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作品名:扶風の野良犬 作者:じゅんしろう

最終回   2
趙老人は善良であまりにも人が好過ぎた。多くの人に騙され金品を失い、女房にも愛想を尽かされ逃げられてもいた。時だけが過ぎていき、そして老いた。
私は、この世では受けられてもらえぬ人間なのであろうかと、絶望もした。しかしながら、それでもなお人間に一縷の望みを持ち、当てもなく生き続けてきたといってよい。どこまでも善人であり続けた。
こうして夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬になった。
西安のある同門の寺で大規模な法要が催され、和尚はかの僧侶を伴い出かけて行った。
冬になると寒さ故、人心も殺伐となる。老人は町に出かけ、寒空の中を日がな一日座っていたが、いつもより食べ物を得ることが少なく虚しく帰ってきた。
小堂の前では野良犬たちが待っている。中に入るとおもわず呻き、愕然とした。夜具が無くなっていたのだ。他の浮浪者に盗まれたに違いなかった。まさか寺院で盗みを働く者がいようとは思いもしなかったのだ。しばらく呆然としていたが、野良犬が待っていると思い直し、皿を持って外に出た。途端に尻尾を振って老人を見る、十の眼が有った。
「ごめんよ、今日はこれだけじゃ」といいながら、皿に分け与えた。いつもより少ないが、野良犬たちは黙って食べた。だが、老人の分は無く、その食べるさまを見ているだけだった。その時、野良犬たちはいつもと違う光景に、心なしか怪訝な表情を浮かべたようにも見えたが、黙って去って行った。
後片付けをしている時、空から白いものが降ってきた。
「雪か……」 老人の声はさすがに弱弱しかった。がらんとした薄暗い室内に入ると、寒さがいっそう身にしみた。火はもとより無かった。
その夜から大雪になった。老人は飢えと寒さに耐えながら、冷たい床にがたがたと身を震わせた。両手で懸命に全身を摩り続けたが、無駄なあがきであり身も心も凍り付くようだった。何かで気を紛らわす事も出来ず、ただただ耐え難い寒さに身を苛まされた。目を、ぎゅっと瞑り、たえず食いしばった歯の間から漏れるうめき声が、絶望で悲鳴に変わろうとしたその時、ふと温もりを感じた。おもわず目を開け見ると、いつの間にか周りを野良犬たちに囲まれていたのである。かれらは老人を助けようとしていたのだ。無我夢中で目の前の一匹にしがみ付いた。すると、その野良犬はさらに体を寄せてきた。それが合図の様に他の野良犬も体を寄せてきた。温もりが増した。少しは良くなったが、外の寒さはだんだん強くなってきた。それとともに室の中に入り込むすきま風も冷たさが増してきた。犬の温まりだけでは補えない、堪えがたい寒さであった。すると、野良犬は交代して温かみが老人に伝わるように試みてきた。こうして夜が明けたが、雪は降り止まずさらに寒さが増していった。かつてない大雪と寒さに町中が必死になって、自分自身を守るのに精一杯のようだ。
野良犬たちは必死で老人を守ろうとしたが、その甲斐もなく、だんだん体温が低くなっていった。そして数日後の良く晴れた日の朝、老人は野良犬たちに、「ありがとう、おまえたち……」と虫の息の中からいい、目頭に涙を滲ませて死んだ。野良犬たちはその後も数日間、うおおーん、と悲しげに哭き、吠え続けた。
その頃、漸く和尚と若い僧侶が帰ってきた。大雪で道を阻まれていたのである。
帰ると直ぐに、微かに野良犬の哀愁に満ちた、地を這う様な遠吠えが聞こえてきた。二人は胸騒ぎを覚え小堂に向かった。
二人が中に入ると、野良犬たちがお悔やみをするように首を垂れ、すすり哭くように低く吠えていた。すると、あたかも二人を待っていたかのように、ぴたりと止んだ。
夜具もなく冷たい床に横たわっている趙老人の遺体を見とめると、すべてを理解した。
「可哀そうに……」 若い僧侶がおもわず呟いた。
その日の内に趙老人の遺体は小堂の傍に埋めた。数人の者らが埋葬の作業をしている間、和尚と若い僧侶は読経し続けた。
野良犬たちはその様子を離れたところで見ていたが、すべてが終わると何処かへと去って行った。その後、二度とその野良犬たちを見た者はいない。


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