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作品名:余命宣告 作者:じゅんしろう

第3回   3
九月初旬、私は入院した。来年の今頃、遅くてもその年末にはこの世の人ではない。
四階にある病床は予想していた大部屋ではなく、個室であった。これも特別に末期癌患者である為かと考えたが、そのことに対して担当の看護師に質問することはしなかった。担当看護師は一條という名の細面の三十歳代の女性であった。当然私の病状は承知しているはずである。この様な時の看護師は患者に対して優しい。知らず緊張していたのであろう、ほっと、一息つくような感じに身体が包まれた。すぐに抗癌剤の点滴はしない。まず、胸の中にホールといわれる器具を埋め込む。従来の腕からの注入では液体漏れの恐れがあり、それを防ぐためだ。その後は抗癌剤を吞むむという段取りだ。明日その手術をする。従って初日は血圧や体温測定をしただけで終わった。食事も問題はない。
夕方に葛西医師が様子を見に来たとき、白菊会に入会の手続きをしたといったら、意外に思ったのか驚いたような表情を見せた。 
「私が死んだら、そのまま大学に搬送してください」
「はい…、分かりました」といい、私に何かを感じたようで医師は深々と頭を下げた。
 次の日、手術室に入った。担当医は以前世話になったことがある外科医の綿貫という医師である。この人は童顔の太めの人で、何となく表情に愛嬌がある。私もこの医師と接していると安心感を覚え好感を持っていた。
 ただ、執刀は綿貫医師ではなく若いインターンであった。部分麻酔の為、二人のやり取りが耳に入ってくる。インターンが経験を積むため、自ら申し出た、ということである。
 最初は綿貫医師も穏やかに教えていたが、時折、「駄目、駄目、そうじゃない」という言葉が耳に入ってくる。インターンはその都度必死になっているのが分かる。ただ、経験不足はどうしょうもなく、時間がやたら掛かった。私は献体の手続きをしている身である。が、生前から献体をしている気になり、やり取りがおおむね漫談口調であったため、何となく可笑しかった。この時点において、私は自分でも落ち着いていると思った。ある程度の年齢を重ねている為であろう、とも思った。
 二日後、抗癌剤点滴のため、化学療法室なる部屋に入った。そこには数人の女性看護師がおり、患者の世話をする。すでに三名の患者がいたが、驚いたことに十床ほどもあった。いかに癌患者が多いのかが分かった。薄いグリーン色のカーテンで仕切られている隅のベッドに横たわった。
 担当の看護師は小森という褐色な肌をした、四十代くらいの年齢の女性であった。他の人とのやり取りから、この室の責任者のようだ。
 「和賀さん、よろしくお願いします」といい、穏やかな口調で投与について説明してくれた。看護師は患者に対して不安を与えてはならない。ましてや、私は末期癌患者である。そのことは徹底しているようだ。この優しさの中で死んでいくのも悪くないと思った。
 点滴は二時間ほどかかる。その間、読書やイヤホーンでテレビを見ることも出来る。私は持参した本を読むことにした。中国の歴史書である。今更この類の本を読んで、どうする、という気もしないではないが、人間は死ぬまで知識に対する欲求があるようだ。若いころから本を読むのが好きであった。乱読といってよい。ただ、歳と共にその範疇が狭くなった。歴史書など好きなものしか読まなくなっていた。例外として、事業の失敗から仏教関係の本も読む様になっていた。何らかの救いを求めていたのだ。入院に際して、その何冊かを持参している。近年、良寛和尚のことが書かれたものを好んで読む。読むうちに、その人格に触れたとき、目頭が熱くなることが多々あり、必読書になっていた。無論、良寛と私とでは比べるべくもないが、孤独の中で生きたことに共感を覚えることがあった。
 「和賀さん」と呼ばれた。顔を上げると真剣な眼差しのマスクをした女性であった。それを外すと、「薬剤師の田尾といいます。薬の説明をさせていただきます」といった。
 「そうですか、よろしくお願いいたします」 三十歳代と思われる薬剤師は色白で華奢な身体つきである。真面目な性格なのであろう、終始眼を見開いて熱真に説明してくれた。
目の前に出された各種薬剤の量の多さには驚いてしまった。四週間飲み続け、また点滴を打って錠剤を服用する、という繰り返しになる。癌治療は日進月歩で、以前の抗癌剤は注射だけだったのが、薬剤との組み合わせである。人により薬が合う、合わないという問題がある。余命宣告を受けても、何年も生きているという人の話を聞く。私の場合はそのことよりも、幾度も経験している副作用の苦しみから逃れたいとの思いが強い。これは体験した者でなければ分からないであろう


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