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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第14回   14
「初めまして、北海道の小樽市からやってまいりました、鴻池といいます、こちらは片桐さん。私たちは在野でありますが、古代史や少々考古学を研究している者です。特に本邦初である糸我稲荷神社に関心があり、こうして教えを請いたく訪れた次第です。まず祈願が叶うよう、突然でありますが、祈祷を受けたく存じます。御都合は宜しいでしょうか?」と、鴻池は言葉を選び願い出た。
「おお、それは、それは遠路はるばるご苦労なことです。当方はいっこうに構いません」
早速本殿で祈祷を受けることになった。正式な装おいに着替えた宮司の声は案に反して張りがあった。その時、空山の事を思い出していた。好々爺然としていたが、ひとたび山伏の衣装を着ると、がらりと変わり目を見張ったからである。その空山も六年前に他界している。敗戦を見ることなく亡くなった事は、せめてもの救いであろう。ただ、つるさんは敗戦の二年後に亡くなっている。いまわの際に、「美しかった日本はどのようになるのでしょう」と、鴻池に訴えるように言った。それが最期の言葉になった。無念の思いが滲み出てくる様な言葉であった。
祈祷料は惣佐衛門と相談して多額の金を用意していた。宮司とのやり取りが最重要であるからだ。
また普段着に着替えた宮司は、心なしかにこやかである。別室で金額の過多を調べ、その多さに驚いたのかも知れない。
「私は富田といいまして、宮司としては七代目です。さあ、何なりとお聞きください。当方が知る限りお答えいたしましょう」
「では、前置きは省きまして、三柱鳥居についてお聞きします。此方には、かつて建てられておりましたでしょうか?」
「ほう、三柱鳥居のことを御存じとは、相当お詳しいようですな」と、宮司は心なしか態度を改めたようだ。田舎の古代史家と侮っていたのかも知れない。
「私も好きで、当神社の歴史については相当調べておりましたが、少々お待ちください」といって席を離れた。しばらくして数冊の和綴じの書物を抱えて戻って来た。
「江戸時代後期まで、確かにあったようです。紀州藩では神仏分離政策で、聖や山伏熊野比丘尼の活動の規制があり、その時、解体されたようですな。三柱鳥居を見慣れぬ不可解なものと恐れを持ったのかも知れません」 その言葉に、羽倉家の一族が北海道に渡って来た時期と重なるのではないであろうか、と考えた。身の危険が生じかねないほどの軋轢に、耐えかねなかったのであろう。       
「それから間もなくですな、我が家系が宮司として入って来たのは」
「それまでは社家の羽倉氏だったのですね」
「さすがに詳しいですな。今は伏見稲荷神社の社家をしております」と言ったが、磐乃とは別の羽倉の家系であるのは明らかである。その事を知っているのかどうかは、宮司の表情からは窺い知れなかった。 「どの辺りに建てられていたかは、確かなことは分かりかねますが、本殿の裏は樹木が覆い繁っておりますのでその近辺かと。ただ裏の敷地も大半は失われておりますので、どうでありましょうか」 「建てられていたとしたら、そこは平地でなければなりませんね」
「その通りです。ああ、そういえば私が子供の頃、裏側でよく遊んでいたものですが、一部、やや平らな処があった記憶がありますな。今の敷地内にあるとすれば、そこしか考えられません」
鴻池はその言葉に微かな望みを覚えた。いや、むしろその言葉こそ夢うつつで現れた磐乃が伝えたかった事ではなかろうか。その様に思い返すと、内心の感情が湧き上がってくるようだった。
「おや、如何されました」 宮司は鴻池の表情の変化を訝しがった。
「いえ、目指す物があるかもしれないと思うと、つい、興奮してしまいました」
「おお、そうでしたか。分かります、よく分かります。研究されておれば、つい、そうなります」
宮司は好ましい目で相槌を打った。まさか、秘宝である聖櫃の事であろうとは、夢にも思っていない様である。
「後で見させていただけないでしょうか?」 「どうぞ、ご存分に」
「此方に倉稲魂神が降臨したという盤座といわれている巨大な石があると聞いておりますが、どの辺りでしょうか?」
鴻池は場所を知らない振りして訊いた。あまり詳しすぎても、何らかの意図を持っているのではないのか、と疑われない為である。あくまで素人の古代史研究家としての立場をとり続ける必要がある。
「今は飛び地でありますが、高野山に向かう道沿いにあります。道は幾つか分岐しているので地図を書いて差し上げましょう。正式の呼び名は奥宮の盤座です。あの辺りでは一番高い処ですな」
宮司の言った、一番高い処、との言葉に鴻池の胸が躍った。空海は景教の事を承知しているから、旧約聖書の、どの峰よりも高くそびえる、という意味も知っているであろう。そうなればそれに準じて、埋蔵の場所に選んだのではないだろうか。
逸る気持ちを抑えて、「巨石は古代より信仰の対象になっていますが、盤座もそういうことですね」
「その通りです。神道の山岳信仰と結びついております。この国の宗教は解放的でありまして、人々も良いものはすべて受け入れる、それが良いところです」と、宮司は穏やかな笑い顔を見せた。
「後でお参りをさせていただきますが、石の周りを見させていただけますか。考古学的に少々興味がありまして。無論、掘ったりはしませんが」、といって鴻池も笑い掛けた。
「構いませんよ、存分に」 宮司もつられた様に承諾した。これが相手に疑心暗鬼を生じさせない肝心なところである。
その時、ふと気が付き、「参詣者が多かったとき、奉納された方も多かったでしょうね」
「ええ、それはもう。記録が残っていますから、見てみますか」
「ええ、お願いします。出来ますれば江戸時代前期のものを」
「宜しいですよ、区分けしておりますから」と言い、宮司はまた席を離れた。
「鴻池さんは随分と詳しいのですね」 初めて片桐が口を開いた。
「準備は怠りませんよ。片桐くんも宮司に尋ねることがあれば」 「いえ、ここはお任せします」
宮司はまた何冊かの和綴じの古文書を携え戻って来た。「では、拝見」と古めかしいページを捲り始めた。鴻池はある堪が働いていた。目指すは元禄以前の時代である。そして、寛永五年の項に、榊原采女筒持同心田宮又左衛門、金子一両寄進と書かれているのを見つけ出した。田宮家は代々又左衛門を襲名していた。
「寛永五年に田宮又左衛門が寄進したことが記されておりますが」
「ああ、それですか。寛永三年に将軍家光公が上洛されたおり、この時はここでまだ社家をしておりました羽倉さんの末娘が、京に手伝いに行きましてな。どう知り合ったのか分かりませんが田宮又左衛門に熱を上げまして、何だかんだの末に結婚したということで、その時のものです。社家と御家人ですから当時の羽倉さんも難儀なことであったでしょう。孫娘はお岩といい、有名な四谷怪談のモデルでしたから、私も調べてみて驚きました」
鴻池は惣佐衛門の家と磐乃の家とが繋がった、と思った。それにしても三百数十年を経て、怨念を果たしたことになる。お岩と磐乃は遠く血で繋がっているが、縁というには重たすぎ、お岩の恨み骨髄の思いを感じ、空恐ろしさを感じざるを得なかった。
後は、鴻池は剣山を見聞した事などを話し、宮司は規制する以前三箇村を所有しており、本殿も宏麗で神田も多く繁栄していたなどと、しきりに悔しがった。
 鴻池は宮司の言葉から、秘宝を維持管理する為にそれだけの財政的基盤の確保が必要だったのであろう、と考えた。鄙びた田舎ゆえ、小さな規模であれば荒れ果て朽ちてしまう可能性があるからだ。そうなれば秘宝を失ってしまう恐れもあり、絶対にあってはならない事なのだ。
二人は宮司自らのの案内を固辞し、裏手の小さな森に向かった。森といっても雑木林程度の規模だ。三柱鳥居が解体されてから百五十年程経っている。宮司の言った様に草木で覆われていたが幾分平らな処があった。磐乃が夢で掲示した通りであれば、この奥深く秘宝が眠っていることになる。鴻池は片手で持てる小さなスコップを取り出し、辺りを掘って比較してみた。素人目にも平らな処の土はやや新しいように思えた。さらに平地の辺りの樹木は小さく短かった。つまり、三柱鳥居の中心は神坐である。そこに石櫃が設置されている証拠ではないのか、ということになる。石材が樹木の育ちの妨げをするからである。以前、飯岡氏が話してくれた、群馬で発見された八世紀初頭の石櫃の中に、JNRI(ラテン語でINRIの事)と記された古銅券が発見された事を思い出していた。紀伊半島は降雨量が多いので湿気があり、単純に木箱などに納められているという事は考えづらい。まず、ここに間違いがないと確信した。片桐にさらに幾枚も写真を撮らせた。躍る心を抑えつつ、土を元に戻すと社務所に戻り宮司に別れを告げて、盤座に向かった。


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