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作品名:癌再発記 作者:じゅんしろう

第3回   3
抗癌剤治療に入ると、どのような副作用が身体に及ぼすか分からない。元気なうちに小樽の街を、運動を兼ねて散歩することにした。
海を見たいと思うと、運河などの観光地を通らなければならない。東日本大震災以降、日本人の民度の凄さを見て、感銘を受けたのであろうか、日本を目指してやってくる外国観光客が多い。それも全国各地に拡散しており、小樽も例外ではない。そこは人でごったがえしていた、という表現がぴったりであった。特に中国語と韓国語が飛び交っている。中国人は元気な人が多いようで、団体で歩き大声で話す。いい争いしているのか、と見ると目が笑っていたので、喧嘩でないことが分かる。韓国人の若い男性は似たような髪型が多い。さらにヒジャブといわれるスカーフを被っている東南アジアのイスラム教徒の女性も目立つ。日本人はその間を縫うように、ひそひそと話しながら歩いていた。私はまるで異国に来たような錯覚に陥ったほどだ。私は意識的に早足で歩いた。団体客を躱しながらであるから、しきりに身体を左右に動かさなければならない。結構な運動量で港の岸壁に着いたときは、額に浮かんだ汗を拭わなければならないほどだった。魚影が薄いのであろう、釣り人はいなかった。昔はこの時期、カレイ釣りで賑わっていた。今は海流の変化なのであろうか、すっかり様変わりである。私も以前は時おり釣りを楽しんでいたが、今はまったくしなくなった。私も老齢といわれる歳になった。自然も人間も時間という変化の渦に、否応なく巻き込まれるものなのだ。
凪の海のはるか対岸に緑鮮やかな増毛連山が見える。冬から春にかけては雪で白く冠しており、美しい。ふと、また見ることができるだろうか、と想った。真冬の増毛連山は美しいが厳しさも伴う。できれば春先の穏やかな陽に照らされ、白雪にぽっかりと覆われた山々を見たいと想った。そのとき、あらためて死に向かい会わなければならない、自覚を持った。
その帰り道、スーパーマーケットに寄った。住吉さんとは相変わらず、言葉を交わしていたが、レジ係り専門からカウンター内で顧客相手の諸仕事もするようになっていた。したがって、必然的にやり取りも半減していた。ただ、別のレジ係りの若い女性二人と口を利くようになっていた。一人は村中という名前の色白でふっくらとした顔のなかに可愛らしいおちょぼ口の小柄であるがボリュウムのある方である。話になかなかの機転の利く対応をする娘さんであった。小樽商科大学の三回生ということだ。必然的に授業を終えた夕方からや、日曜出勤が多い。丁度出勤していたので並んだが、治療を始める前に飲もうと思って買った酒を見て、「あ、また、薬ですか」といって笑った。以前のやり取りで、よくいろいろな酒を買うことから「これは百薬の長だ」と、私のいい訳じみた言葉に二人の間では、酒は薬である、ということになっていた。 
「余命一万日を切ってしまいましたものね」と、たたみかけてきた。冗談で、前に余命二十七年といっていたのであるが、代わり映えしなくなったので、変えたのである。二十七年というのは三年前に発癌した時期から三十年と見立ててのことである。これは昔、テレビの時代劇で老齢の母親が息子に、「母の命は長くみても残り後三十年の」と決め台詞をいう場面があった。そのときは私も若く実感が無かったが、その歳に自分もなった、ということである。だが、実際は後どのくらいの日々が残っているのか分からない。未知の日々を生きていくことになる。もう一人は野口というまだニキビが幾つか顔に浮かんでいる初々しい、今年高校を卒業した娘さんである。普通はそこで出会うことはない。だが、何処かの学校に通う為、学費の足しに、学校が休みの前日の土曜の夜と日曜日に、そのままアルバイトを続けるということである。どの様な学校に通うのかはあえて訊かなかった。親しくなったきっかけは、例によって軽い冗談をいう内に、自動車学校に通っていることを知り、色々とアドバイスを授けたことによる。ある日レジに並んでいたら、「報告があります」という。 「うん、何……」 「自動車免許を取りました」と晴れ晴れとした表情でいった。清々しい顔であった。
「おおー、おめでとう。どうりで自信に溢れた顔をしているなと思ったよ」
「本当ですか、へ、へ、へ」と、笑った顔が可愛らしかった。
娘さんたちとのやり取りは楽しいもので、ともすれば暗くなりがちの思いが一刻でも晴れるものだ。この娘さんたちとのやり取りも、後どの位続くのであろうかと考えてしまう。貴重でかけがえがない交流が出来るだけ長く続くことを願った。


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