二人は作業に取り掛かった。見当は付けているが、やみくもに掘っては労力と時間の無駄である。まずは農作業用の穴掘り用具を用意した。これは、地下に石槨が埋められてあればそれに当たるからである。当たりが無ければ別の場所を掘り、それを繰り返す。この事は以前飯岡が教えてくれた、群馬県にある日本三大古碑の一つである多胡碑の事がヒントになった。聖櫃を埋める場合、この地域は雨量が多く湿気がある。腐食の事を考慮すれば必ずや石槨、或いは石材で囲い納めたであろうと想像できるからである。ただ、千三百年前の事であるからどの位の深さに埋めたのか、地層の変化の事も考慮すると、どのくらいの深さになっているか見当もつかないというのが実情であった。その為、取りあえず惣佐衛門に別に長い穴掘り機を依頼していた。 まず、三柱鳥居の中心は神坐である。その地下に十中八九聖櫃が埋蔵されているはずだ、と踏んでいる。以前調べておいた、比較的草木の少ないところがそうであろう、と見当をつけ、その周辺の草木を刈り取る作業に取り掛かった。江戸時代に三柱鳥居が取り壊されたといっても、ゆうに百年間は過ぎている。他の場所より少ないとはいえ、覆い繁った樹木を取り除くだけでも一仕事である。数日間は有するであろう、と額の汗を拭きながら鴻池は考えた。 聖櫃の大きさは長さ百三十センチ、幅と高さ八十センチ、それに二本の棒が取り付けられていると言い伝えられている。棒の長さは分からぬが、約二メーター五十センチといった処であろうか。 「お昼にしませんか?」と宮司から声が掛かった。上を見上げると、樹木の間を幾筋もの木漏れ日の中に強い陽の光が見えていた。夢中になっての作業であったから、時間の経つのが早かった。 社殿の中庭にある井戸で上半身裸になって水を浴び、汗を拭った。 「生き返りましたね」と、片桐は冷たい井戸の水を飲みながら言い、白い歯を見せた。 社殿の中の風通しの良い中庭に面した一間で、涼を取った。 間借りしている農家で作ってもらった握り飯を頬張っていると宮司がお茶を運んできた。 「先ほど氏子の一人が来て、何の作業をしているのかと聞きに来たので、三柱鳥居の調査だといって、ひとくさり語って聞かせましたよ」 「ああ、その説明が良いですね。皆さん、かつて江戸時代に有ったと聞けば、納得されるでしょう」 「そうですな、何しろ田舎ですから、変わったことがあれば、この辺りの人たちは興味津々ですよ」 「後は、アダムスですね。どう出るか、彼なら我々が何をしているかは、ピンと来ているでしょう」 「そうですな。ただこの辺りの者が見張っているようなものですから、滅多なことは出来ますまい」 「はい、今のところは。虎視眈々と何処かでじっと様子を窺っていることでしょう」 「発見した後が、一勝負ですね」と、片桐は両手の指をぽきぽき鳴らしながら言った。 午後から同様の作業に取り掛かったが、根が奥深く張り巡らされていることもあり、進捗状況は捗らなかった。こうして、一日目の作業を終え農家に帰った。 夕食の支度はすでにできていた。正代はまだ野良仕事から帰ってはいなかったが、「風呂沸いていますから入っておくれ」と、洋子が言った。撒き風呂を炊くのは自分の仕事だという。それを聞いて、片桐はおもわず俯き、その目に光るものがあった。 「鴻池さん、先に入ってください。私が湯加減を見ます。洋子ちゃんは休んでいていいよ」 「でも、母ちゃんにいわれているし」 「いいのだ、私が後でお母さんにいっておくから」 そのやり取りを聞きながら、「では、先に入らせてもらうよ」と、鴻池は片桐の気持ちを慮って風呂場に向かった。湯加減は丁度良く、ゆっくり浸かって昼間の汗を洗い流した。ただ、久しぶりの肉体労働で、今宵は筋肉痛に悩まれそうだと思った。歳を感じざるをえなかった。 「湯加減はどうです?」 外から片桐が声を掛けてきた。 「ああ、丁度いいよ」 「そうですか…」と言ったきり黙り込んだ。やがて、片桐は問わず語りに身の上話を始めだした。 「自分はもともと長野県の田舎の水呑百姓の出なのです。子供の頃から野良仕事を手伝わされましてね、嫌で嫌でしょうがなかったものです。ずっと海に憧れていました。食えなかったものですから、一家上げて思い切って東京に出てきました。自分は海軍に入りました。しかし先の戦争の東京大空襲で家族は全滅でした。生き残ったのは自分一人です。田舎に居れば死ななかったものを…」 後は言葉にならず、低い嗚咽が聞こえてきた。鴻池は、「言葉がありません」と言うのが精一杯であった。あらためて夥しい人々にとって酷い戦争だったのだ、との実感をいだいた。 片桐は胸の内を打ち明けたからか、気が軽くなったのであろう、吹っ切れた表情であった。 夕食も片桐の発案で、皆で一緒に摂る事になった。正代は初め驚いたようであったが、片桐に押し切られた形になった。まだ、お互いにぎこちなさがあったが、終わりの頃は随分と打ち解けていた。 その夜は昼間の疲れからかぐっすりと寝た。 次の朝、予想していたとはいえ身体は筋肉痛で悲鳴を上げていた。庭の井戸に行くと、すでに片桐が顔を洗っていた。 「身体、大丈夫?」 「はい、鍛えていますから」と快活に笑った。良い顔であった。 食堂では正代が朝餉の支度をしていた。皆で食べる食事はやはり美味い、と鴻池は思ったが、心なしか正代の片桐に対する態度が昨日とは微妙に違うようであった。その時は、歳が近い男女間のいせいであろうと、思っただけであった。 その日夕刻近く、ようやく草木を取り除く目星がついた。明日、整地をして、穴掘り用具での調査をする予定である。鴻池は惣佐衛門に状況を報告する為早めに切り上げ、井戸で身体を拭いた後電報局に一人向かった。農家からは少し離れたところにある。汗を流した後のあぜ道の独り歩きは心地よく、のんびりと風景を楽しみながら行った。何処かで、アダムスの眼が光っているであろうが、今はどうする事も出来ない。嵐の前の静けさといった処であるが、緊張感の中にも妙な落ち着きがあった。 農家に帰り、風呂を浴びた。夕食の支度はすでにできていた、片桐は洋子と何やら楽しそうに話していた。洋子もすっかり打ち解けた様子を見せている。片桐は子供に好かれる才能でもあるのか、と思ったが、正代も二人の様子に目を細めていた。好かれるのは子供だけではないようだ、と鴻池は内心苦笑した。美味い夕食の後、借間で電報を打った帰りに買い求めてきた酒を、打ち合わせがてら二人で呑んだ。やはり、探り当てるため用では、今有る穴掘り用具では短いであろうというのが、二人共に一致した見方であった。それも、惣佐衛門が準備して送ってくれる長い用具でも難しいのではないのか、という勘も働いていた。それは盤座用になるだろうが、いずれにしても掘ってみなければ分からない。苦労して掘り当て、それをアダムスに鳶に油揚げがさらわれぬ様留意して、細心の注意を怠らず払っていくことになる。 翌朝、少し早めに洗面の為井戸に行ったが、片桐の姿が見えなかった。食堂にも居ず、何処に行ったか分からない。洋子が一人で忙しそうに立ち働いていた。 「洋子ちゃん、もう一人のおじさん、知らない?」 「えっ、あの…、その…」ともじもじしていた。 片桐に口止めされているのであろうが、直ぐにピンときた。案の定、片桐が一人で農地の方から鍬を抱えて帰って来た。正代を手伝っていたのだ。鴻池を見止めると、罰の悪そうな顔を見せた。 「本来の仕事に支障がなければかまわないよ」 「すみません」と頭を下げたが、鴻池は内心、微笑ましかった。無用の詮索をしてはならない、農家にとって男手は必要なのだ。戦後の混乱期はまだまだ続いていた。 仕事は予定通り進み、午後から穴を掘り進む作業に入る処までいった。 昼食を摂っている時だった。宮司が何やら古文書らしきものを抱えてやってきた。 「鴻池さん、ついに三柱鳥居を取り壊した時の記録を見つけましたよ」 聞けば、あれから古文書を漁るように探していたという。見せてくれた古文書には、神坐の石を取り除いた時、不思議な事にその下がまるで光沢のある真新しい土であったと、書かれていたのである。 「携った人々が一様に驚いたとあります」と宮司は興奮気味に喋った。そうなれば、惣佐衛門に頼んだ長い穴掘り用具は必要ない事になる。ただ、盤座での調査には必要であろう。 「聖櫃の成せる業でしょうか?」 かつて、摩訶不思議な事象を目の当たりにした鴻池にとって、素直にその記述を信じ、核心に近づいて来たという実感を得たのである。 「おそらくそうでありましょう。まことに神秘的なことであります」 「そうなれば、今もそうかもしれませんね。それを目当てに掘り進めばよいということになります」 「神坐までの深さはそうでもないと思いますので、今一度全体的に削るように掘って整地しなおし、気を付けて見ていけば良いのですね」 「そうだね、片桐くんのいう通りだ」 午後の作業は予定を変える事にしたが、より信憑性が増してきたと確信した。
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