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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第20回   20
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五月末、鴻池と片桐は敦賀行きの船舶に乗った。小樽の桜はすでに散り、さらに北上し桜が開花していくが、それも終焉である。本州はとうに新緑の季節で海から眺める陸地は緑一色と言ってよい。
鴻池にとって三度目の敦賀行きであった。最初の航路からすでに半年以上の時が過ぎていた。
陽光の下、デッキで心地よい風に当たりながら物思いに耽った。
? 最近は月日の経つのを早く感じるようになってきた。磐乃の事件から足掛け十年だ。そういえば、解決したのもこのくらいの期間ではなかったか。そうなると、この件もそろそろかも知れない。問題はアダムスだ。あの後、惣佐衛門さんに電話連絡があったが、天野とはとっくに縁を切り、当方では一切係わりがない事である、と、高飛車の一点張りだったという。こういう時の欧米人は決して非を認めることはない。謝罪は負けと考えている様だ。日本人とは思考回路や人種が決定的に違う、とあらためて思わざるを得ない。ただ、久子さんにはもう手は出せないであろう。以前、いつかゆっくりと酒を酌み交わしてみたいものだとの思いが、吹き飛んでしまった。マッカーサ―は必ずやアダムスの動きを注視し目配りしているであろうと思うが、甘い期待の他力本願は止める事にしよう。現地に行ったならば、何が起きるか分からず、心して掛からねばならないだろう。まずは富田宮司の説得に専念する事だ。
あれこれ思い巡らしていると、片桐が近づいてきた。
「鴻池さん、社長は上手くアダムスの監視をかい潜れるでしょうか?」
「大丈夫だと思うよ、あれからアダムスもなりを潜めているようだから」
久子拉致未遂の件から何事も無く、周辺から影の様なものも感じることなく過ぎていった。だがユダヤ民族は執念深い、油断は禁物である。必ずやどこかで見張っている、との細心の注意と考慮が必要だ。従って、久子には外出を極力控えるように指示していた。片桐の問いに、大丈夫、と答えたが一抹の不安は拭えない。出発前、黒木にこれまでの経緯と、熊野古道へ向かうことの報告をした。その時、「ユダヤ民族は永い風雪に耐え抜いてきていますから、日本人のような甘い思考は無いといっていいでしょう。その点は心して掛かってください」と、黒木は厳しい表情で念を押したのである。
惣佐衛門は新たに太平洋航路の開設を計画していた。その調査の為、社員を引き連れ他社の船に乗り東京に向かっていた。その間、堂々とアダムスに身を晒すことになる。ただ、東京からは惣佐衛門一人が密かに高野山に向かい鴻池たちと落ち合う手筈になっていた。そこから糸我稲荷神社まで南下し、いっきに富田宮司に承諾を得ようという計画なのだ。そうなればアダムスといえども、うかつに手が出せないだろうとの読みである。だが一介の会社員の身分である鴻池と片桐では信用度が違う。その為、実業家である惣佐衛門の肩書と相手側に対しての裏付けが必要なのだ。惣佐衛門自身も世紀の大発見に、現場で一役買う事に興奮し血が騒ぎ肉躍る思いであった。歴史に己の名前を刻むことが出来るのは、男にとってこの上ない喜びなのだ。東西の洋は違えども、神聖なる秘宝である。特に聖櫃は神輿の原型であり、今では日本文化そのものになっている、興奮せざるを禁じ得ない。
東京での視察や調査を終え、一人京都行きの夜行列車に乗った。アダムスの眼を逸らす為、洋服も目立たぬものに着替え注意を払っている。仮に気付かれたとしても、その時はその時だ、と腹を括っていた。この時、惣佐衛門と鴻池は互いに知らぬまま、同時に人生の結論を出そうとしていたのだ。
翌朝、京都に着いた。鴻池との約束の期日までまだ日時があった。予てより、秦氏の氏寺である広隆寺に行ってみたいと思っていた。寺には十善戒の言い伝えがある。モーゼの十戒を日本的に表したものである。それと、二体の国宝弥勒菩薩半跏像があり、一体は宝冠菩薩、もう一体は宝髻菩薩である。共に霊宝殿に安置されている。その宝冠弥勒を見るのが目的だ。右手は頬に軽く当て思索を示し、左手は開いて組んだ足に、そっと添えられている。菩薩の微かに微笑んだ表情が美しいと言われていた。惣佐衛門にとっては右手の印が重要である。キリスト教の三位一体を表し、秦氏がユダヤ・キリスト教徒たる由縁であった。実際、中央アジアの壁画に、弥勒菩薩はイエス・キリストの再来図として描かれ今に到るまで残っているのだ。
広隆寺は秦氏の根拠地であった太秦の近くにある。境内に入るとすぐ十善戒の掲示板があった。人を殺すな、ものを盗むな、淫らなことをするな、などと書かれてあった。事前に調べていたモーゼの十戒と比較するとこれら半分ほどが合致する。後の半分は東西の洋の違いか、宗教上の理由からの違いであろう、内容が違っていた。空海の真言宗にも十善戒があるが、広隆寺と似たようなもので日本的なものである。印象として秦氏と空海は強い何らかの繋がりがある、と惣佐衛門は確信した。
霊宝殿の中央に目指す宝冠菩薩が安置されていた。赤松材の一木造りで諸説あるが新羅系といわれている。もう一体の宝髻菩薩は表情から泣き菩薩とも言われ、クスノキ材で日本製である。
宝冠弥勒を見て呆然となった。初めて仏の慈悲の美というものを感じたのである。レオナルド・ダヴィンチ作のモナリザの微笑みという世界的に有名な絵画がある。何度か写真で見ただけであるが、目の前に端座している宝冠菩薩のなんとも言われぬ微笑は見る者をとらえて離さず、断じて負けてはいないと思った。作者の名前は分からない。この様な名も無き人たちこそ、無心で制作に励み優れた芸術作品を残すものである。長きにわたって人々に感銘を与え支持され伝わっている事こそが、その証なのだ。空海もこの仏像を見たに違いない。キリストの再来の事も承知している筈だ。どの様な思いで見たのであろうか。そう考えると、私はいったい何をしょうとしているのか、と心にある種の疑念が浮かんできた。もはや金銭が目的ではない。だが、世界的な秘宝発見の栄誉が欲しい為の行動でもなさそうだ。宝冠菩薩の前ではあらゆる欲得が無意味ではないのかと思えた。それほど鴻池の心を捉え、その懐に包み込まれてしまったのだ。しかし、良し悪しはともかくもう後には引けない処まで来ている。惣佐衛門は心を奮い立たせ、広隆寺を後にした。
翌日の夕方、高野山の宿坊である光玄寺を目指した。以前、鴻池たちが泊まった寺であり、合流する事になっていた。住職の知醒和尚に会うためである。
宿坊に向かう道すがら、数多くの寺院を過ぎた。信仰は持ったことはない惣佐衛門ではあったが、自然と厳かな気持になる。歳のせいかと思えたが、日本人たる由縁であろうかとも思えた。高野山には夥しい武将の墓がある。戦国時代を生きた証が高野山とは思えないが、乱世を生きた彼らの気持ちが、この太平洋戦争を体験した事と重なり、何となく分かるような気がした。だが、自分にはまだ歳若い娘や息子がいる。その為、もうひと踏ん張りせねばならないと、また気持ちを奮い立たせて宿坊の玄関の戸を開いた。
案内を乞うと、若い修行僧が出てきた。鴻池が事前に伝えていた周山であった。部屋に入り二人の顔を見た時、何か懐かしい友に会った様な不思議な錯覚を覚えた。聖地である高野山の時空を超えた神秘さの成せる業だと感じた。
「お疲れだったでしょう、お風呂が沸いておりますから、まずはゆるりと」と言う鴻池の勧められるままに、片桐の案内で風呂場に行き疲れを癒した。風呂は昔ながらの趣ある木造である。湯に浸かり目を閉じていると、何処からか微かに読経が聞こえてくる。じっと聞き入っていると、それは流れるような調べで心地よく身体の疲れが消えていくようだった。
部屋に戻り、三人で精進料理を食べた。肉や魚のない食事は戦時中以来である。不思議な旨さで、秘宝の件がなかったら、これだけで来た甲斐があったというものだ。京都の宝冠弥勒菩薩を拝観してから、惣佐衛門の内部で微妙な変化が生まれていた。さらに高野山に来て、それが増幅していた。ただ、それが何であるのか、本人もまだ分からない。
食事の後、三人は智醒和尚の部屋に向かった。鴻池が先に話を付けている。
挨拶の後、「秦氏の菩提寺である広隆寺にて、宝冠弥勒菩薩を拝観してきましたが、高野山慈尊院にも弥勒菩薩がありますね。これは大師様の母であられる阿刀氏が篤く信仰され由来された事と聞いております。ただ、大師様が入定されたおり(即身仏になること)、五十六億七千万年後弥勒菩薩と共に現れこの世を救済するといわれました。真言宗の御本尊は大日如来と聞いております。秦氏と弘法大師様とは特別な係わりがあるのでしょうか」と、惣佐衛門は率直な疑問を智醒和尚に問うた。また入滅したおり、荼毘(火葬する事)に付されたとの文献があるが、高野山の奥の院の伝承の事もあり、その言葉は注意深く避けた。高野山において弘法大師は生きていると信じられ、千百五十年近くの永きに渡り、一度も途切れることなく日々午前中二度食事が運ばれる。維那という役職の僧侶が代々空海の世話役である。御廟の様子は維那しか分からず、歴代において沈黙を守り続けていた。
「ほう、よくご承知ですな。そのことに関して、拙僧もこれまでいささか調べておりました。まさしく貴方のいわれる通り色々と深い関係がありましてな、強い影響を受けていたようです。また、財政的な支援の他にも何やら根が深い関係があるようです。ただ、それについては未だ拙僧にもしかとは分かりかねます」と、和尚は以前鴻池に語った事より、一歩踏み込み、同時にぼかしもしていた。
惣佐衛門と鴻池は同時に、それが秘宝に関してではないかと感じた。だが、和尚もそれ以上の事は確証も無く、代々の座主しか分からぬことだろうとも思った。ましてや、秘宝に係るという事は夢にも考えてはいないであろう。後は、差し障りのない高野山の歴史についての話に終始したが、和尚は修験道の金峯山寺や糸我稲荷神社とは殊更直接係わり無い、という立場をとっていた。しかしながら、惣佐衛門たちは、これまでの経緯から何やら底知れぬ深い闇の様な物の存在を感じていた


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