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作品名:余命宣告 作者:じゅんしろう

第2回   2
私はその時、自分でも意外なほど動揺はしなかった。或る意味、他人ごとのように医師の言葉を聞いていた。早い再発に疑問があったが、寿命という言葉が脳裏を横切った。
その葛西という医師は三十歳代半ばようでありまだ若く、今風のざんばら髪で現役バリバリ最前線に立っている、という様な印象をいだかせた。仕事柄、多くの癌患者を診ているはずである。だが、癌患者に対して同情しているという印象はない、小気味良いくらいであった。内面はともかく、医師としてどれが最善の治療方法であるかを模索している、という力強さを感じさせた。
医師は病巣の映像を示しながら、どうします、というように私を見た。
私は即断して、「では、抗癌剤治療をお願いします」といった。半年では身の回りの後始末に時間が足りない、と考えたからである。
妹弟はそれぞれ本州で家庭を築いている。義理の叔母である秦野とき子はすでに地方に住む子供のところに身を寄せていた。この小樽の地には血縁者はいない。完全に一人であった。今更妹弟に末期癌であることを告げる気にはなれなかった。医師に聞くと、最期近くになると病院で死を迎えることになるらしい。それまで知らせないことに決めた。
最初の抗癌剤投与のとき、身体への影響や状態を見るためもあり十日間ほど入院することになった。ただ、すぐに入院するという訳ではなく、三週間ほど先である。
「少し、心の整理の時間が欲しい」というと、医師は黙って頷いた。
「治療は早くても多少遅くても変わらない」と医師はいったが、余命が残り少ないのであれば同じことであるからか、と思えなくもない。だが、あえて聞かなかった。
以前より、ひっそりと生きひっそりと死んでいくだろう、と思っていた。とうとうその時が来た、と感じた。その間に身の回りの整理することにした。
まず、私が死んだときの為の用意をした。以前から、葬式はするつもりはなかった。 
日本には医学研究の為の献体制度がある。白菊会といい、大学病院が運営する組織であったが、申込者が多く休止しており、空き待ちといった処であった。申し込みが多いのは,経済的な理由もあれば、葬儀に関しての考え方の変化もあるであろう。私の場合は事実上身寄りが無いということである。寂しい限りというほかはない。献体の役目を終えた後、二、三年してそこで火葬され、引き取り手があれば遺族の手で埋葬される。なければ、大学にある共同墓地に埋葬される。早速インターネットで調べてみると、丁度申込を再開していた。直ぐに申し込み手続きをしたが、待っていたかのようだったので、初めて私の死が現実味を帯びたような感じを覚えた。
家の中の物は母が亡くなった後、アルバイトをしていたことがあるリサイクルショップに頼んで大方の整理はしていた。もともと私は物に執着するタイプではないので、私用の物は少ない。塵として捨てるものは捨て、本格的な整理は少し病状の様子を見てからということにした。人との付き合いは限られていたが、それとなくお別れをいうことなど、その他のことも同様にすることにした。入院するまでの期間、病院で渡された薬で胃の不快感はなかった。ただ、抗癌剤の副作用の酷さは経験済みであったので、それだけが憂鬱であった。だが、それから逃れるすべはない。
それにしてもと思う。私の人生はいったい何であったのだろう。今更詮無いことであるが、出直すことなく朽ち果てようとしている。人生の結論を得ることなく、明らかに失敗人生だった。それが私の器量といえばそれまでである。そのようなことを想い続けた。結局、何となくぼんやりとした日々を無為に過ごしただけだった。


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