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作品名:縁台の助五郎 作者:じゅんしろう

第3回   3
繁蔵は天保十三年七月の二日間、須賀山村諏訪明神境内において、相撲道の祖野見宿禰の碑を建てるという名目で盛大な花会を催した。これは渡世人同士への己の名前を売り込む為である。だが助五郎は、「来る親分連中はたかが知れた者であろう」と、軽んじた。
その読みが完全に外れた。上州から大親分大前田栄五郎、佐位郡の国定忠治、仙台の鈴木忠吉、信夫の常吉など名だたる侠客が参加したのである。助五郎、度肝を抜かれた。
病と称し、身内随一の子分永井ノ政吉を名代として出した。これが諸国のそうそうたる親分が居並ぶ席上で、国定忠治に面罵された。
「助ァどうした、何故来ない。俺等は大前田の大親分をはじめ、遠路を遥々と付き合いで来たのに、目と鼻の先の助ァが来ないっていうのがあるかよ。今にも死にそうなら、おいらァ香典を置いてくぜ」 忠治は剃り跡濃い強面で、俗に、にゃりと笑って人を斬る、といわれている男である、凄味があった。助五郎、大いに恥を掻いた。同時に、花会の盛況を目の当たりに見て、放っておけばいずれ繁蔵に縄張りを浸食され、潰されるという恐怖を覚えたのである。これが後の、大利根河原の決闘といわれる一因になった。
或る時、助五郎自身がこの花会のことが余程癇に障っていたのであろう、繁蔵の孫子分に当たる若い者を半鬢半山剃にしたことがあった。これは鬢から頭半分の髪の毛をむしり取る制裁である。大親分がすることではない。
「助のじじい、気が狂ったか」と、笹川側が憤慨した。世間でも顰蹙をかった。
ほどなくして、二つの勢力が相対峙する盛り場、清郷村岩井不動明王の祭りのことである。助五郎は祭りに野天博打を建て、鍋という子分に寺銭が入った袋を持たせての帰り道、真っ黒闇の中を何者かに背中を袈裟掛けに斬られた。
「誰だ!」と大喝し、刀を抜こうとした途端、また一太刀やられた。場数を踏んでいる助五郎は斬り手が手練れであるのが解った。暗闇で相手側の人数も知れない。咄嗟に場馴れている感が働き、田圃の中へうつ伏せになり、苦痛で顔を歪めながらも死んだ振りをしたのである。相手も手ごたえを感じたのであろう、さっと引き上げていった。その足音が聞こえなくなったのを確かめると、漸く田圃の中から血と泥だらけの身体を這い出した。
「鍋、鍋、何処だ!」と叫んだが返事は返ってこない。鍋は寺銭を持って逐電したのである。このことからも、日ごろの助五郎の人と成りが分かろうというものである。
斬りこんだ者は繁蔵一家の勢力富五郎あたりがやらせたのに決まっていた。助五郎と繁蔵が対峙する最前線の為、一の子分を配置していたのである。
十手風を吹かせてあれこれ探ったが、手掛かりが得られない。否が応でも両勢力は険悪になっていき、一発触発の状態になった。
「じっちゃん、まだかい」と、ふいに耳元で惣坊の声がした。
掻くのがいつもより長いので、焦れたのである。
「おお、すまんこっちゃ」というと、助五郎は下帯の間に挟んである巾着を取り出し、銭を一枚一枚数えながら、惣坊へ手渡しで割増の駄賃を支払った。
惣坊は銭を渡される都度、首を小さく傾け確認する。受け取り終わると、その手をきっちりと握りしめ、ぺこりとひとつお辞儀をして小走りに走り去っていった。その後ろ姿に向かって助五郎が、「また、たのむじゃ」と声を掛けた。背中の痒みはすっかりと取れていたが、なおも縁台に腰掛けたままで、繁蔵とのことを考え続けた。
子分同士の小競り合いが起き続け、お互いに半鬢半山剃の制裁などがたびたびあった。その都度、銚子の大親分木村屋五郎蔵などが仲に入って収めていたが、ついに抑えが効かなくなった。助五郎自身が新興勢力に縄張りを侵され、やがて滅ぼされるという恐怖感に苛まされ我慢が出来なくなったのだ。
天保十五年八月六日の夜明け前、助五郎はついに御用召し捕りの名目を立て、繁蔵一家に斬りこみを決意した。
不意打ちのつもりであったが、繁蔵側も日頃の探索に抜かりはない。一説には、放っている狗の知らせか或いは内通者があったという、待ち構えていたのである。
繁蔵が七月二十七、二十八日の諏訪明神の例祭に賭場を敷き、江戸相撲の興行もした。あいにくの雨で興行は伸びたが、八月二日に奉納も済み相撲取りも帰った後、飯岡一家の企ての一報が入ってきた。それゆえ笹川一家は大騒ぎになったが、策を練る余裕ができた。
笹川一家には平田深喜という無宿浪人の用心棒がいた。すでに六、七年も繁蔵の食客になっていた。普段は笹川身内の若い者などに剣術の稽古を付けていたが、この頃病気で須賀山村から一里ほど離れた神代村の桜井という小さな尼寺(通称、桜井寺)で養生していた。近くに菅谷というこの辺りで唯一の医者がいたからである。労咳か、あるいは酒をよく呑んでいたというから、そのあたりが原因であろうか。無論、寝込んでいる訳にはいかない。知らせを受けると、すぐに駆け付け繁蔵を護衛した。
笹川一家は繁蔵の賭場も兼ねている住まい近くの西光寺に本陣を定めると、勢力富五郎、清滝ノ佐吉など主だった子分を集結させ、徹夜を続けて用心を怠らなかった。川岸の船着き場に見張りを置き、すぐに通報できる体制を取っていた。鶏が時を付けると、一同引き上げ昼間寝てまた夕暮れ時に、集まるという具合である。その朝どういう訳か鶏がいつもより早く鳴いた。一度引き上げようとしたが、夜が明けない。それで、また家に戻る者もいた。丁度その時、見張りの者からの知らせが入り、斬り込みに備えた。


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