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作品名:刻印 作者:宮本野熊

第3回   (三)
 月曜、この日彼は店のシフトに入っていなかった。休みを楽しみにあれがしたいこれをしようということのない彼には、休みよりも仕事が欲しいくらいであった。

 寝る前には、きちんとした仕事を探しに行こうと思っていた。しかし、目覚めて見るとそうした気持ちを持っていたことすら覚えてはいなかった。

 昼前、有三はようやく深い眠りから目覚めた。気ばかり使い慣れない仕事に疲れた心と身体はどれだけ眠っても気だるさは抜けきれなかった。

 昔、心理学の授業で『眠る』ということについて学んだことを思い出した。眠るという行為には、現実から逃れるという意味があるというものである。歳を経るにしたがって、睡眠時間は少なくなってくる、しかし、有三には一向にその気配が感じられない。

 現実逃避。

 『そうかもしれない』と可笑しくなった。

 少しでも気分を晴らそうとシャワーを浴びることにした。

 シャワーを浴びながら、子供の頃、眠るときにこのまま死んで目が覚めなくなったらどうしようと怯え不眠症になったことを思い出していた。数時間後には目が覚めるに違いないことが大方約束された眠るという行為に恐怖を感じていたことがあった。

 今なら、眠りに落ちてそのまま永遠に目覚めることのないということに恋情を感じることもある。それがどれだけ幸せなことなのかと憧れを感じる位であるのに。
こう考えることは、不謹慎なのだろうか。

 世の中には、死にたくなくても生きられない人が大勢いる。そう考えると、申し訳なくさえ思われても来る。

 「先輩。先輩は、どんな気持ちで最後の時を迎えたんでしょうか?」

 有三は、そうつぶやくとシャワーのコックを閉めた。

 シャワーを浴びても頭の中はすっきりとしなかった。

 
 シンと静まり返った部屋の中、彼の存在さえも本当はこの世にはないものではないかと思われた。彼の頭の中では現実と夢想が入り混じっていた。彼を現実に引きとめているのは金に追われているという事実だけであった。今すぐにでも水槽の中に潜って金魚になれと言われればどこにも異存を感じないであろう、犬になれと言われれば素直にハイといって鎖につながれることも厭わないであろうと思われた。

 彼には人として生きる意味も死ぬ意味もわからなかった。

 冷蔵庫を開けると一缶残っていた発泡酒を一気に飲み干した。

 口元では発泡酒がブランデーのような甘味を帯びて感じた。喉元を通るときには炭酸が喉の内側を刺すようにして流れ落ちていった。

 有三には生きているという実感はなかった、生かされているという感覚もなかった。人が気の力で生きているとするならば彼は既に死んでいるのかもしれなかった。ただ生物として心臓を動かし血液の身体を巡るということでのみ死んではいないだけであった。生きながらに死んでいるとでもいった存在であるのかもしれなかった。

 なるようにしかならないという言葉さえも彼の心に響くものはなにもなかった。

 彼の心も身体も割れそうでいて中々割れないシャボン玉のように儚い存在であった。意思を持たず風に流されるままにいつの間にか消し飛んでしまう空気の中に浮かぶ沫そのものであった。もしかしたらそんなに綺麗な存在ですらないのかもしれないという悲観さえも彼の脳裏を過ぎっていた。

 誰からも求められず、どこにも行き場のない一日が始まっていた。

 眠るでもなくベッドに身体を横たえたまま、有三は灰皿からまだ吸えそうなタバコを探し火をつけた。口の中に苦い煙が立ち込めた。肺の奥に熱を含んだ煙が吸い込まれていった。

 『何故こうまでしてタバコが吸いたくなるんだろう……』

 そう思う間にタバコの火はすぐにフィルターまで辿りついていた。

 喉を潤す発泡酒ももう冷蔵庫にはなかった、気を紛らわすタバコも切れていた。ただ、ため息の数だけが増えていった。

 彼はデニムにスウェットを着るとハーフコートを羽織り部屋を後にした。しばらくどこからも鳴ることのなかった携帯はテーブルに置いたままであった。

 歩いて十分程の所にコンビニがある。しかし、彼は真直ぐにそこへは向かわず隣にあるブックオフへ入った。数日前に売りに出したDVDは彼の売った値段の五倍以上の値段が付いていた。三十枚あった彼のコレクションを売って手にした金額は八千円に満たなかった。たったそれだけの金にも困っていながら酒とタバコを欠かすことはできなかった。彼はただそれだけのために働いているようなものであった。食事を節約してでも、酒とタバコを切らすことはできなかった。それらは彼の最後の生きる望みであったのかもしれなかった。棚に並んでいるDVDのジャケットを見ながらそれぞれのクライマックスシーンが頭に蘇ってきた。すべては過去の思い出であった。

 様々に思いを巡らせながら、彼は百五円コーナーに来ていた。

 一冊だけ古本を買って帰ろうと棚を端から端までゆっくりとタイトルを眺めていった。特に欲しかった本がある訳ではなかった。太宰治、川端康成、三島由紀夫……、彼は自殺した作家の作品を好んだ。晩年の作品と初期の作風を比べて読んだ時の心理描写の違いが面白いからである。どの偉大な作家も最後には自分の理想と現実のギャップに懊悩し、自身の力の及ばない現実に半ば悟りのような諦めの一節が読みとることができた。それは共通した方向性に向かって生命を終えるという一閃を記しているようにも思われた。病に倒れ、または寿命によって死を迎えようとした作家との一番の違いは世間に対する比噴よりも、自身に対する要諦を感じられる。彼らは確かに自ら命を絶たなければならない程の苦悩の痕跡をその書に遺していた。有三には自ら命を絶った作家がそれ程に生きる事を模索するために情熱を燃やし続けられたことに羨ましさを感じずにはいられなかった。彼の生きると言うことに対する悩みは糧を得る術の無く、命の存続が真間ならないと言う極めて動物的なところにあった。思想的、哲学的憐憫も哀愁の欠片もない苦悩は、先達と比較するべくもなく粗野な悩みであった。しかし、彼にはそのことが深刻であるには違いなかった。この意識の差に彼は屈辱をさえ感じていた。埋める事もどうすることもできないこの大きな差異は彼をまた落としめることになっていた。

 『所詮俺はこれだけの人間だったということか……』

 諦めを感じたい訳ではなかった。その彼の意思に反して、自身の力と気力と自信の無さに対する容認は冬の望まれない降雪のように日に日に積もり上がって行くだけであった。

 何を求める訳でもないままに彼は虚ろに本を眺めていた。その時占いに関する書籍がまとめて並んでいるのが目についた。どんな成功談より、どんな啓発より、どんな文学小説よりも彼の目にその棚は魅力的に映った。最近のどこか胡散臭い占術師の本もあったが、易教というタイトルに目が止まった。高校時代、歴史で何となく聞いたことのあったその古びた本を手にしていた。今ではあまり見かけなくなった筮竹を使う占術の指南書であった。これまで占いにはあまり興味はなかったが、易の歴史の部分を読んで見ると古来から政治、宗教、商いに置いて重要に用いられていたことを知り、また近世までは易が知識人の教養として普通に学ばれてきていたことの、近年教えられることが無くなってしまったことを不満に感じた。決して容易に読みこなせるようなものではないようであったが、彼はその本をレジに持って百五円を支払った。

 「易に弄ぶ」という、これまでに知る占いとは違った解説を新鮮に感じたからかもしれなかった。彼は、断定的な生き方を示されることは好まなかった。それが原因で浮草のような生き方しかできてはこなかったことも、弄ぶという言葉に救いの見つけられる気持ちを感じていた。

 本を手にコンビニに入ると発泡酒とタバコそれにレジ横の賞味期限切れの近い値引きされた団子を買って部屋に向かった。財布にはもう缶コーヒーを買うことのできる小銭さえ残ってはいなかった。

 帰りの道は、夕焼けに赤黒く染まっていた。

 少し息の白む冷気が彼の周りだけに漂っているようにも感じられた。


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