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作品名:刻印 作者:宮本野熊

最終回   (九)
 店に電話をかけたあの日、彼は、ベッドに戻るとしばらくして起き上がり、ベランダから飛び降りたのだと後から知ることになった。

 彼が、自宅のベッドに横たわり頭の中を様々に巡っていたと思っていたのは夢であったのだ。意識の無いままベランダから飛び降り、無意識の中、身体の状態を理解できないままにそれでも思考は途切れ途切れの轍を辿るように生きるということを模索していたのだろう。それが生命の持つ本能というものなのかもしれない。

 自己を破壊するということはどの次元の生命にも刻まれてはいない。身を危険に晒して生きることはあるのかもしれない。それは、さらなる強靭な生命を生み出す糧になる可能性を秘めているからである。

 人は存在の無になる死を恐れないために死後の世界観を作り上げてきた。いつかなくなってしまう肉体の滅びることに畏怖を感じ、自らの肉体ではない心という観念の永遠に生きる場を求めて得体の知れない精神世界を作り上げてきた。しかし、今その霞の世界が心の迷いを生み出すことになっている。今、という連続した時の中で、その時々の今を生きる人々はいつか無くなってしまう自分と言う存在の中で煩悶しながらに静かに確実にその時、自身の存在の無くなる時へと向かって歩んでいる。

 幸せという言葉にも、楽しくと言う言葉にも含まれる残酷な現実がある。

 それは、そのどちらにも繁栄という意味が刻まれているということに由来する。繁栄とは、種の繁栄を意味し、種の繁栄を謳歌するということである。一義的には幸福で楽しいことになるには違いない。それもあくまで種の―であって、個人のではない。
しかし、他方ではいずれその種は自身の中から生まれてきた別の種によって淘汰されることにもなる。

 皆が同じ方法で、同じ方向に繁栄しようとしているのではないのだから。

 何かが栄えれば、何かが滅ぶことは世の道理である。

 人が生きるということにも得るもののあれば失うものもある。

 肉体の幸福を追いかければ、精神の幸福を失うことになる。人は肉体と精神の均衡の上にしか立つことはできない。そのアンバランスに悩むのは、種を保存するという以外に、思考を巡らせる人という生き物に刻印された呪縛のようなものである。

 様々な宗教にあるように、幾千万の哲人が考察してきたように、神は神の上に立つべき人を創らなかったことは明白な事実であろう。

 神は神の下で生きる人をのみ創っただけである。何千年もの歳月を経てさえ、多くの賢者の示した道標を理解できずにいる今という時を生きる“人”という存在はこの世の中で最も精神的成長の鈍い、それでも愛すべき生き物なのに違いない。

 何故なら、人は喜びにも、悲しみにも、涙で答えることができるのだから……。それが、唯一、神を超えることができるかもしれない、命という連綿と受け継がれてきた鎖の中に本来刻まれてはいない感情であるに違いないのだから。

 有三は、急いで生きることに対する違和感を我慢しなくても良いのだと気づいた時、心が少し軽くなったような気がした。

 それから、猫のような彼女と親しく話をすることができるようになった。犬のような顔をした医師とも、魚のような目をした友人とも、トカゲのような無表情な近隣者とも、鳥のように騒がしい仕事仲間とも、ゆったりとした気持ちで話すことができるようになっていた。

 何かと言えば出てくる涙には閉口することもあったが、それも少しずつ気にはならなくなっていった。

 自らに刻まれた、自らが刻んできた個という刻印を違和感を持つことなく受け入れることができるようになってきたからかもしれない。何が正しいのかに悩んでいたことが、何も正しいことはないと理解したときに、逆らうことのできない自然という時の流れの中にしか生きられないと感じたからでもあった。

 「幸せか」
と聞かれて、
「わからない、でも、生きているには違いない」
と素直に言えるようになってから、死に急ぐという気持ちは起こらなくなっていた。

 どうしたところで、突然にか、自然にか、その時はやってくるに違いないと感じるようになっていた。


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