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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第30回   30
農家に帰ると二人はすでに農作業から帰っていた。「風呂沸かしてあります、どうぞ」と片桐が進めるので、家から少し離れたところに連れて行き、「アダムスとは話が付いた。明日、迎えの者が来るそうだ。それを見送った後、私もそのまま小樽に帰る。片桐くんの荷物は此処に送るから」
「はい、お願いします。荷物と言ってもバック一つだけですが。それよりもう帰られるのですか」
「ああ、これ以上居ても、お二人さんに当てられるのは敵わんからね。それから、富田宮司に二人のことは話しておいた。とても喜んでいたよ」 片桐は照れながらも、「私は糸我稲荷神社の氏子に成ろうと思います」と言った。その意味がすぐ分かったので、「それは有り難い、是非そうしてくれ。田宮さんも喜ぶだろう。さてと、風呂に入らしてもらうよ」と行きかけた背中へ、「今夜、仮祝言の宴会ですからね」と、片桐のいつにない明るい声が飛んできた。
翌日の昼少し前、診療所に行くとすでに迎えの黒の大型車が来ていた。待合室でアダムスが待ち構えていた。鴻池のボストンバック姿を見るや、「小樽に帰られるのですか」と訊いてきた。
「奈良で一泊してそれから帰ります」 「ああ、私は京都から汽車で東京に向かいます。奈良までは途中ですから送ります、是非」 「では、お願いします」 「喜んで。あれ、もう一人の方は?」
「彼は此処に残ります。じつは或る農家の部屋を借りていたのですが、そこの女性と結婚することになったのです」 「おお、ロマンスですね。」 「何が起きるか分からないのが、男女の仲です」
「はっ、はっ、はっ」と、二人は期せずして、旧知の間柄の様に同時に笑った。
車中で、「私は治療の為、一旦帰国します。ただ、司令官の命令で今度は朝鮮半島に赴任することになりました。帰国する前に一度韓国を見てこい、とのことです」と、忌々しそうに言った。
朝鮮半島は金日成率いる朝鮮民主主義人民共和国と、李承晩政権の大韓民国の南北に分断されている。米ソ対立の縮図とも言えるもので、情勢は混沌としていた。
鴻池はマッカーサーがアダムスの怪我を理由に、厄介払いしたのだと考えた。やはり、これ以上の好き勝手は見過ごせないのであろう。
「それでは、会う機会も限られますね。韓国へは何時?」
「東京へ帰ったなら、一両日中に行きます。それから、一段落がついたら必ず会いに来ますよ。そして、その時が来たなら這ってでも」と言って、いたずらっぽい顔を鴻池に向けた。
最後の言葉の意味は二人だけにしか通じない。鴻池は苦笑せざるを得なかった。
奈良の法隆寺(別名斑鳩寺)まで送ってもらった。聖徳太子ゆかりの寺である。
別れ際、アダムスは車の窓を開けると、「その時が来たら、必ず。楽しみにしています」と、また念を押してきた。 「ええ、稲荷神社に誓って」 その言葉にアダムスはにっこりと微笑み、車は去って行った。それが最後の別れになった。
秦河勝は聖徳太子(厩戸皇子)の強力な支援者になった。生涯を戦いに明け暮れたと言ってもよい。境内の金堂や五重塔を巡りながら、川勝は太子とどの様な事を語ったのであろうかと、思いを巡らした。太子は仏教を広めようと、各地に寺を建立している。従って河勝は、イエス・キリストを祀る稲荷神社を建立する事を遠慮したのではないだろうか。それ故、息子の継手の代まで待ったのかも知れない。アダムスがそうであるように、精神的支柱は人間にとって必要不可欠なものだ。秦氏にとって、稲荷神社がそれに当たる。継手に代替わりしても、まだ太子への遠慮が残っている。尚且つ秘宝の問題がある。それで、熊野古道の外れに稲荷神社を建立し、秘宝を埋蔵したと考えられる。
河勝は秦氏一族の長として、太子は日本国の長たらんとしての立場がある。そこには越えられない微妙な違いがあった。秦氏一族はユダヤの流浪の民である。この地を安住の棲家として、一族の地位を確固たるものにする為腐心した。河勝には重い使命があったのだ。たとえ太子といえども秘宝の事は秘中の秘であった。戦い事の教訓として秘宝を安全な処に隠す事を決意し、子の継手に託したのだ。それゆえ秘宝は千三百年前、糸我稲荷神社に埋蔵されたのである。そして今、最後のレビ族の伝道者であった羽倉磐乃との不可思議な縁により、悠久の時を経て我々が発見したのだ。そう考えたら、何やら呆然となっていく自分がおり、立ち竦んでしまった。
三日後、鴻池は船中の人になった。すでに小樽を離れて一ヵ月程になっていた。本州はすでに夏である。さらに暑さが増していく。北国で生まれ育った身には耐えがたいのだ。風が爽やかなデッキに出てみた。夏は涼しい小樽が良い、と思っていたら、遠く上空から音が聞こえてきた。上を望むと、空高く飛行機雲が西へ伸びていた。何となく、アダムスが乗っていそうな気がした。彼とも不思議な縁であった。最初は反目し合った間柄であったが、今は再会を約束し合う仲である。いずれは同席して、文化的、世界的に重要な会見の日が来る。別れてまだ日も浅いのに、いつその時が来て会えるのかと感慨に耽った。
小樽に帰ったその足で、聖櫃を撮ったフイルムを渡す為、惣佐衛門の会社に寄った。事務所に入ると、何か騒然としていた。惣佐衛門は不在だったので顔見知りの女性事務員に聞くと、今日六月二十五日未明北朝鮮軍が韓国領に侵攻し、戦争状態になっている、と不安気に言った。惣佐衛門は情報収集の為、報道機関や経済界の会議所に行ったのだ。
朝鮮戦争勃発である。金日成が宣戦布告なしに北緯三十八度線を越え、韓国領内に攻め入ったのである。一時は東南の一部を残して韓国全土を席捲するという勢いであった。その後連合軍が盛り返し、北朝鮮領深く攻め入ったが中国共産党軍が参戦し、一進一退を繰り返した。その戦いは、千九百五十年六月二十五日から千九百五十三年七月二十七日に休戦するまでの三年余りに到る。
事務員から聞いた瞬間、アダムスが危ないと、と心の内で叫んだ。首都のソウル市に滞在すると言っていたからである。三十八度線からソウル市は目と鼻の先と言える。巻き込まれるのは必定なのだ。
アダムスの安否を気遣っていたら、息せき切って惣佐衛門が帰ってきた。
「今日帰ってきました」 「おお、ご苦労さま。聞いたか?」
「ええ、聞きました。アダムスが戦乱に巻き込まれた可能性があります」
「何、アダムスが。如何して?」 そこで経緯を説明した。
「ううむ、そうか。今はGHQも混乱しているだろうから、すこし落ち着いたら、安否を確認してみよう。それにしても思わぬことになったものだ」 「まったく、そうですね」
「今は私も色々と情報を収集したり、どのような状況になっても対処出切るように、手を打ったりしなければならない。悪いが明日の夜、家に来てくれるか、酒を飲みながら報告を聞きたい」 「分かりました。これは例の物です」と言いながらフイルムを渡すと、「おお、そうか」と、顔を一瞬赤らめたが、「では、明日の夜」と、実業家の顔に戻った。
その後里枝の待つ家に向かったが、道すがら惣佐衛門の関心は、朝鮮半島の戦線で一杯なのであろう、と考えた。何故なら、もし戦乱が長引けば物資の調達をしなければならない。そうなると隣国である日本からという事になるからだ。当然、大量の運搬手段は船舶になる。それは莫大な金が動き、日本経済が潤うのである。事実そうなり、後に朝鮮特需と呼ばれた。
里枝は自分の顔を見るなり、抱きついてくるかと思ったがそうはならなかった。
「あら、お帰り」と言っただけだった。拍子抜けしたが、お互い中年の分別をわきまえている。
「今夜、片桐さんも呼んで、帰郷祝いでもしょうかしら」
「いや、彼はもう此処には来ない」 「どうかしたの?」
それから、経緯を話した。 「そう、結婚したの。良かったわね」と言い、鴻池を見た。貴方はどうするの、と、問うている眼であった。 「私も借家を引払い、ここに住もうかと思う、どうだろう?」
「どうって?」 「一緒にならないかといっているのだよ、駄目か?」
里枝の顔は見る見るうちに紅を差すように赤くなり、「良いに決まっているじゃないの」と言うや抱きついてきた。やがて顔を離すと、「今夜は御馳走よ」、と半泣きで言った。


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