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作品名:扶風の野良犬 作者:じゅんしろう

第1回   1
これは魏の時代の話である。扶風(今の陝西省宝鶏市の西部)の町外れに大和寺という寺院があった。その広い境内の片隅の古い小堂に、春の終わりころから、一人の老人が住みついていた。
 老人はひっそりと暮らしていて、初めは寺院の誰もが知らないでいた。老人は朝になると何処かへ出かけ、夕方帰って来るという日々を過ごしていた。
 その存在を知ったのは寺男によってであった。夕方近くになると、何処からか四、五匹の野良犬が小堂の辺りに集まるのを時々見かけるようになったからである。
或る日の夕方、寺男は小堂の近くの木立の影に身を潜ませ様子を窺うことにした。
野良犬たちがやって来た。ただ騒ぐこともなく、大人しく小堂の前に座り込むように何かを待っているかのようだった。ほどなくして身なりの貧しい老人が小さな包みを持ってやって来た。すると野良犬たちはみな尻尾をふった。老人は一度小堂に入り、古ぼけた幾つかの小皿を持って出てきた。途端に野良犬たちの尻尾の動きが強まった。皆心なしか嬉しそうな表情をしているように見えた。包からそれぞれの小皿に餌を分けると老人は、「おあがり」と優しくいった。野良犬たちは一斉に食べ始めた。それを愛でながら、自身も包からわずかな同じ残り物を取り出し、幸せそうな表情を浮かべて食べだした。野良犬たちは食べ終えると、声を上げることなく静かに去って行った。老人も食べ終えると小皿を集め後片付けをして、また小堂に入って行った。小堂を住まいにしているのは明らかである。
寺男はその有様を親しい若い僧侶に告げた。心優しい僧侶は捨て置くこともできないので、次の日の夕方、二人で木立の影から声も立てず様子を窺った。その様子は前日と同様であった。老人が断りもなく住み家にしているのであるから、本来なら追い払わなければならない。だが、彼は老人と野良犬の様子を見て憐憫の情を覚え、それができなかった。
次の日、寺の和尚に相談した。
老人と野良犬の様子を熱心に語る若い僧侶の話を聞き終えた和尚は興味を覚え、自身で状況を探ることにした。その日の夕方、三人は同様にして様子を窺った。それは前日と同様であり、和尚も若い僧侶と同じ気持ちを覚え、さらにより深いものを感じた。
野良犬たちが去り、老人が後片付けを始めると、和尚が進み出て行った。
老人は和尚を見止めると、恐れる様に身を縮めた。
「貴方のお名前は何と仰います?」と、和尚は優しく聞いた。
「あ、はい。趙といいます」と、老人はおびえる様に答えた。そのいい方は、今まで何処でも追い払われてきたことを物語っていた。その身なりから、物乞いで生きていることは、聞くまでもなかった。
「貴方は野良犬に餌を与え、その後、自身が食べておられる。どの様な訳で?」
「はい、私は仏教に帰依し、生き物を慈しみ、こうして縁ある犬に餌を与え続けておりました。そうしますと私自身が救われるからでございます」
老人はとつとつとした話し方だが、嘘偽りが微塵もない語り口であった。
和尚は感じ入り、「夜具は有りますか?」と、尋ねた。
「いえ、有りません。あ、滅相もないことです」 老人は和尚の意図を察したのであろう、断りの言葉をいった。
「遠慮は無用です。夜具をここに運んでください」と、寺男に指示をするや、また老人に向かい会い、手を合わせると一礼してその場を離れた。
その夜、老人は何年かぶりに柔らかく暖かい夜具で眠ることができた。
その後も老人は朝になると町に出かけ、物乞いで食べ物を得、あるいは僅かな金を得ることができた時、餌を買い求め、野良犬たちに餌を与える、という生活を繰り返していた。
和尚はときおり、「趙老人に変わりはないか?」と、かの僧侶に聞く。
「はい、変わりございません」と、しばしば老人の様子を窺っている僧侶は答える。いつとはなしに、二人だけで交わされる問答であった。
和尚は考える。 仏門に入る我らとて、所詮は人々の情けで生かされている。
若い僧侶は考える。 我らも托鉢により糧を得て生きている。あの老人と何の変わりがあろうか。
我らも趙老人も同様に人々に生かされ、修業しているのである。
二人の心の中でのやり取りであった。


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