアというより、自身の経験に基づいて、生々しい描写と叙情を織り交ぜ書いているという宮本のストーリーは少しずつ認められていった。純文学ではないにしろ、宮本は小説だけで生活を成り立たせていた。
一方、博之は純文学を目指していた。人間として生きる上での苦悩をあらゆる生活の場面に求めて書いていた。彼自身の複雑な家庭環境がそうさせていたのかもしれなかったが、宮本の生々しい人間の性とは違い懊悩と苦悶に満ちた彼のストーリーは、中々世間には受け入れられなかった。それもあって彼は、当面の生活費を稼ぐため語学を活かし英会話のインストラクターを始めたのである。
宮本は、彼にいつも言っていた。 「純文学は、後でいいじゃないか。まずは、どんなにしてでも作家としての知名度を持つことだ。俺は、そのためだったら何でも書く。エロでもグロでも何でも書く。そして、作家としてある程度認められるようになったら、名前を変えて純文学に取り組む。いや、名前もそのままで、書くんだ。人間の生きる様なんて、格好のいいものばかりじゃないから、性と名誉と金と人間関係と社会のシステムそのものの中にあるドロドロとしたすべてを取り込んで、誰にも描けなかった人間模様を書くんだ……」
彼には、宮本のこの熱意が羨ましかった。
彼は、宮本と違って、いつまでも、トラウマになっている過去の出来事を背負い、それに押し潰されようとしている。いや、押し潰されてしまっていた。彼には、宮本のように書くことに対する情熱に燃えた志を持ち合わせなかった。はじめからなかったのかもしれない。彼が、書こうと感じた切っ掛けは、自らの過去に巣食う闇を明らかにして、彼自身が救われたいと思ったからであった。また、彼の人生に影を落とす原因となっていた人々に彼が被ってきたすべてを明らかにして復讐をするために書き始めたのだ。生い立ちを蔑み、運命を呪い、人を恨んできた。彼は、書くことを通じて、そのすべてに対し復讐をしようと思い書き始めたのであった。復讐のための執筆。これこそ、彼のこれまで小説を書くことを止めなかった理由であった。
ところが、生活に窮乏すると、空腹と焦りからか、この復讐心はどこか窄んでしまったようになっていった。そして、止む無く復讐のために命を永らえようと英会話の講師という仕事についた。
宮本は、彼の過去をすべて知っている。宮本も彼と同じ苦しみを抱えていた。彼が、苦悩の中にいたとき、宮本はいつも側にいてくれた。慰めてくれた。そして、一緒に泣き、恨み、呪ってくれた。宮本がいなかったら、彼はその命をとっくに放棄していたに違いなかった。そうして、二人は誓った。この思いを書き綴り、世の中に発表してあの人たちに復讐することを誓った。二人は気が合い、話しも合った。世の中にどうしてこんなに似た境遇の子供がこれ程近くにいるのかと、その時だけは神様に感謝した。しかし、その時の感謝の気持ちが、復讐心を抑制する事には繋がらなかった。
望まれてこの世に生命を受けたと思っていた。そう思いたかった。しかし、望まれてと思っていたのは自分だけであったのかと時に絶望を感じ二人して泣きながら笑ったこともあった。
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