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作品名:余命宣告 作者:じゅんしろう

第16回   16
当日になった。診察室に入ると、にこやかな表情の綿貫医師の顔があった。
「和賀さん、癌細胞ではありませんでした。多分そうであろうと思っていましたが、転移ではないです。このまま様子を見てみましょう」といい、にっこりと笑った。
「そうですか、胸のしこりは副作用の一種でしょうか?」
「ううむ、そうですね、それは何ともいえません。」 次の診察は二ヵ月後である。
「ありがとうございます」 私は深々と頭を下げた。癌消滅は一時的なものかどうか誰にも分からないであろう。特に私の場合は、ステルス癌である。今後、どのように状況が変わるか分からない、という事情をかかえている。先ごろ某有名女優が、全身癌細胞に蝕まれていたが、抗癌剤でどんどん消えていく、という発表があった。私と女優には共通した体質を持っているのかも知れない。それだけ各自が持ちあわせている、人間の体質は神秘的なものなのだ。ともかくも、難関は突破したのである、正直、ほっ、とした。
抗癌剤を服用しなくなってから、副作用がだいぶ和らいだ。特に顕著なのは味覚障害が無くなったことだ。これは有り難い。さらに冷たいものもなんなく喉を通り、オンザロックでウィスキーも飲める。ただ、ぴりぴりとした手足のしびれは依然とあり、足の浮腫みは酷かった。全身に毒が廻り侵されているようなもので、副作用は恐ろしい。通院日の日、採血の順番を待っていたら小森さんが通りかかり、互いの眼が合い近寄ってきてくれた。抗癌剤治療をしていないので、最近会う機会が少ない。
「癌が消えたと聞いておりますが、お加減はどうですか?」 
「吐き気が薄らいできていますので、暮らし易くなっています」
「それは良いですね。今日は採血の他にポートフラッシュもするのでしょう?」
「ええ、そうです」 抗癌剤治療をしない場合、胸に埋め込んだポートの洗浄をする。
「ポートを取り外すことはできるのでしょうか?」
「いえ、一度取り付けると、取り外すのは…」と、少し困ったようにいった。
末期癌になった者はどうなるか分からないのであろう。言葉の加減から、一生付き合っていかなければならないようだ、と受け取った。
「その他はどうですか?」 「足の浮腫みが酷いですね」
「抗癌剤を止めてから副作用の影響が消えるのは、掛かった期間の二倍といわれています。先生には症状を遠慮なくおっしゃった方が良いですわよ」
「そうします、ありがとう」 「ではこれで」といい、去って行ったが随分気に掛けてくれているのが嬉しく、後姿を見送った。診察では、小森さんの勧めもあり足の浮腫みを訴えると、利尿剤を出してくれた。医師より小森さんの方が頼りになりそうだ。
その帰り、スーパーマーケットで蕎麦の買い物をしていると、「お蕎麦好きなのですか?」と後ろから声を掛けられた。振りむくとにこにこ顔の住吉さんだった。その時初めて気が付いたのであるが、単にふっくらとした顔立ちではなく、顎のあたりがきゅっとしまっていた。この前、スリムな印象を覚えたのはそのせいでもあるかも知れない。
「ええ、麺類が好きですね、特に蕎麦が。それよりも今発見したのですが、住吉さんのこの辺りがチャームポイントですね」といいながら、私は右手で自分の顎を萎ませる仕草をして見せた。 「いやー、そんなこと」といいながら、住吉さんは弾ける様な笑顔を見せた。若い娘さんの笑顔や仕草は何ともいわれぬ癒しを覚え、救われる。
「ううむ、やっぱりスリムになっている。何かしている?」といってあげると、「何にもしていません。でも、嬉しい!」と、今度は声を上げてまた弾ける様に笑った。
私はその時、今しばらく若い女性の笑顔を見ていたいという、願望を覚えたのである。


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