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作品名:癌再発記 作者:じゅんしろう

第2回   2
私の住まいは店のすぐ裏ともいえる所にある。
ある時女将さんが、「家は近いのですか?」と尋ねてきた。
「驚くほど近い」と答えると、女将が弾けるように笑った。私が女将に軽い冗談をいうようになったのはそれからである。
それから二年が経っていた。野菜のほかに乾物や魚も売っているので、この店で買い物をすることが多くなり、常連客の一人になっていた。二人が私を見とめ、挨拶をしてきた。
「こんちわす」と社長がいう。私も同様に答えるが、社長と挨拶を交わすようになったのは、この半年ほどに過ぎない。冗談をいい合うに至ってはわずか数ヵ月前ほどである。
いつもと変わりない光景であった。ふと、これがいつまで続くであろう、と想った。彼らは私が末期癌であったことは知らない。無論、告げるつもりもなかった。だが、癌の再発となれば、今度こそ命の保証はない。何気ないやり取りも残り少ない、ということなのだ。笑顔を交わし合うことも後わずかである。複雑な気持で家に向かった。
 三日の間、私は何となく過ごした。ただ何事もなく淡々と日々を送った、とはいえない。心の中でわずかにさざ波がたっていたといえよう。医学の知識がない為、薄い影とはどのようなものであろうか、などとあれこれ思い巡らしても、想像でしかなく意味がない。またまた、胃カメラを吞まなければならぬことに、憂鬱になっただけである。
 当日はどんよりとした雲の肌寒い朝であった。厚手のジャンバーを着込み病院に向かったが、道々何度か身体を竦ませなければならなかった。
 病院内は混雑していたが、内視鏡検査の部局は静かなものである。少し待っていると女性看護師が、「お口を開けてください」と優しげにいい、口内に麻酔噴霧器をかけられた。これは胃カメラの管を入れ易くするための措置である。明りをおとした室内に入り、中年の男性看護師にいわれるままに診察台に横たわった。
「げっ、となり易くて」と、つい気弱にいうと、「皆そうですよ」と、大丈夫ですとの意味合いで答えてくれた。ベテラン看護師のようで、覚悟を決めることができた。
 口にマウスを咥えさせられ、沖田医師が無造作に内視鏡を入れた。喉を通過するとき、うっ、となる。「身体の力を抜いて、楽にして」と、医師がいうが、そうできるものではない。何度かその言葉を繰り返しながら、検査は進んでいった。
 ようやく、内視鏡が引き抜かれたときは、涙目になっていたが、ほっとした。
 「癌が再発していますね」と、医師は映像を身ながらあっさりといった。ある程度覚悟はしていたから、ショックはさほど受けなかった。
 「抗癌剤治療をしなければなりませんが、どうします?」
 この場合、必ず患者の意思を尋ねる。いつだったか忘れたが新聞記事で、医師の役目は治す手助けをするものだ、というような意味合いのことが書かれていた。患者自身の治そうという意欲が必要のようだ。
 「お願いします。ただ、また副作用が大変だなあ」
 「いや、今回、点滴治療はしません。未だ手足の痺れが残っているとのことでしたが、その原因はおもに点滴治療にあります。抗癌剤服用だけですと、かなり楽ですよ」といった言葉に、光明を見た気がした。昨今、過度に薬を服用することが問題になっている。本質的に薬は身体にとって異物である。何らかの副作用を伴うものだ。多種類の薬の服用を進めない医師は信用できそうな気がしたのだ。
 「そうですか、それは助かります。ただ、治療は来月からにしたい」
 「かまいませんよ、変わりありませんから」
 前回発病した時も、葛西医師が同じことをいっていた。抗癌剤治療は多少の時間は関係ないようだ。以前、癌の早期発見ということが盛んにいわれていたことがあったが、医学も日進月歩の速度が速まっているようだ。私自身もつかの間の心の準備が必要だった。という訳で、ゴールデンウイークの休み明けということになった。それまで十日間ほどの時間がある。二年半前のときは余命宣告を受けていた。そのときは本気で幽霊に会ってみたいと思ったが、今回はそれが無い。したがって、そのような心境にはなっていなかった。治療の経過の様子見といった処である。飲酒については、駄目な場合は止めますから、といわれたので飲むことができる。ただ室内を出たとき、看護師からは、「胃に出血がありましたので、ウイスキーなどはストレートで飲まないように」と注意された。胃カメラ検査をすることになったときから、ストレスでそうなった可能性もある。仕方がないので、当分の間アルコール度数の低いものを飲むことにした。余命宣告を受けてからも、五年、七年と生き続けている人がいると、よく耳にする。私もそのようなものかもしれないと、考えた。まだぼんやりとではあるが、どの道死から逃れることはできない、と思った。


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