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作品名:余命宣告 作者:じゅんしろう

第11回   11
スーパーマーケットに行き、娘さんと一言二言言葉を交わす、ただそれだけであるが今の私にとって唯一の楽しみといえた。これではいけないことと分かりきっている。だがどうすれば良いのか、座して死を待つのも嫌である。悶々とした日々を送ってはいたが、鬱にはなっていない。とっくに死の覚悟はできていて、残り短い生活をどう過ごすのか、という問題である。時間的なことから、そろそろ身の回りの整理も考えなければならないが、まだ踏ん切りは付かない。いろいろと模索していた毎日であった。
そんな或る日のことである。スーパーマーケットには娘さんの姿は無かった。店は年中無休のシフト制の勤務であるから休みのようだった。買い物を済ませ店を出た時、前方から、若く大柄な女性が左右に幼い女の子と手をつなぎ、胸には赤ん坊専用の用具で抱きかかえて四人連れでやって来た。昔は赤ん坊といえば背中におんぶであったが、いかにも現代風である。その姿を見た瞬間、たくましいなあ、と思わず感嘆してしまったのである。若い母親が子供を育てるその姿に接し、目から鱗が落ちた想いだった。思いがけない出会いであったが、相手は私がどう感じて見たかを知る由もない。仏教用語に一期一会という言葉があるが、こういうことかとあらためて感じた。その親子連れに感謝の念をいだき、四の五のいわず、淡々と残りの時間を生きようと想った。
二、三日経って、またスーパーマーケットに買い物に行くと、私はエスカレーターに乗り、丁度娘さんが階段を下りてきてすれ違った。一階に放置された利用客が使った商品用のカートを、手の空いたレジ係りの人が集め収納していた。すれ違いざま眼が合ったので、挨拶を交わしていたが何となく気になり、二階に上がると一階を見てみた。すると、娘さんも二階を見ていて、明らかに私に対して微笑を送り返してきたのである。この出来事が私と娘さんのやり取りの進展であった。二、三日経って店に行くと、娘さんはいつもの通り私に対して微笑んだが、途端にひとつ、ふうっ、というように溜息をついた。その瞬間、娘さんが私に何を求めているかを理解した。人間はいつも笑顔でいられる訳はない。仕事柄、客に不愛想な顔を向けることはできない。自然と疲れが出てくるものである。真面目な性格であればあるほど、そのジレンマに悩んでいるのかもしれない、と感じた。私は娘さんの三倍余りの人生を生きてきた。といって訳知り顔で、偉そうに訓示めいたことを垂れるつもりはない。またその資格もない。ただ何か伝えることがあれば示してあげたいと想った。
或る日、またレジを離れたところで会うことがあった。
「いつもにこにこ接していてくれると嬉しいし、こちらも楽しいものですよ」といってあげると、「そうですか!」と、ぱっと顔が明るくなった。やはり娘さんは疲れ、想い悩んでいたようだ。誰かに心の訴えを聞いてほしかったのだ。同時に、以前思い出せなかった笑顔の正体が分かった。それは某菓子メーカーの有名なマスコット人形の笑顔だった。私が子供の時から見ている笑顔である。長い間、日々変わることのない笑顔であった。だが生身の人間はそうはいかない。人は笑顔に隠された中に、何らかの悩みを抱えているものだ。そうやって生き続ける。ましてや若い身空だ。老齢の私には分からぬものを抱えているであろうことは容易に想像がつく。あらためて娘さんを見つめてしまった。ただこれだけのやり取りであったが、私の意図は伝わったと想った。その時、初めて胸に付けている名札を見た。住吉という苗字であった。折に触れてこのようなやり取りを交わしてあげたい、また冗談もいってあげよう、と、そのようなことを考えるだけで少し楽しくなった。かつては、さほど冗談をいうような人間ではなかったが、残り少ない命を有意義なものにしたいと願った。無論、今まで咄嗟に冗談など出る生き方をしてきた訳ではないので、通じるかどうかは分からない。多分ぎこちないものになるであろう、だが、そう考えるだけで楽しいのである。無意識、意識的に関わらず孤独な自分が癒しを求めているのだ。今やりたいことをやる、自分に正直になったと、確信した。


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