有三は、いつの間にか眠ってしまっていた。
彼は夢を見ていた、子供の頃の夢であった。
中学生の時のこと、彼の頭は坊主刈りに短かった。その頭を撫でながら鏡に向って彼は色々な顔を作っていた。怒った顔、泣いた顔、すました顔、困った顔、疲れた顔、驚いた顔、そして、笑った顔。一体何のためにそんなことをしているのかは、わからなかった。ただその表情を眺めているもう一人の彼が隣にいた。鏡に向っている彼のことを無表情に眺める別の彼がいたのである。鏡に向っている彼は、もう一人の彼を何とか笑わせようと様々な表情を作っていたのかもしれなかった。しかし、無表情の彼は写真の中の人のように一切の表情を動かさなかった。どんな顔を作っても何も変わらないもう一人の彼につまらなさを感じハァ〜っとため息をついたとき彼は目を覚ました。 可笑しな夢を見たものだと思いながら彼は時計を眺めた。午前三時を少し過ぎたところであった。
―あれはどこだったのだろう……
彼は鏡に向かっていた場所のことを考えていた。
再び目を閉じても、もう眠ることはできそうになかった。目が冴えているという訳ではない。もしかしたら、これでも眠っているのかもしれないとも思ったが、目を開けようと思うと直ぐに開くことが出来た。カーテンの隙間から洩れて来る街灯の明かりで天井が薄ぼんやりと雨雲のように浮かんでいた。あれがどこであったかを判ったところで、それがどうということでもなかった。
考えているのか、考えていないのか自覚できない時間が過ぎていった。
どうしてなのかは、わからない。起きていても寝ていても思考が止まらないということが不思議に思えてならなかった。ただ、寝ている時の方が、起きている時の思考よりも自由に感じられた。
―そう言えばこれまでに見た夢の中にも記憶に残る夢があったものだ……
夢は幻ではないのだろうと思われた。人は現実と夢の両方で命を受けているのかもしれない。記憶に残っている限りにおいては少なくとも脳にとってはどちらも同じ次元の経験であるのかもしれない。現実の世界で感覚を通じ情報を蓄え夢の中で感覚のない体験をするのかもしれない。
夢……と言えば。
妻の姿を夢に見た記憶がなかった。子供も、親も夢に見た憶えはなかった。幼いころの友人や学校の先生、見ず知らずの女の人や老人、時には会社の同僚や近所の人、犬、猿、蛇、人魚、神様……、脈絡のない様々な人や物、生き物やそうでない存在、それに風景が夢の中では感じられていたし、記憶もしていた。それなのに何故か近親者を夢に見たという記憶がまるでなかった。大切な人である筈の存在を夢の中の彼自身は求めてはいなかったということなのだろうかと思うと手足の指先が冷たく感じられた。
「ふぅ〜」 というため息がどこかから聞こえたと思ったがそれは有三自身のため息であった。寝ながらに起き、起きながらに寝ていると自身の行動でさえも遠くに感じてしまうものなのかもしれない。
―あの坊主頭の男は本当に俺だったのだろうか……
普段あまり見る事の無い自分自身の姿には、これが自分であると自信を持って断定することが躊躇されてしまう。
―あれは本当は一体誰だったのだろう……
その疑問は迷いでもなんでもなく、彼には純粋な疑問であった。今、布団に横たわる彼自身は本当に彼であるのかさえもわからなくなってしまうような気持ちにも堕ちていた。 眠りとはどんな状態からどんな状態へと移る時にいうのだろうかと考えながら再び固く目を閉じた。
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経、観自在菩薩。行人般若波羅蜜多……」
本堂の境内に男の読経の声が静かに響いていた。
男は念仏を唱えながら本尊らしい大日如来と対峙していた。背筋を正し、数珠を掛けた左手をして胸の前で印を結び、右手は丹田のやや下方にあり、胡坐に座っている。男のその姿は、彼の念仏を唱える先に端座している仏のような美しさを感じさせていた。揺らめく蝋燭の明かりに照らし出される如来と男、その灯りの揺れるたびにそれぞれの影が静な本堂の中にわずかな動が感じられた。
法衣を纏った仏像の姿は、僧侶の着るそれとは違い、また、茶道家の律とした様相とも違いややゆったりと、胸元が少しはだけているようで美しかった。同時に毅然とした仏像の表情からは稟とした威厳を感じつつもある種畏怖の念を憶えずにもいられなかった。その大日陀如来立像からは仏師の仏に求める柔軟な、暖かな、そして、曖昧な人の存在の究極な位置にある慈悲の姿と、それに対する厳しい求道の姿勢が感じられた。 一方、その仏に対座する男の読経の響きと小刻みに蠢く筋肉の揺らぎも見ようによっては、やはり自然の造詣・生命の証としては美しい息吹を感じさせるものかもしれなかった。しかし、深夜に行われる修行僧のお務めとは異なった風景がそこにはあった。読経の主は一糸纏わぬ姿で仏と対峙し、小刻みに蠢くその全身の筋肉の動きは、印を結んだ右手を股間において、自らの一物を握り締め上下させていた。
聖域であるべき穢れの許されるべくもない寺の本堂であった。
ただ、罰当たりな、汚らわしい、仏に対する冒涜だと単純に済ますほどに、その光景は軽々しいものではなかった。男からは、生半可ではない念の篭った決意がその気配から感じられた。
その男は、仏に向かい自らの心に正面から向き合い、仏と一体となるが為に自身の一物をしごいていた。色雅を思うことなく色雅に惑わされること無く仏に触れんが為にただ一心にしごいていた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無……」
静かに力強く読経を繰り返しながら右手は上下に動いていた。
通常人に言わせればただの罰当たりでしかないこの行為に、彼は鬼気迫る心境で仏の境地を求道しようとしていた。何が男をそうさせるのか、彼自身にも定かではなかった。ただ、色念と決別するためにそれ以外の方法は無いとの自念が彼の中にはあった。 「大日如来を前にして果たして果てることのできる自分がいるのだろうか。自慰行為とは性行為とは自分にとって、また、人にとって何を意味するものだろうか……」 言い訳ではなく色欲に駆られての行為とは頑として違う。煩悩に任せた性行為、自慰行為に駆られる動物的本能、その意味するものを己が崇拝する仏の前で確かめたいという衝動をその男はどうしても抑えることが出来ないでいた。理解しがたいことではあるが、仏に対する冒涜、背信的な感情は何一つ無い。唯そうすることで仏の側に近づくことが出来ることを信心しまた、解脱を祈念しての行動であった。清くあることを欲することも煩悩であれば、自然にあることを願うのもまた煩悩。そうであるとするならば、その男は、仏の御前で自らの凡てを擲って、仏にまた自らに問うための行為を一心不乱に行っているに過ぎなかった。性に対する欲望を、もし、人類の全てが失ってしまうとすれば、その時点で人の存在は未来に見ることはできない。その逆に、性に溺れてしまう事で、人は人で無くなってしまうようでもあった。種としてもっとも繁殖能力の高い人間の生命は、どんな他の種よりもその行為に溺れてしまうことをかつて彼は経験していた。
―世の中の何が正しいのか?
―人は人として何を思えばよいのだろうか?
問答だけでは得心できない焦燥が男にはあった。 「南無、南無、南無……」
両の目を見開き、眼前の仏を一心に見据え、仏の内へ入道することだけを願い、彼自身をしごいていた。
目を閉じることは許されなかった。
心の中で女体を想像することもである。邪念をもってして果てたとしても、それは求道の精神に反することとなるからである。
目の前に立位する聖なる如来に向かいそうすることは、通常の自慰行為とは違って、硬くなることは難しかった。それが本当というものであろうかと男は感じていた。仏の法衣に自身も包まれ仏の内へ入っていくことがこんなに困難なことであったのかと改めて感じた。起たせるために、女体を想像しようとする衝動に駆られた。しかし、目は仏を見据えたまま必死に絶えた。目を閉じてはいけないと中性的容姿の仏の姿に女性を絡ませてみた。それ自体が、煩悩の為せる技であった。その度にあるがままの仏の姿でなくてはいけないと男はその心に言い聞かせていた。
―仏の姿を前に果たしてこんな自慰行為がどんな意味をもつものか。
―自身の存在は男女間における交わりの行為なしには成り立たなかったのではないのか。
―異性を求める本能は欲なのか、それともそうではないのか。
―仏とまぐあうこの行為そのものは一体なにであるのか……。
―こうすることによって何が自分の中に生まれてくるのか。
様々な思念と勝手な言い訳の中で、それでも尚激しく男はその手を自身の性器に動かした。 行過ぎた本能は欲となる。それは性欲、物欲、金銭欲、知識欲すべての欲するという心から端を発する。道を求めるという心は、人の存在を支えてきた、人を生かす仕様を進化させてきた。人の道を外れることを人は忌み嫌う。人の道とはなんなのか?人は人であることを自覚する以前に存在した生き物である。悲しむべきは自我の覚醒。人の流れる道には外れても、その外れていることに気づくことのないことが多くある。人としての欲にまかせて言い訳をする、「こんなこと位たいしたことではない」と。
「どんなこと位までなら?」
そんな疑問が頭を過ぎったその時、仏の目に蝋燭の灯りが揺らめき一瞬まぶたを閉じたかのように見えた。男は、右手をその一物から離し胸元で印を結んでいる左手にあわせ合掌をした。読経をする唇と、大日如来を見据える目を閉じると自然に涙が溢れてきた。溢れるままにまかせ、素肌をさらしたまま座していた男は、涙が止むまで身じろぎすることさえできずにいた。しばらくの静寂。堂内の時は止まったかのようであった。 っと男はその場に立ち上がり合掌をしたまま、本尊に向かい礼をした。
合掌の手を離さず伽藍を乗り越えた男は仏の足元に口付けを施し、「南無阿弥陀仏」と唱えると合掌している手を解き、力いっぱい仏を抱きしめた。男には、仏の手に肩を暖かくまた、背中を優しく撫でられたように感じられた。
男はそのまま仏の足元に崩れ落ち、自然なままの姿で体を小さく丸めながら静かに目を閉じた。男は立像の足に頬刷りをした。体温などあろうはずのない、その足から温もりを感じた。目を閉じたまま足の親指に接吻を交わし、その唇を踝に這わし、足首から、脛にまるで導かれるように静かにそして、全身全霊の愛情を込めて柔和な口付けを昇らせていった。男の背筋にまた、全身の骨の髄から衝きたてられるような刺激と共に、肉体を包み込む皮膚の奥から細胞という細胞が総毛立つのを感じた。次の瞬間、汗腺からは血と汗が噴き出し、目からは止め処もなく涙が溢れ、鼻からも滝のように水が零れ落ち、男根からは小水が精液と混じり噴射され、しりの穴はだらしなく体内の浄物が垂れ流されだしていった。
全身の水分を吐き出した男の体は、仏像に含まれている僅かな水気を吸収するかのように皮膚細胞を木造の大日如来像の木繊維の隙間にへばり付かせた。そして、いつか男の体は涸れてしまった。
男の両手は、仏の印を結ぶ手に絡みながら、その顔は半顔が仏の股間に埋もれながら。男の肉体は精神に吸い取られていった。その男の体は大日如来像の半身に細胞の一つ一つをめり込ませ、張り付いていた。
「あぁ……」 と男がうつろに声を上げた時、有三は目を覚ました。全身が汗に濡れていた。窓からは朝陽が差し込んでいた。
「あの男は……誰……」
うつろな頭の中、有三はぼんやりと天井を見上げていた。
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