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作品名:余命宣告 作者:じゅんしろう

第6回   6
病院から住まいまでは歩いて五、六分と近い。バス通りから路地に入ると直ぐである。その入り口の角に八百屋がある。店を構えてから五年ほどになるが、近くに大型のスーパーマーケットがある為、人通りが多い。薄利多売の営業方針のようで、それが当たって繁盛していた。客は年配者が多い。私は時折買う程度の客であったが、道路に面した野菜展示品場で、姉御肌の大柄な中年女性が接客をしている処が目に入った。その活き活きとした客とのやり取りに、何故かほっとした。別世界を見ているような気になったのである。
?生きていればこその人生か。 そう呟くと、私の心の中に、ある微妙な変化が起きた。
家の中では病院に持ち込む為の何冊かの本を選ぶと、後は何となく過ごしただけであるが、気分転換にはなった。時間が無く、希望の無い残りわずかな人生であるが、最期の時を迎えるまでしっかりと生きてやろう、との思いが芽生えつつあった。
病院に戻る前、八百屋に寄り蜜柑を買った。店内にある会計所ではもう一人小柄な女性が居り、並んでいる客の買い物品を逐一声に出し、手際よく計算してレジ袋に詰めてゆく。その声が耳に心地よく、帰りの道すがら余韻が残った。
それから数日後、例の工事が完成するころに私は退院した。これからは四週ごとに通院生活を送ることになる。ちなみに病院は予約制である。
帰ってから、何をするでもない日々を送った。ただ、朝、昼、晩の薬の服用が嫌だった。特に朝と昼の抗癌剤などの各種類の量の多さには参った。その他、何やら訳の分からない薬を飲まなければならない。無論、薬の説明は受けていたが、印象としてそのような感じだった。晩だけが、胃の薬一錠だけで済むので、ほっと一息がつける。
そうしている内、死んだらどうなるのかということに関心を持つようになった。死後の世界があるとか、霊魂があるとか、いや、死んだら塵になるだけだと色々いわれている。私はすでに棺桶に身体半分入っているような気持になっていたので、幽霊という存在があるのであれば、心の準備の為、その世界のことを尋ねてみたいと本気で思った。したがって、暗闇がまったく怖くなくなっていた。夜間に家の墓がある霊園に行ってみようかとも考えたが、墓地は天狗山山麓の高台にあり、歩いて向かうのは体力的に無理だった。仕方なく、仏壇がある真っ暗な隣の部屋に入り、その前に座っていると目が慣れたのか幾つかの位牌が薄ぼんやりと見えた。それらをじっと見つめ、出来れば父親に会いたいと思い、その時を待ったりもした。無論、姿を見せることはなかったが。
或る穏やかな天気の日、久しぶりに散歩をした。抗癌剤の副作用が顕著になれば、それも困難になるであろうことは分かっていたので、ゆっくりと街を味わう様に眺め歩いた。街なかにある、或る公園を通ったときだった。平日なので人影はなく、私一人だった。樹々も葉が抜け落ちだした、隙間風吹くような秋の寂しい景色である。ふと、その樹の隙間から空を見てみた。すうっと、流れるような白い雲が見えた。おもわず美しいと想った。樹々に邪魔をされない場所に身体をずらし、空全体を眺めまわした。いろいろな白い雲がゆっくりと空を流れていた。これほど雲が美しいと感じたことはなかった。ただ茫然としたといってよい。するとある爽やかさを身体に感じ、自然と涙が滲みでた。そして、嗚呼…、と心の底からため息をついた。死への心構えができたように覚えたのだ。その日から、美しい雲を見るため毎日のように散歩に出て雲と空を味わった。
こうして日々が過ぎてゆき、また通院の日が来た。


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