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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第13回   13
 熊野三山とは熊野速玉大社を合わせた総称で、全国にある熊野神社の総本社である。熊野の地は、阿弥陀信仰により浄土と見なされ、古来より信者の参詣者が多かった。今は神仏分離政策で衰退していた。二人は其々の大社を回り参拝することにした。かの男はまだ付いてきている様だが、片桐だけが何度かちらりと認めていた。が、鴻池はそれを確認することが出来なかった。さり気なく振り向くと、さっと身を隠すようで、ことさら鴻池の眼に晒されるのを避けているかのようだ。その時片桐が言った、小柄な年配の男、という言葉に引っ掛かりを感じた。行方知れずになっている、天野社長を連想したのである。是非とも確認する必要がありそうだ。
 「片桐くん、その男の容姿を知りたい。何か上手い方法がないだろうか?」
 「分かりました、やってみましょう」と、片桐はあっさりと受合った。
熊野那智大社の那智の大滝に行ったなら、鴻池は木の陰に隠れてくれと指示された。大滝に着くと鴻池は素早く身を隠した。そこから窺っていると、片桐は紙を取り出し、仕切りに何かを書く仕草をした。時折、滝の上を望むようなこともする。大滝の上流は鬱蒼とした原始林が広がっており、その入り口でもある。此処で片桐の意図を察した鴻池はその後ろを注視した。そろそろ夕方の影が忍び込みだしていた。相手もそれに気が緩んだのか初めて鴻池の眼が捉えた。途端、予想していたとはいえ、あっ、と声を出しそうになった。男は天野社長だったのだ。どういう経緯があったか確証はないが、自然とアダムスの顔が浮かんだ。今の天野社長での単独行動は無理があると直感したからである。そこで鴻池は片桐の処に寄って行き、天野社長に見せつけるように何度も原生林の辺りを指差す演技をした。片桐は、「なかなかやりますね」、と笑いをかみ殺すようにして、小声で言ったことだった。
 二人は熊野三山を離れると近場の宿を取った。往時と違い衰退しているので、飛び込みでも容易に取れるのである。天野社長も他の宿を取っていることであろう。鴻池は男の正体を片桐に教えた。
「秋月さんの遺骨の引き取りを拒否した奴、ですね」 怒りの声であった。
「私もあまり人のことはいえないが、人間、貧すれば鈍するということだね」
鴻池の言葉に片桐も、「私も似たり寄ったりです……」と矛を納め、後は黙った。
 事業が破綻寸前になっていた天野社長の処へ、秋月の件でアダムス側から接触があっただろう。その時は、我、関せずで、無視をしたが、いよいよ倒産が時間の問題となった時、アダムスに秘宝の件で接触したのではないだろうか。彼も経営者の端くれである。アダムスの意図を察して、生活の為に売り込む事は考えられる。二人の利害が一致し、今日、天野社長が私の前に、姿を現したのであろう。鴻池はそこまで考えて、惣佐衛門と私が秘宝探索を諦めず続行すると踏んでいたとすれば、話を持ち込んだのは私であると、天野社長が我々に対して憎しみを抱いた可能性がある。逆切れであるが、人間の業に対峙せざるをえない状況を抱え込んだことになり、憂鬱になった。しかしながら、もう後には引けない。自分も人生の結論を出す覚悟である、来るなら来いと、気を奮い立たせた。
 翌早朝、天野社長を撹乱させる作戦に出た。二人は一旦熊野那智大社に向かい、原生林を調査する振りを見せ、鴻池は気付かれないように大辺路に出て糸我稲荷神社を目指す。片桐は天野社長を引き付け適当な処で撒き、熊野本宮大社に戻り、夕方、糸我稲荷神社で落ち合うという計画である。ただ、天野社長もアダムスに対して電報などで連絡を取っているはずだから、道行も細心の注意を払わなければならない。素人の天野社長では心もとないと考えているだろうからだ。すでに、鴻池の身分も知られていて、アダムスは二重三重の手配りをしているであろう事が予想される。
 鴻池は幾つかの馬車を捕まえては金をはずんで乗せてもらい左手に太平洋を望みながら海岸沿いの大辺路を行く。幸いにもアダムス側は、糸我稲荷神社の事はまだ感づいていないようで、怪しげな人影はないようにみえた。天野社長を撒くのに時間は取られるだろうが、若い片桐の足であるから同時間帯に落ち合えると予測していた。
 鴻池が糸我稲荷神社に着いた時は夕方をだいぶ過ぎていたが、春の時期ゆえ外はまだ明るい。その片桐が境内から、ひょっこりという様に姿を現した。幾分笑顔を見せていた。
 「早かったね。撒くのは簡単だった?」  「はい、素人相手ですから訳はありません。中返路を抜けて田辺市に出、そこから運よく急ぎの荷馬車があり乗せてもらいました。その代り馭者は余程急いでいるのか相当揺られましたが」と言って白い歯を見せた。
 「そうですか、何か楽しそうだね」  「久しぶりに昔に戻ったようで、面白かったです。奴さん、今頃大慌てでしょうね」と言うと、くすり、と笑った。
「ただ、相手にこちらの本意を知らしめたことになりますから、これからが正念場だね」
「はい、そうですね」と、途端に諜報機関仕込みの引き締まった顔になった。
 今宵の宿を探す前に、境内に入ってみた。社前鳥居の後ろに朱色の鳥居が四基連なっているだけで、本殿もこぢんまりとしていた。日本初にしては存外小さい稲荷神社だった。やはり、睨んだとおり、また羽倉家に代々伝わった古文書に書かれている様に、創建した目的は別にあったと思われた。
 宿泊は神社に近い或る古い宿を取り、近くの電話局で惣佐衛門に電報を打った。
 [天野社長、我々を付け回していました。撒きましたが、近辺、アダムスに用心されたし]
 それにしても、アダムスは黙って手をこまねいているような人間ではないことをあらためて肝に銘じた。あらゆる情報網を駆使して、我々を監視下に置こうとしているのである。言い換えれば、それだけアダムス側は手詰まり状態で焦りの様なものを持っているのであろう。
宿に帰り片桐と打ち合わせを終えると、一人風呂に入った。大辺路の行程は長く疲れが溜まっていたのだ。風呂に浸かりながら、これからのアアダムスとの駆け引きを考えた。相手は相当したたかである。戦勝国の立場を生かし、どの様な権力を行使するか予想が付かないのだ。それを跳ね返すだけの力をこちらも持たなければならない。どう知恵を働かすか、それに掛かっている。湯に浸かりながら、考え続けた。上がると、寝酒を注文し片桐と呑んだ。
 「片桐くん、仮に秘宝がアダムス側に渡ったとしょう。彼はアメリカ政府報告して、にすんなりと献上すると思うか、君の意見を聞きたい」
 唐突な鴻池の質問に、一瞬間を置いたが、「それは無いと考えます。秘宝はユダヤ民族の精神的主柱だからです。これまでユダヤ民族は何千年と迫害を受け続けて来ました。基本的にそれぞれが住む国に対して、信用していないだろうと考えます」
「ううむ、それではアメリカ政府、いや、進駐軍と軋轢が生じようと構わないということかね」
「ええ、何がなんでもそうするでしょう」
 「二年近く前、中東の故地にイスラエルを建国したが、イスラエルの特務機関が関わっている可能性があるね」 ここで鴻池の意図を察した片桐は、「そうすると秘宝探索に携わっていた連中は、その機関出身ではないかということですか?」  「うん、確証はないが、アダムスが進駐軍高官とはいえ、余りに行動が自由過ぎやしないか、と感じるものだから。アメリカ政府とイスラエル政府の間に何らかの密約が交わされているのであれば話は別だが、そう思えて仕方がないのだよ」
「そうなりますと、進駐軍高官の他に別な使命を持った顔があるということですね」
「そうなるね。アダムスは別の特殊任務を帯びた独立機関の長でもあるということだね。あるいは初めからGHQと無関係で秘密裏に動いているかもしれない」
「……。GHQも今は話だけですから傍観する振りをしていますが、実際、発見されたとなると対応も違ってくるでしょう」  「私もそう思う。GHQがどう出てくるかだ。マッカーサ―もしたたかで、だてに占領軍司令官を務めている訳ではないだろう」
「あるいは、今は知らぬ半兵衛を決め込んで、アダムスを泳がせている、という処ですかね」
「はっはっはっ、うまいことをいうね。ただ、アダムスもその辺の処は承知しているだろう。マッカーサ―に漁夫の利を与えるほど間抜けではない」 「なにか、頭が混沌としてきました」
「なーに、我々も間抜けにならないよう、気を引き締めていくだけだ。在りかを知っているのは我々だから、ずっと有利であることに変わりはない」と言いながら、アダムスとGHQの関係は、当たらずとも遠からず、であろうと考え、そのあたりに打開策があるかも知れないと、一人頷いた。
 翌日は疲れをいやすため遅めに起き、宿を出た。再び神社の前に立ち、社前鳥居を仰ぎ見た。本朝最初稲荷神社と書かれた額が掲げられている。境内に入ったが、閑散としていた。各所に朱の旗が掲げられていたが、かえってうら寂しい。樹齢五、六百年といわれる御神木の大楠が三本そびえ立っているのが目につくだけで、話に聞く往年の繁栄は見る影もない。調べた範囲では江戸時代の後期、紀州藩の規制から始まって明治政府による弾圧により、参詣者は激減し衰退した。かつては三ヵ村を賜るなど広大な敷地があったが主なものを失ってしまった。今では当神社と盤座がある飛び地のみである。社家も置かれず、一人の宮司がいるだけだ。片桐は彼の担当でもある写真機で周りを撮っている。
稲荷神社の総本社は伏見稲荷神社にその地位を奪われ、事実上ひとつの分社に過ぎない。唯一賑わいを見せるのは各地区の氏子が集まる秋の例祭のみといってよい。二人は拝礼したのち、本来の目的である社務所を訪れた。案内を乞うと、暫くして人の良さそうな白髪の宮司が姿を現した。


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