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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第15回   15
 有田市は蜜柑の産地として有名である。春に芽が出て、五月に花が咲く。時期は、まだこれからである。石垣階段型の蜜柑畑に囲まれた道を進んだ。盤座への道は宮司から渡された地図を頼りに、分岐されている道でも何とか進んで行けた。行くほどに、山の奥深くまで蜜柑畑であった。さらに進むとようやく広場に出た。司祭場の様だ。そこにやや焦げ茶色掛かった薄黒い巨大な岩石があった。目指す盤座である。手前に小さな祠があり、柵で隔たれている盤座は縄で括られていた。側に本朝最初の稲荷神社の由来が書かれている掲示板があった。傍から見ると境内も盤座もどちらもうら寂しさを感じるであろう。秘宝の秘密を知らなければ、鴻池も同様の思いを懐いたであろうが、だが事実を知っている今は違う。心が震える思いで見入った。
 日本は自然崇拝の国である。由って、巨石の盤座は神聖で犯すべからずの存在なのだ。日本人の気質を知っていればこそ、この地に埋蔵を決めたのではないかと考え、秦氏の知恵の深さを感じた。
盤座の地にはソロモンの秘宝が埋蔵されているだろうが、盤座の何処かという問題が残る。秘伝書に書かれている通り、単純に考えればその下という事になる。しかし、巨大な岩石である。どの位の重さかは、鴻池には見当もつかない。それも、ごろりと岩全体が下まで剥き出しになっているのならば、或いは可能性があるかもしれない。だが、下側は地面にへばり付いており、どのくらい深く入りこんでいるのか分からない。よって、本当に盤座の下であろうか、という疑念を持たざるを得ない。
山岳信仰では大きな岩石が信仰の対象になる事があるが、修験道においても同じ盤座と書いて、いしぐら、と読ませ祭られているものがある。ただ、大抵はごろりとした岩石でさほど大きくはない。
羽倉家の残した秘伝書によると、相当な難工事だったと記されている。いかに空海といえども、唐から最新の土木技術を持ち帰ったとして、千百数十年前の話である。感覚的にこれだけの巨石の下を掘る工事は極めて危険で難しく、とても歯が立たないと考えざるをえない。鴻池は、或いはその近辺に埋蔵されているのかも知れないと思い、柵を乗り越え辺りを探ってみた。後ろは樹木で覆われている。しかし、そこに埋蔵されたとしたら難工事という事にはならない。そうなると不心得者による盗掘の可能性もあり、単に盤座の近くに埋蔵する事は危険である。絶対条件として盗掘されてはならないのだ。盤座の縦か横から穴を掘る、という事も考えられなくはない。だが、それも腑に落ちない。不敬ながら、思い切って盤座に上ってみることにした。片桐に見張りを頼み、上った。盤座の奥は一面木々が覆い繁り、さらに奥は蜜柑畑である。しばらく見ていたが、或ることに気が付いた。左側の土手が弧を描いているのである。丁度、盤座の大きさ、曲がり具合が一致している様なのだ。右手側はうねりはあるが、ほぼ平らな空間地帯である。
ーもしかしたら、盤座は元々すぐ後ろにあったのではないだろうか。前方にソロモンの秘宝を埋め、そこに盤座を引っ張りよせ、覆ったのではないのか。それならば、絶対に盗掘されることも無い。岩石が地面から剥き出しであったならば難工事であったとしても可能性があり、納得がいくし辻褄が合う。   鴻池は自分の考えに狂喜した。
すぐさま、片桐に盤座に上り、後方を何枚も写真を撮るように命じた。今度は鴻池が見張りに立った。その間、自分でも顔が赤くなっていくのが分かる程だ。答えを見付けたと確信した。
片桐は戻ってくると、「顔が赤いですね」と心配そうに言ったが、それほど興奮し続けたのだ。
「道々話します。高野山に向かいましょう」 鴻池は力強く言った。
道の途中で、有田市街が見える見晴らしの良い処があった。そこで、宿で作ってもらった握り飯をほおばった。 「お稲荷さんの御利益があったから、稲荷寿司の方が良かったかな」と、鴻池の上機嫌は続いた。話を聞いた片桐も、「酒があればもっと良いですね」と相槌をうった。二人とも、取らぬ狸の皮算用の山師の様な気になって、高野山へと陽光の中、辺路を歩いて行った。
高野山真言宗は金剛峯寺が総本山である。広大な領域を有し、宗教都市といってよい。子院が百十七有り、約半数が宿坊を兼ねている。すでに、今夜はその一つに宿泊を予約していた。夕刻前に着いたので、壇上伽藍など有名な建物を見聞した。黄昏の高野山の境内は、霊気を感じさせた。
「高野山は空海の大きくて強い意志を感じるようなところですね」と、片桐はいみじくも言った。鴻池も同感で、大きく頷いた。これだけのものを造り上げるには大変な財力がいる。やはり、秦氏が大きく貢献したのであろう、と考え、目に見えない強い絆で両者は繋がっている様だと感じた。
今宵泊まる光玄寺という宿坊は当然のことながら古い趣が漂う支院である。若い僧の取り次で和室に案内された。寛いでいると、同じ若い僧が来た。  「遠路小樽から来られたとか、よくお越し下されました。修行僧の周山と申します。今宵の部屋の係りでございます。何かあればなんなりと申しつけ下さい」 
言葉遣いや態度もいき届いていた。厨房係りや接客も修行の一環であるという事だ。そのまま食事の間へと案内された。広間には他に二組の年配の先客がいた。ちらほらと、生活に余裕が出てきた人たちもいるようだ。食事は有名な高野豆腐などの精進料理である。つい百二十年前までは仏教における宗教的な理由もあり、人々は豚や牛は食べなかった。自然と健康的な食習慣であったのだ。その代り、出汁などの味付けにはこだわりがある食文化が形成されていた。
どれもが旨かった。高野山では食事も人に精神的感銘を与えるようだ。
食事を終え部屋に帰ると、周山が布団を敷いているところだった。
布団を敷き終わるのを待ってから鴻池が、「高野山は弘法大師様が開いてから千百四十年ほどになりますが、何かいい伝えの様なものがありますか?」と尋ねた。
周山は、はて、という様な表情を見せた。
「私は古代史が好きで色々と研究している者ですが、大師様が唐に渡った時、景教(ユダヤ・キリスト教)が盛んだったと聞いています。渡来人である秦氏も景教徒であったようですね。大師様と秦氏とは特別な関係があるようですが、そういったことで何か伝聞の様なものが在りはしないかと思いまして」 「ああ、左様でございますか。残念ながら拙僧は此方へ来ましてまだ日が浅く、深くは分かりかねます。ただ、御住職の智醒和尚様なら造詣が深く、お答えが出来るかと」
「そうですか、もし御都合がよろしければ、お話しできたら幸いです。いえ、無理にとは申しません、御住職の御都合次第です。何卒よろしくお願いします」
「分かりました。折角小樽から御出でになったのですから、早速聞いてみましょう」と言って、周山は部屋を出て行った。
「会ってくれますかね」と片桐は言い、鴻池のさり気ないやり取りに感服したようだった。
「さあ、話好きなお方なら会ってくれるでしょうが、如何でしょう?」
ほどなくして周山は戻ってきて「お会いなされるようです、早速案内しますので参りましょう」と先導してくれた。住職はあっさりと承諾してくれたという。よく磨かれた渡り廊下を歩き、離れにある住職の部屋に導かれた。智醒和尚は七十歳前後で、好々爺とした印象であった。だが、鴻池は組み易し、と思ったが、相手側にそう感じさせない様に気を配った。空山の事を思い出していたからである。修業を重ねた人物は人の本質を見抜く力を持っている。誠心誠意を尽くすことが肝要だ。
「小樽から来られたとか、ご苦労さまです。古代史を研究なされていると聞きましたが、拙僧にお答えできることがあればなんなりと」 和尚は穏やかな口調の物言いである。
「ありがとうございます。では早速ながらお聞きします。大師様と渡来人である秦氏とは現代に伝わっている以上に深い関係があるのではないのかと思えてなりません。何故なら、景教徒である秦氏と、大師様も景教に影響を受けているようですから。当然、もともと稲荷神社はイエス・キリストを祭ったものである事を承知している筈と考えております。その事に関して記述されたものが在るでしょうか?」 「ほう、相当お詳しいようですな。大師様が直々に書かれたものはございません」
「ということは、他のどなたかが書かれたものはあるということでしょうか?」
「はい、弟子であった方の幾人かの書かれたものがあると聞いております。拙僧は見ておりません」
「では、いまひとつ。近くに役小角が開いた金峯山寺が本山の修験道が在りますが、これも景教の影響を受けていると聞いています。例えば、兜巾や法螺貝などがそうですね。また、護摩は密教と同じでありますから、高野山と行き来があったのでしょうか?」
「そのことに関して、昔はあったようですが、今はさほどありません。ただ、拙僧もひとつ気になることがありましてな。歴代の座主のみの口伝があると聞いております。内容は分かりませぬがどのようなものか」と、暗に何か有る事を示唆した。途端に、それだ、と鴻池は直感が働いた。ただ、このあたりが質問の限度だと、それ以上の追及は控えた。後は、差しさわりの無い高野山の歴史の質問に終始し、和尚も我が意を得たりと、喜々として答えてくれた。
深くお礼を言い部屋に戻ると、空海と金峯山寺側との間で何らかの接触があったのではないのかと、鴻池は色々と考えを巡らし、なかなか寝付けなかった。


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