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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第16回   16
翌朝、二人は高野山を出発し、或る思惑を持って再び金峰山寺に向かった。
秦継手は役小角を危険人物とみて、山上ヶ岳にソロモンの秘宝を埋蔵することを断念したが、空海は少し違った考えを持っていたのではないだろうか。継手から百七十年後、空海が高野山を開く。当然ながら役小角は没しており、年代が違うのである。新たな金峯山寺の主と何らかの係り合いがあってもおかしくない。後年、聖宝が真言宗系の当山派の開祖になり、金峰山寺と強い繋がりを持つ。また、真言宗の本尊は大日如来である。しかしながら、高野山の慈尊院には弥勒菩薩像がある。弥勒菩薩は釈迦牟尼仏の次に仏陀になる事が約束された未来仏なのだ。空海が入滅する最期の言葉に、「五十六億七千万年後に弥勒菩薩とともに下生し衆正を救う」との言葉を残している。これこそが鍵で、京都太秦に秦氏の氏寺である京都最古の広隆寺があり、ここには二体の弥勒菩薩半跏像があるのだ。
その一体が通称宝冠弥勒と呼ばれ、右手を頬にあて思索のポーズを示している。印は親指と中指で輪を作っているが、これがキリスト教の父と子と精霊という三位一体を表しているのだ。つまり、景教において弥勒菩薩はキリストの再来像といわれている。事実、中央アジアの壁画に弥勒菩薩がキリストの再来図として描かれている。真言宗密教は景教と密接な関係があるといえるのだ。同様に修験道も景教の影響を受けている。或いは密教からの影響かもしれない。そうなると空海と修験道には何らかの繋がりがあるのではないのか、と鴻池は考えたのだ。出来れば現在の主導者に会って話をしたい。無論、何の伝手もない身にとっては出来ぬ相談である。が、今一度直に訪れ肌で何かを感じ取りたい、そう考えると、居ても立ってもいられなくなったのだ。
鴻池は再び本堂の蔵王権現三基の前に立った。日本独自の尊像であるが、異様な容姿である。見ている内に当寺の責任者に会いたいという思いが強くなった。
案内所に行き、祈祷を願い出た。午前十一時に護摩祈祷がおこなわれるという。
「私の負傷全快と以前に亡くなった知り合いのお方の祈祷でもよろしいでしょうか?」
「はい、よろしいです。この用紙に貴方と知り合いのお方の氏名をお書きください」
羽黒山の空山導師の名を記入した。係員がその名を確認した時、明らかに表情が変わった。やはりこの世界では相当な有名人の様である。これが鴻池の狙いであった。
「空山導師様とお知り合いでしたか、失礼しました」 態度も違ってきた。時間前に別室で控えていると係員が来て、特別に位の高い修験者が祈祷を執り行なうと言った。
「ついてはどの様な経緯で空山様とお知り合いになったのでしょうか?」
「小樽で奇怪な事件が起こり、通常な手段では解決することが出来ませんでした。それ故、伝手を頼って空山導師にお越しいただき、法力により魑魅魍魎の類を追い払っていただいたという次第です」
鴻池の話を聞いた係員が部屋を去り、少し経って戻ってくると、「護摩祈祷が終わりましたら、石墨管領様がお会いしたいとのことですが、よろしゅうございますか?」 「はい、かまいません」
管領とは当本山の最高位である。鴻池の思惑通りに事がはこびだした。
護摩祈祷とは護摩壇に火を点じ、火中に供物を投じ、さらに護摩木を投じて祈願する。
鴻池は立ち上がる炎を見、導師の祈祷の声をじっと聞き入った。そうしている内に、妖しげな世界に引きずり込まれていくようだった。思えば、磐乃の事件から十年近く経とうとしていた。その間、自分はその世界をあてもなく彷徨い漂っているだけにすぎない、その様な自戒の念を懐いた。
聞いている内に、白昼夢の中に入り込んでいたのか、横にいた片桐に促されて我に返った。
護摩祈祷は終わっていた。慌てて修験者に頭を下げたが、まだ半ば夢の中にいた。
石墨管領は空山導師と対照的に厳つく大柄な人であった。年は七十歳を幾つか超えていそうであるが、いかにも修験者たる風貌を備えていた。
「空山導師様のお知り合いだそうですが、どのようなことがあったのでしょうか、できればお聞かせ願いたい。私は不肖でありますが、導師様の弟子の一人と自負しております。以前、内容は書かれておりませんでしたが、小樽に行って来たと、葉書でお知らせくださいました。それだけのことで、わざわざ葉書を寄越されるとはかってないことであります。是非、お聞かせ願いたい」と、野太い声であったが丁重に頭を下げた。鴻池は空山が、管領に何かを示唆したいが為に、葉書を書いたのではないかと考えた。いずれ、今日の様な事があると、予測していたのかも知れない。最高機密は一人口伝のみ、という事であるが空山は特別な存在である為、秘密を知っていた可能性がある。
鴻池にとっても思わぬ展開であるが、包み隠さず話そうと決めた。
「十年程前、小樽に田宮惣佐衛門という実業家の二人の息子さんが、相次いで死ぬということがありました。その方に調査を依頼され、調べていくうちに江戸時代まで糸我稲荷神社の社家をしておりました羽倉家出身の羽倉磐乃という女性にいき付きました。この方は明治の末に気がふれ失踪しており、その後どうなったかは謎でした。そして……」
鴻池はその経緯を出来るだけ詳しく説明をした。磐乃がすでに死んでおり、惣佐衛門の家に亡霊となって住み付き、その前から住んでいた人々を苦しめたという怪奇な出来事に、石墨管領は疑いの目を向けることなく聞いていた。そして、空山が登場する段になると姿勢をあらためて正し、空山も同じ秦氏の出身である為、小樽に乗り込んだという事を自ら鴻池たちに話したところのくだりで、目を見開いたのであった。
「空山導師の法力をこの目で見た時は驚きというほかはありません。導師と磐乃との対決は私自身も幻想の世界に迷い込んだようでした。とても人間業とは思えません」
「さよう、それが出来るのは空山導師様だけです」
「糸我稲荷神社に来たのは、いろいろありましたが磐乃の供養のためと、羽倉家との係わりを知りたいとの田宮惣佐衛門氏の依頼があったからです」
管領はここで、空山の意図を察した。しばし深い沈黙に入った。
金峰山寺には千三百年余に渡る秘密の口伝がある。一つといえども、絶対に口外されることはない。
管領は迷っていた。大恩ある空山導師の想いを無碍に黙殺する事も出来ない。無論、空山もすべてを話せ、という事ではないのは分かっている。何か示唆する事を伝えてくれないか、という事だろうと考えていた。だが、それさえも重大な事なのだ。千三百年の禁を僅かであるが破ることになるのだ。
鴻池はじっと待った。石墨官僚の苦悩も分かっていた。どういう言葉が出てこようとも、ひたすら口を開くのを待った。やがて管領は言葉を選ぶように厳かにいった。
「弘法大師様と当山とは浅からぬ縁があり、糸我稲荷神社と係わりがあることも承知しています」
発せられた言葉はこれだけであったが、鴻池にとって十分であった。裏付けが取れたのである。
鴻池は石墨管領に深い謝意を示すと金峰山寺を辞した。管領は秘宝について、一言も話さない。磐乃が祭祀を司るレビ族の最後の伝道者である事を伝えた時、鴻池の意図を察したであろう。だが、あえて沈黙を守ったように思えた。それが精いっぱいの好意であったのであろう。後はこちら側に委ねたのかも知れないし、様子見をしているのかも知れない。いずれにしても空山の偉大さの御かげである。晴れやかな気分になり、帰路につく前に歌にも歌われている吉野の桜見物をする事にした。まだ蕾程度かも知れないが、それならそれも好し、私が開花させて見せようか、と浮かれていた。


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