翌朝、食事を終えた後、薬を服用したが身体にこれといった変化は起きない。この調子を維持していきそうな予感がする。ただ、漫然と生活を送っていくのではなく、何かをしなければならない気に駆られた。そして朝食に使用した器を洗っている時、どう転ぶかは分からぬが、少しずつでも身の回りの整理をしようと思いついた。すでに母親の貴重な遺品以外の大部分は処分し終えている。今度は自分の分である。いよいよ逝けなくなったら、以前アルバイトをしたことがあるリサイクルショップに、遺品整理を頼もうと考えていた。その時期が来る前までは、とりあえず使うことのない、塵として処分できる物を捨てようと思った。早速、その作業に取り掛かった。 歳を取るとそれぞれに思い出があり、なかなか捨てられないでいるものが多い。母親の時もそうだった。遺品整理した時は、こんなものまでか、という物で溢れかえっていたといってよい。ほとんど処分した。私は物に執着しない性格で、必要のない物は捨てているはずと思っていたが、そうでもなかった。ただ漫然と手元に置いてあるという物が多々あったのである。以前、或る高名な作家が自身の死への準備の為、身辺整理をしようとして果たせなかった、という記事を読んだことがある。思い出を捨て去ることには本能的に拒否反応を示すもので、人間の性はそのようなものかもしれない。 「これは少しずつ手を付けていななければならないな……」と、思わず独り言がでた。まず、塵の収集日に会わせて出せるものから手を付けることにした。一日目は家電製品のコードや器具類などの周辺機器を集めた。逐一、その思い出に浸っている訳にもいかないが、それでも無造作に右から左という訳にはいかなかった。結局、一回目に出す物を集めるのに二時間ほど係ったのである。それさえも指定の袋で、二つしかならなかった。この調子ではどのくらいの時間が掛かることやら、と内心苦笑いをするしかなかった。それでも、これもある意味仕事と思えば、無駄な時間ではない。それぞれの思い出がよみがえり、またそれを捨てるという、ほろ苦い思いを味わうのも生きてきた証である。この作業も貴重な時間だと考えることにした。また手に余ったとき、時期を見て,リサイクルショップに大部分の整理を頼むことにした。こうして、日々が過ぎていった。 抗癌剤を服用することになってから、三度目の通院日になった。 採血をした後、待合室が人混みで息苦しくなったのでそこから離れ、診察室が見える通路沿いに座った。経験から、どの位で順番待ちの時間が予想できる。すると、診察室の前で若い女性看護師がきょろきょろしているのが見えた。たぶん私だろうと感が働いたので、寄って行くと相手も私を見とめ、頷いた。医師の診察の前に看護師による問診であった。 問診室に入ると、体調の有無を聞かれる。これは抗癌剤治療に入ったばかりの時期において、体調の変化を知ることが重要だからだ。 「採血の際、二本しか採られなかったが、腫瘍マーカーはまだ調べないのですね」 これは小さなガラス管に血液を採取される場合、一般的な検査ならば二本であるが、より多くの検査をするときは、四、五本になるのである。 「それは先生の判断ですけれど調べてもらいたいときは、遠慮なくおっしゃっても構いませんよ」と、マスク姿の看護師が答えてくれた。 「いや、それならばいいです」 「沖田先生はぶっきらぼうだから」と、看護師は笑っていった。私が最初の印象を抱いたことを、看護師も同様に感じているのを知った。 その後、沖田医師の診察の際も相変わらず口数が少ない。 「では、いま飲んでいる胃薬を止め、このまま様子を見てみましょう」 「はあ……、分かりました」と、これで終わりである。 待合室で待っていると、看護師が次回の通院日の予約表などを持ってくる。すると、次回はCT検査をすることになっていた。 「あれ、聞いていないよ。うーん、本当にぶっきらぼうのうえに大雑把だね、はっ、はっ、はっ」 「すみません……」と、看護師は苦笑いをした。 私も沖田医師の頭の中では、少々コミニケション不足ではあるが、考えを巡らしていることを感じていたので、不快感を覚えることはなかった。帰り道も、何とはなしに可笑しくなり苦笑いをするだけだった。
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