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作品名:余命宣告 作者:じゅんしろう

第14回   14
特殊な映像検査をする日になった。例によって食事制限など、あれこれ制約がる。検査前に特別な液体を飲まされた。尿を排出し、体内を撮影し易くする為らしい。頭のてっぺんから足元まで念入りに撮影をした。検査結果が分かるのは一週間ほど掛かるということなので、今日はこれで終わりである。胃の癌が消えたことで死の淵からはい出る希望が出てきた訳だが、それはそれで新たに不安が生じることになった。達観した心境が崩れ、生きることに足掻きだしたということだ。再発し余命宣告を告知されとき暗闇を恐れなくなったが、今の心境はどうか分からない。ただ、暗闇に身を置こうとは考えなくなった。
通院日にはまず採血をする。また今日は採血だけでなく隣接している室でポートの洗浄をした。これは抗癌剤治療をしない場合、月に一度清潔を保つ為である。この頃になると名前は分からぬが顔馴染みの女性看護師もいて、軽い冗談を交わしたりもしていた。中年女性であるが、面白いことに、前任の担当医師だった葛西医師の様にざんばら髪で仕事熱心な方だ。ただ、常にマスクをしているので素顔は見たことが無い。密かに年齢不詳のマスク美人と呼んでいた。当人に何か良いことがあった様で、私の冗談に、わーっ、と声を上げ叩く真似をした。他の看護師たちは、何事か、というように私たちを見たほどだ。
何となく不安の中にも楽しい気持ちも生じ武藤医師との診察に臨んだ。
「いろいろ書かれていますが、結論として検査結果は、全身において癌の兆候は見当たらないということです」と、検査表を示しながらいった。表を見ると、びっしりと何やら書かれていた。この様な場合、丁寧な医師の説明は不可欠である。ひとまず、ほっとしたが、「血液検査の腫瘍マーカー(癌細胞の有無)も基準値以下で良いですが、今度は腸の検査をしましょうか」といった。これは肛門から内視鏡を挿し込んで検査するのである。
「それが良ければ、癌消滅ということですか?」
「ううん、まあとりあえず、といった処ですかね」と、断言はしない。人間の体質は個々に違い、分からないという処が本音であろう。また抗癌剤治療はしないことになったので、気分良く帰宅した。途中、例の八百屋で買い物をしたが、この頃になると、一言二言言葉を交わすことが多くなった。私は感染症予防の為、外出時マスクをしていることが多い。それを見て、「風邪、なかなか治らないようですね」と、姉御肌のお姉さんがいう。
「うん、マスク美男子に見えないかと思って」と答えると、あっ、はっは、と豪快に笑った。近頃、いろいろな人に軽い冗談を、さらっといえるようになった。ちなみに、小柄でやや若い方の女性は、お姉ちゃん、と呼んでいた。この女性二人はそれぞれ成人の息子がいる。今を生きている人たちだ、と羨ましい気持ちにもなったりした。あの世に行くつもりだったのが、この世に未練を持ち始めたという処であろうか。気持ちに変化が生じたことには、自分でもどうすることもできない。悟りを得た聖人君子とは違い、人間らしいといえば、そういえるかもしれない。内心、苦笑いをするだけである。
何事もなく過ごしていたが、通院日が近づくにつれ億劫になり憂鬱になった。というのは当日の朝、自宅で特殊な下剤薬を飲むように指示されている。検査をする為には腸内の便をすべて排出しなければならない。複数回に分けて飲むため一時間ほどかかるが、これがなかなか厄介なのだ。以前、一度病院で飲んだことがあり経験済みであるが、時代の変化により自宅でやるようになったのだ。正直、やれやれといったところである。
そんな或る日のことだった。スーパーマーケットの住吉さん担当のレジに並んで順番を待っていると、彼女の表情にある違和感を覚えた。何であろうと思いながら、私の番になり彼女が私を認め可愛らしいアヒル口で笑ったが、顔立ちに憂いがあった。これまでにない少々痩せた印象を与え、恋をしている美しい女性の眼であった。
? 好きな男ができたか、うまくいけば良いな。 そのように思ったが、つい一年ほど前死を宣告された身にとって、何ともいい難い想いにとらわれたのも事実であった。
「スリムになりましたね」と、いってあげると、「いやー、そんなことありませんよ」と、彼女は表情を一変し、破顔した


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