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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第8回   8
数日後、鴻池の体力はだいぶ回復したので早速、恩師である高瀬を訪ねたが、蒲団のすぐ側の座椅子にもたれ、紅葉が過ぎ落ち葉で枯れた庭をぼんやりと眺めていた。寂しい景色であった。奥さんの話だと風邪を拗らせてから、このような日々が多くなった、と言った。高瀬も八十歳を幾つか超えていた。
「先生、お久しぶりです」 鴻池が挨拶すると漸く気がつき、「よう、久しぶり」と友達に交わす様な答え方であった。あの厳格であった教授時代とは打って変わった表情を見せた。
 「先生、私ですよ、鴻池です」 「鴻池君?ああ、失敬、失敬」と、我に返ったように、「飯岡のことを考えていたもので、てっきり彼かと錯覚をしてしまったのだよ。私もそろそろお迎えが来るかな」と、自嘲気味に言った。 「先生、まだまだ、元気でいてください」
 「ところで、用件は?」 正気に返ったようで、以前の表情に戻った。
 「はい、磐乃の遺品の中に、ヘブライ語のような文字で書かれたものが有りますが、まったく歯が立ちません」と言いながら、自身が書き写した用紙を高瀬に渡した。
 高瀬はじっと見ていたが、「おーい、かあさん。来てくれ」と、奥さんを呼び、「奥村の遺品を持ってきてくれ」と命じた。その間に、鴻池は四国に秘宝の探索をしてきた事、そこにロリー・チャート家の者がいて、同様に探索をしていたことなどを話した。高瀬には全幅の信頼を置いているので正直である。
 奥さんが小さな段ボールを抱えてきた。 「これは二年前に死んだ、奥村という友人の遺品でね。形見分けに貰ったものだ。北大の教授をしていたのだが、言語学が専門だった」と言いながら、段ボールの中をごそごそと調べ出した。 「おう、有った」と言い、二冊の古化けた本を取り出し、鴻池に渡した。 
 「それは、ラテン語とヘブライ語の比較を表したものらしいのだがよく分からん。君にあげるから、役立てて欲しい」 「宜しいのですか」  「ああ、かまわんよ。それが秘宝の探索に一役買ってくれるなら、嬉しい。何よりも金には代えられぬ夢がある。三千年以上にわたる夢があり、男のロマンそのものだ。 それに少しでも係わることが出来るならば、あの世で飯岡とそれを肴に酒を酌み交わせるというものだ」
  「先生、そんなことをおっしゃらずに、もっと長生きしてください」
「鴻池君。私の周りの者は、みんな死んでいく、私も例外ではない。先の大戦では、多くの若者が亡くなった。この年寄りが生きながらえている。内心、忸怩たるものが有るのだよ。今日の君の話は面白い。せめて、最後の思い出にそのことを想像し考えるのも悪くない」と言って、にっこりと笑った。
鴻池は恩師の久しぶりに良い笑顔を見た気がして、高瀬の家を辞した。その夜、鴻池と惣佐衛門は額を突き合わせるようにして、高瀬から貰った書類に見いっていたが、如何せん素人の悲しさで如何にもならない。やはり、専門家に翻訳してもらわなければならない、という事で一致したが、後ろで軽やかな笑い声がした。代わりのお銚子を運んできた久子だった。近頃、なにごとにも積極的だった。
 「お父様とおじさまが額を寄せ合うようにして、お話をしていらっしゃるから。仲の良いことですこと」
 「そうか、はっ、はっ、はっ」と、こわもての惣佐衛門も娘の久子には適わない。
その時、銚子を置きながら、「あら、これはラテン語とヘブライ語ではございません」と久子が声を出した。
思わず二人は久子を見返した。 「どうしてそれを?」と惣佐衛門が問うと、「女学校時代に担任でいらした、好きな黒木先生のお家に何人かでお訪ねたしたことが有りましてよ。その旦那様が、東京の大学教授をなさっておられたのですが、先の大戦で小樽に疎開されて北海道大学で教鞭を取られ、終わった後もそのまま残られましたの」 「言語学が専門ですか?」 鴻池は或る思いを持ち質問してみた。
「いえ、英文学ですが、趣味でそちらの二つを研究なさっておられたとか。英語はギリシャ語だけでなく、ヘブライ語とラテン語からも発生したものと、おっしゃっておりましわ」 二人はまた顔を見合わせた。
 「灯台下暗しとはこのことだね」 惣佐衛門はそう言ったが、鴻池は磐乃の何らかの力が働いている
気がしてならなかった。生死を彷徨っていた時磐乃が夢に現れ、ヘブライ語を示唆したのが何よりの証拠だと思った。磐乃が現れたのは、決して夢などでないと断言出来た。
 「久子さん、その教授は今も北海道大学で教鞭を取られておられるのですか?」
 「いえ、今年退官され、小樽の先生の実家にそのままお住まいと聞いております」
「是非、そのお方とお会いしたい。住所を教えてください」と言いながら、惣佐衛門を見て同意を求めた。 「久子、お父さんからも頼む。是非お願いする」と頭を下げた。
「まあ、お父様とおじさまのお二人にお願いされたら、何とかしなければなりませんわ」
 久子の承諾を得て、後日鴻池と一緒に女学校時代の恩師の家へ、伺う事になった。
久子が部屋を去った後、二人はあらためて見合った。
「久子は何処か浮世離れしたところがあったが、意外にも一般人的なところもあって、とても嬉しいよ」と、父親として惣佐衛門はそう言ったが、鴻池は目に見えない磐乃の力によるものだと、確信していた。偶然にしては出来すぎているからである。三日後、鴻池と久子は住吉町という高台から海が一望できる家に窺った。黒木は古武士を感じさせる佇まいの人であった。奥さんは反対に気さくな人柄の様だ。男と女は陽と陰であり、無意識に互いに補うものを求めていのかも知れない。鴻池はすぐに本題に入らず、世間話から入っていった。道々、久子の話から一通り人物像を聞いてはいたが、口が堅いか見極める必要がある。持参した文章が世間に、ぺらぺらと触れ回れては困る性質のものかも知れないからだ。
 黒木はもともと九州宮崎県の出だという。子供たちは東京住まいと言った。存外話し好きであるが、退官したら人と接する機会が激減するからだろう。 「巡り巡って、北の大地が安住の地になろうとは思いもしなかった。ふっ、ふっ、ふっ」と含み笑いを見せ、鴻池が持参した和菓子を箱から取り出し久子と話し込んでいる、台所にいる奥さんを見た。黒木独特の愛情表現の様だ。
 鴻池は久子が見込んだだけあって、なかなかの人と見極め、本題に入った。
 「じつは、或る人の遺品の中にこのような文章が有りました。が、どうもヘブライ語のようで、皆目見当がつきません。その遺品を受け取った方は、信心深く、呪文か何か、よほど気になると見えて、知り合いである私に頼んできたのです。そこで親しくしていただいている久子さんのお父上に相談しましたら、久子さんのお知り合いに翻訳できる方がいるかもしれない、と、先生の名が浮上し、お願いに上がった次第です」と、小さな嘘を交えて、用紙を渡した。
黒木は書かれた文字を目で追いながら、「たしかにヘブライ語です。専門的になりますが、古代イスラエル王国が滅亡した後、ほとんど使われなくなり、旧約聖書の中だけで生き続けてきた言語です。イエス・キリストはヘブライ語のアラム方言、あるいは単にアラム語を話したといわれています。遺品を受け取った方は、信心深いお方といましたが、どちらにお住まいですか?」 「積丹半島の古平町です。禅源寺という禅宗の大黒さんです」 老婦人は今も健在である事は御機嫌伺の電話で確認してある。鴻池は、そういう処は抜け目がなく、辻褄が合う様にしている。 「亡くなられた方も、古平町の方ですか」 「はい、そうですが結婚を機に、小樽に住んでいたそうです」 「その方の旧姓のもともとの苗字は何といいますか?」 「はい、婿養子を取りましたので、苗字は変わらず羽倉といいます、先祖は和歌山県の有田市の出で、元々は糸我稲荷神社の社家をされていたということです」 黒木は次々と興奮気味に質問してきた。 「ほう、和歌山県ですか。そして稲荷神社の社家とは、ううむ……」 何か重要な事が書かれている様だと、鴻池は直感が働いた。 
「鴻池さん、これは呪文の類ではありません。空海(弘法大師)の名前も書かれています」
 「えっ、空海ですか?」 「はい、何やら秘宝という文字も読み取れます」
 「秘宝!」 「ええ、詳しく調べ翻訳するのに何日かかかるでしょう。私に預からせてください」
 「それは構いませんが、ご迷惑になりませんか」 「とんでもない、このような面白いこと、是非やらせてもらいたいと、此方から頭を下げたい位です」 「いや、ありがたい。是非お願いします」
 後日、翻訳出来たら惣佐衛門の処に連絡してくれるようにと依頼して、黒木の家を出た。
やはり磐乃が夢うつつの中で現れたのは、この事であったのだ、とあらためて確信した。
 惣佐衛門が帰宅すると、早速報告したが、秘宝や空海の文字が有るという事に、少なからず興奮したようで、「うむむ…」と唸り腕を組むや、「鴻池君、これはひょっとしたらとんでもないことになるかもしれないね。男のロマンを掻き立てられる。出来るなら俺も参加したい位だ」と、羨ましそうに言った。
 数日後、黒木から翻訳が出来たと連絡が有り、また、久子と二人で向かった。この間もそうだったが、道々若い男達が久子とすれ違うたび振り返る。久子は若さゆえの初々しさが漂うだけではなく、その美しさが男を引きつけるのである。鴻池は結婚していたら同様に年頃の娘がいただろう、と思い、自分の甲斐性の無さを今更ながら悔やんだ。
ただ、この男達が振り返る程の美貌の娘に育った事は惣佐衛門に黙っている事にした。知れば屋敷から出さないかもしれない。惣佐衛門の父親としての顔を思い浮かべ内心苦笑いをした。
 黒木の家に着くと興奮気味に、「待っていました」と言い、居間に招き入れた。
 久子と奥さんはまた台所に行き、話し始めた。話の邪魔をしてはいけないと気を遣っている様だが、その後も内容を質問する事はなく中々賢い娘だった。
 「鴻池さん、これには大変なことが書かれていました」 黒木はじかに翻訳した用紙と、ヘブライ語の下に日本語を当てた二枚の用紙を渡した。鴻池はじっと読んでいたが、まさしく驚くべき内容だった。


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