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作品名:癌再発記 作者:じゅんしろう

第5回   5
或る日、住吉さんがレジ係りの時に会話をした。
「久しぶりだね」 「ええ、カウンターの仕事もするようになって」
「神経を使うでしょう」といってあげると、「はい、そうなんですう」と、救いを求めるような表情になって甘え声でいった。 「頑張ってというしかないが、何か趣味を持ったらどう」 「ええ、ボーリングでもしようかと思っています」との返答に、「ほう、スカッとしていいかもしれないね」と応じたが、年を積み重ねた者と、これからの若い者との差を感じた。年配者はどうしても内向きになるが、若人は外に向かおうとする。
「そう、やってみたいと思ったら、なんでもトライしてみることだね」
「はい、ありがとうございます。あっ、床屋さんに行きました?」と、先日散髪してきた私の頭を見ながらいった。自分の苦労を理解してくれている言葉を掛けられて、嬉しかったようだ。彼女は悩み多き、若い娘さんなのだとあらためて思った。さらに八百屋に寄って、野菜を買おうとすると、一束百円でやけに細身のアスパラがあった。今のところ食欲があるので、眺めていると、「美味しいよ、端のところは捨てて炒めなさい」と、袋詰めなどをしている高齢の女性従業員がそういいながら、三束をテープで巻いて渡してくれた。私は内心、そのような権限があるのかと思いながら躊躇していると、「いいから」といったのでそのままレジに持って行った。 「これ、あのおかあさんがしてくれたのだけれど」というと、姉御肌の女将さんが、「あ、はい」といって何事もないようにレジを打った。
「あの、おかあさんは?」 「ああ、主人の母です」といった。そのとき、この店は家族経営であるということを初めて知った。何となく感じていた、店の和気あいあいという理由を知ったのである。もう私には無縁の世界であったが。
こうして、八百屋やスーパーマーケットの女性たちと軽い冗談をいったりして、努めて何事もなかったように気を楽にして生活することを心掛けた。今は高尚な話よりも、とりとめのない話しのやり取りの方が楽しいのである。
その当日になった。採血をして体重、血圧を測った。変化はない。待合室で待機していると、偶然小森さんが通りかかり、眼が合った。 
「お身体の加減はどうですか?」と、訊いてきたので、「再発しました」と答えると顔をわずかにくもらせた。一般人のように、大げさな表情の変化は患者には見せない。 
「ただ今回、点滴はしません」というと、「薬の服用だけですか」という。
酷い副作用からは解放されていたが、彼女は専門家である。実際の処、多くの症例を熟知している筈だ。自分の場合は如何なのかと、尋ねてみたい誘惑にかられたが止めた。それは医師の領域で、看護師としての越権行為であり答えることはできず、彼女を困らせることになるからだ。彼女は軽く会釈をして、戸惑い気味に私から離れていった。
私の順番になり現在の状況を説明した後、「では、このまま続けていきましょう」と、沖田医師は著しい症状の変化が無いと判断し、様子を見てみようということだ。これで今日の診察はあっけなく終わった。当分の間、三週間ごとの病院通い、ということになる。無論、前回起こった奇跡のようなことを望むのはまだ早いが、正直少しほっとした。
天気も良かったせいか、帰り道は何となく身体が軽く感じた。バス通りの向かい側に立って見た八百屋は、商品の品定めの人々で相変わらず繁盛していた。
最近の習慣として、通院の二日前は酒を飲まないようにしていた。若い時と違い、なんなく酒を止めることができる。三日ぶりということで、何種類かの酒のあてを買うことにした。今日のレジ係りは、女将さんだった。女将さんは逐一、「酒のつまみ、酒のつまみ、酒のつまみ、これも酒のつまみ」と声にだして袋に入れていく。からかっているのだろうが、親しみを感じて悪い気はしない。今夜は美味い酒になりそうな気がした。無論、深酒はできないが、嗜むていどでもこれまで通り飲むことができるのは有り難い。


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