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作品名:癌再発記 作者:じゅんしろう

第1回   1
余命宣告を受けた期限が過ぎてから、一年三ヶ月経った。
 酷い副作用に苦しめられたが、抗癌剤治療がよほど私に合っていたのか、癌が消えたのだ。その為、抗癌剤治療を止め、二ヵ月に一度の定期検査だけになっていた。副作用も軽い手足の痺れ程度でほとんど無くなり、通常の生活を営んでいた。酒も以前のように飲んでいる。ただ、いわゆる休肝日を設けていた。不思議なことにその日になると、年相応ということもあるのか、さほど飲みたいとは思わず、以前のように苦にはならない。このまま体調も安定した生活が当分続くと思っていた。
だが年に一回のCT検査の結果、胃に薄い影が見えたので胃カメラ検査をすることになった。ただ武藤医師が転勤になり、担当医が仲田という四十歳代くらいの人に代わっていた。CT検査をした時は武藤医師だったのが、その結果が分かる前に居なくなっていたから、まるで彼の置き土産のような感じを受けた。馴染んだ医師が変わるということは漠然とではあるが、いささか不安を覚えるものだ。さらに武藤医師は物腰が柔らかく、人懐っこい話し方をする人であった。初対面の沖田医師は口数も少なく、いささか突つきにくい印象を与える人である。不安を感じた一因のひとつでもあった。
私の現在の状態を聞くと、「和賀さん、明日にでも内視鏡検査をしましょう」と、カレンダーを見ながら事務的にいった。 「明日ですか?」
「ええ、早い方が良いです。あー、いっぱいか。では、この日が空いているな」と、検査の予定表を見ながら三日後の日時を示した。
「はあ、分かりました」と、私は答えたが、内心急なことでもあり、さらに胃カメラを吞まなければならぬことに、げんなりとした。あれは何度経験しても慣れることはない。
一度は覚悟を決めた身ではあったが、奇跡的な回復によりこの世に対して未練のようなものを持つに至ってもいた。これから如何なるのだろう、というのが逸わりない心境である。今年は例年になく雪の多い冬であったが、さすがに四月後半の今、残雪は無い。ただ、陽の光は弱くまだまだ肌寒い。暖かい陽射しが恋しいと思いながら帰路についた。
住まいの近くの小路の角に八百屋があるが、その姉御肌の女将さんと顔馴染みになっていて、時おり軽い冗談を交わすようになっていた。この八百屋さんは安売りを商売の柱としていて、繁盛していた。どちらかといえば高齢の客が多い。街の中心部にもう一軒系列店があり、週の後半には小柄な女性がそこから店内のレジ係りとしてやってくる。その時は女将さんがテントで囲われた店外に出て、もう一人の高齢の女性と一緒に野菜の袋詰めなどをしながら、客と応対をしているのだ。夕方になると高齢の女性の旦那が軽乗用車で迎えに来ていた。
その前を通りかかると、丁度、白色の普通乗用ワゴン車で仕入れてきた野菜類を、男性が店に運んでいる最中だった。女将さんの旦那であるが、皆は社長と呼んでいた。歳は女将と同じくらいのようだ。じつは、私は彼らの名前を知らないし、彼らも私の名前を知らない。互いにあえて名乗り合ってはいない。淡白な付き合い方といえるだろう。昔とは時代が違う、といえばそれまでだが、それでよいと思っている。口を利くようになったのは、私が胃癌を患ってからである。ただ間もなく死ぬ身としてはそれ以上の付き合いは止めておこうと考えていた。


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