生きている苦しみから解放されたいとの思いがあったが、亡くなった母が生前、お前は自殺をしては駄目だよ、といわれていた。それが遺言になり、その為そのことを守った。だが、今度は病死である。せめて苦痛の伴わない安らかな死を迎えたい、というのが本音であった。死に向かい会っていても、比較的落ち着いていられるのは、その思いが強いのだろう、と感じていた。 それにしても力のある眼だなあ、と思いながら薬剤師の説明を聞いていた。自分は今どの様な眼をしているのであろうか、多分弱弱しい眼であろう、と思い、今を生きている薬剤師の眼が羨ましくなった。 最後に、「分からないことがありましたら、何でもおっしゃってください」といい、頑張りましょう、とはいわなかった。そのことに、ある意味で好感を覚えた。 田尾さんが去った後、室内は比較的静かであった。他の患者は今の境遇を淡々と受け入れているのであろうか、それとも人間本来の特性であろうか、と、色々考えてしまった。 点滴が済み終わるまで、ときどき看護師が血圧や脈を見に来る。段々と血圧が上がってきた。薬の副作用で一時的なものであるという。人それぞれ違うが、私の場合はこれからどのような副作用に見舞われることやら、と前途多難な気持になった。 終了近くに小森さんが様子を見に来たので、かねてからの疑問を尋ねてみた。それはピロロ菌除去から一年足らずの、癌再発についてである。 「ステルス癌でしょうか」 「ステルス癌?」 「ええ、飛行機でステルス機というのがありますでしょう。医学雑誌で読んだことがありますが、ずっと奥深くに隠れていて、稀に突然現れるということがあるのです」 「ほう、珍しいことなのですね」 「はい。ただ人間の身体は未知のことだらけですから」 これで一つの疑問が解けた、と思った。やはり同じ死ぬのでも、理由を解明して気持ちをすっきりさせたかった。これは同時に、無意識に生きることに未練があるのかもしれない、とも思う。人間の心理も謎だらけである。自分自身でさえもステルスだな、と、ひとりごちた。 部屋に戻り、すこし経つと昼食になった。すでに頭が重く吐き気の症状が出ていた。その為予想していたとはいえ、やはり食欲は無かった。セットされた食事が目の前に出された途端、駄目なのである。デザートに二切れの林檎があったので、それを食べただけに終わった。夕食も似たようなものだった。果物を口にしただけである。日に日に副作用が酷くなるであろう、と容易に想像がついた。こうして入院一日目が終わった。 手術がない為、薬を飲む以外特にすることがない。本を読んだり、テレビを見たり、ぶらぶらとしていた。定期的に看護師が血圧などを測りに来るが、葛西医師は必ず朝食前に様子を見に来る。一言二言言葉を交わすが、彼なりの熱心さが伝わってきて小気味良い。 一條さんがやって来て、「明日日曜日は私も休みですから来られませんが、お加減は如何ですか?」と訊いてきたので、「今は軽い吐き気だけですが、これからどの様な副作用が出てくることやら」と答えた。 「そうですね、人それぞれですから。お薬で胃癌が小さくなれば良いのですけれど」 「末期癌ですから、どうなるのでしょうね」というと、一條さんの顔がドキッとしたように変わった。私が末期癌と宣告されたことを知らなかったか、淡々とした態度で接しているから、深刻な状態であることを忘れていたのかも知れない。 日曜日は休館日でもある。病院内は閑散としていた。昼食はわずかに口を付けただけに終わった後、広い休憩室に行った。室内は明るく、二、三組の見舞客がおり小声で話していた。窓際にある椅子に座って外を眺めた。小樽の街は両側を低い丘陵で括られており、その先は石狩湾に連なる海である。街や片側だけが見える緑濃い丘陵は陽で明るかった。 紅葉になるのはまだ先だな、と救われたような気持になった。明るい景色は気分が良いものである。一時的でも、自分が癌患者であることを忘れさせてくれる。ただ、部屋に戻ると一人である。見舞客はいない。自業自得とはいえ、私の人生とはいったい何であったのかと考えてしまう。また日が暮れ、一日が終わった。
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