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作品名:秘宝の行方 作者:じゅんしろう

第1回   1
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羽倉磐乃の陰ともいえる妖艶な美しさに圧倒された鴻池庄太郎であったが、夜叉になり果てていた正体を現したとき、恐ろしさよりも、ある思いが過っていた。
 それは世阿弥が南北朝期に活躍し確立した、夢幻能といわれる亡霊や精霊が主役の能の世界である。
 一度、小樽に在る能楽堂で薪能の興行が模様されたことがあった。ある美しい少女が最後に恐ろしい鬼女の正体を現し、世の儚さを吐露するものである。
 焚火の炎が醸し出すぼんやりとした明かりの中、観戦している人々はいつしか幽玄の世界に魅入られ、舞台に引き込まれていた。
 鴻池もその一人であったが、だがその能舞台の体験よりも、幻想的な磐乃の登場の情景に圧倒されてしまったのである。出来るなら、もう一度会いたいと思い続けていた。
あれから八年が経っていた。悲惨な大混乱のうちに敗戦になったが、更に四年が過ぎ国の体制も徐々に戻り復興していった。惣佐衛門は五十歳を過ぎても旺盛な事業欲を発揮し、樺太航路は失ったが、戦後の混乱期に乗じまたまた海運事業で大成功を収めていた。
小樽にはほとんど空襲がなかった為、広大な屋敷は無事であった。
久子は二十歳の美しい娘盛りを迎えていた。伸吉は中学生にしては大人しいが、寂しい境遇であった為か、互いに感じるものがあるのだろう、久子と仲が良い。るいは、日陰の身分から晴れて正妻となった為か、かいがいしく惣佐衛門に尽くしていた。久子とも問題はない様だ。乳母の登美や作男の弥八は以前通りであったが、女中のふきが縁あって地方に嫁に行き、その分、以前のように多く訪れる来客の為、新たにゆき、はる、という女中を住み込みで雇っていた。
鴻池は五十歳近くになっている。大家の三島里枝とは相変わらずのやり取りを繰り返していた。小樽市に一度だけ、敗戦間際に小規模な空襲があった。北海道の他の軍事産業都市は大規模な被害を被っている。空襲警報が鳴り響く中で、お互い戦争の行方に不安になり、鴻池の薄暗い事務所で結ばれた事があった。里枝はこれを機に一緒になろうと思ったが、その後の鴻池の飄々とした態度にはぐらかされ、いつしか元の間柄に戻っていた。
鴻池は、無謀な戦争に打ちのめされ、立ち直れないでいたのだ。さらに、今の収入での結婚は無理であるという思いがあった。今の自身の状況では、せいぜい里枝の紐がいい処であろうし、自堕落な生活を送るであろう事は容易に想像がついた。それよりも今一度心を揺さぶるような、あの様な体験をしてみたかった。それで死んでもよいとさえ思うほどになっていた。有態にいえば、磐乃に恋い焦がれていたのである、凄惨ともいえる陰の妖艶な美しさに。
そんな或る日、久しぶりに惣佐衛門から電話があった。明日にでも屋敷に来てくれ、という事だった。
翌日、屋敷に行くと来客中であったが、惣佐衛門は久子の部屋へと目配せした。
鴻池は頻繁に屋敷に行く事を遠慮していたが、惣佐衛門は家族の一員として配慮していた。鴻池の活躍によって不可思議な出来事を解決し、久子にも奇跡のようなことが起こり、普通の娘として生まれ変わったのである。この喜びは親でなければ分からない。これに対して鴻池は、飄々とした態度は変わることがなかった。惣佐衛門はこれを徳とし、血は繋がっていないが、義兄弟とさえ思っていた。
久子の部屋に乳母である登美の姿はない。もう、世話をする必要がないのである。女中頭として、はる、ゆきの差配をしていた。
「あら、おじさま、お久しぶりです」 久子は読んでいた本を置くと、にっこりと微笑んだ。長い間、白痴の様な生活を送っていたにも拘らず、正気に戻ると驚異的に知能を回復したのである。高等女学校を卒業後、このような時間を過ごしていることが多い。白いワンピースが似合う、美しい深窓の令嬢そのものであった。神懸かりになっていた、当時のことを覚えているかは分からない。だが、鴻池にはどうしても磐乃の姿と重ね合わさった。そこへるいがお茶を携え入ってきた。 「いらっしゃいませ」と、るいもにこやかな笑顔である。経緯を惣佐衛門から聞いているのであろう、無事後妻に納まる事ができたのも鴻池の活躍のおかげである、と考えているようだ。るいが母屋に去った後、鴻池は裏庭に出てみた。三柱鳥居や稲荷神社が撤去された後は、弥八によって紫陽花が植えられている。蒼い花が今を盛りと咲き誇っていた。以前、招かれた時、酔い覚ましに裏庭に出てみたことがあった。月明かりに薄らと浮き出て見える紫陽花は、物悲しさのなかにも艶めかしい磐乃を連想させる蒼さである。今にも磐乃が現れてきそうな錯覚を覚えたほどだ。
「磐乃さん…」 年甲斐もなく鴻池は呟き、項垂れた。
惣佐衛門がやって来た。「いや、待たせてすまん。母屋へ行こう」 「はあ…」
惣佐衛門が鴻池に語った依頼は、思いがけないものであった。
惣佐衛門の会社では新潟、敦賀など北陸航路に展開しているが、自社を利用している或る会社の社長が持ち込んだ話という事だ。戦前、軍部では戦費調達の為、かねて噂のあるユダヤの秘宝が四国の剣山に埋蔵されている地域を密かに探索したということである。その発掘調査を共同で手掛けたいというのだ。
惣佐衛門は噂話として半信半疑以上に疑っているようだが、密かに今の鴻池の生活状態を見て活躍の場を与えようという温情が働いているようだ。剣山に埋蔵されているというのが、聖櫃(マナの壺、アロンの杖、モーゼの石板が納められている)か、ソロモンの秘宝かは分からない。当時、聖櫃やソロモンの秘宝の時価総額は八千億円といわれた。(現在では二百兆円程か)
詳細の説明はその社長が直々にするという。一瞬、鴻池はその社長が、山師か詐欺師ではないのかと疑った。今の時期、この手の男が多い。だが躊躇するよりも、それ以上に刺激が欲しかった。磐乃の事件で知った、日本最古の糸我稲荷神社を連想したのである。海を隔ててはいるが、四国から和歌山までは近い。磐乃に関係する事かとも考えられる。後日、惣佐衛門の会社で会うことになった。
当日、その社長は二人連れできた。若いほうの男は四十歳くらいであろうか、中肉中背の精悍な顔つきである。秋月秀一という名前で社員という事であるが、曖昧な紹介の仕方であった。天野と名乗った社長は五十歳代後半の丸顔の小太りで、満面笑みを欠かさない好人物の印象を人に与えた。小さな商社を経営しているという。だが、鴻池は長い探偵の経験から、このような人物こそ油断がならないことを知っている。ときおり会話のなかに見せる眉間にわずかに皺を寄せ苦渋を含んだ眼光が、その事を物語っていた。だが、話しぶりに人の良さを感じさせ、もともと悪人ではなさそうだ。多分、会社経営の資金繰りに行き詰っている、藁をも掴みたいのであろう、という見立てを持った。
社長は剣山の知識を披露しだした。
「剣山は四国の中心に位置し、標高一九五五米の霊峰であります。昔から修験者の修業の場でもありました。更に古代人が山頂付近や麓で生活を営んでおりましてな。湧水が豊富である為で、それが祖谷川の源流にもなります。そこへ別の民族がやってき来ましたが、失われた古代イスラエル族の一支族ではないでしょうか?たぶん、秦氏でありましょう」 前記の記述のあと、核心へと話が進む。が、鴻池には剣山のことは不案内のように、糸我稲荷神社関連の知識はないようだ。
ユダヤの失われた十氏族のうち、日本にたどり着いた秦氏が、ユダヤの秘宝を剣山に埋め隠した、というのである。山の山頂などには至る所に湧水が出ており、そのために山に牧場などがあって、人々が生活を営んでいた、ということだ。秦氏の一部族がそのまま住みつき秘宝を守り続けてきたが、現在は麓の三大秘境の一つといわれる祖谷山村などに住み、他は全国に散らばったという事である。今は伝承を残すのみで、当然ながら秘宝の在りかは不明であった。
「発掘されたなら、世紀の大発見でありますな。国家予算を軽く超える莫大な価値があるのは間違いなし。面白いでしょう、はっ、はっ、はっ」と、社長は自分の言葉に酔いしれたように笑い声を発した。
だが鴻池には、わずかに焦りが見て取れ、虚勢を張ったむなしい響きに感じられた。
「どうです、一緒に探索してみませんか?」と自信あり気に言ったが、単独で出来ない状況なのは透けて見えた。これでは惣佐衛門が一蹴する事が明らかだと、鴻池は内心苦笑した。だが、惣佐衛門の答えは予想に反していた。
「面白そうですな、ひとつ話に乗ってみましょう。ここにいる鴻池君は我が社の各種調査を担当しており相応しい」と、あっさりと言い承諾したのである。鴻池は思わず惣佐衛門の顔を見たくらいだ。 
途端に社長の顔が明るくなり、喜色に染まった。
「それは頼もしい、是非ご協力をお願いしたい。鴻池さん、よろしく」
鴻池は分かり易い性格の人だと思い、やはり悪人ではなさそうだとの印象を持った。惣佐衛門も長い事業経営の人物眼から、この社長に鴻池の判断と同様なものを感じたのであろう。ただ、相手側の経済的事情には目を瞑っていた。
「此方としても、具体的に詰めなければなりません。後日、連絡をします」
「それはもう、よろしくお願いします」
社長は喜んで帰ったが、連れの男は沈黙を守り、陰のある横顔を見せただけである。
「如何したのです、あのような話に乗って」
「面白いではないか、無論全面的に信じている分けではないが、ああいう話に乗るのも一興、刺激になる。それに磐乃の事件から、私なりに調べていたが、剣山の事は色々な文献に出てくる。あの社長の話も満更嘘ではない。問題は何処で仕入れてきたかだが、私の感では連れの男ではないのかと思う」
「戦前、軍部が探索に関与していたという噂話を小耳にしたことがありはしますが」
「そこなのだ。海軍が関与していれば、あの辺りは江田島や呉の軍港があった。剣山は手の内といえる。男は以前海軍に居て、その当事者かもしれない。つまり、ある程度は信憑性があるということだ」
「では、秋月という人は敗戦後、小樽に流れ着いた身の上になっても何故追い求めようとしているのでしょう。一攫千金狙いでしょうか?」
「天野社長はともかく私の感だが、あの男はそれだけではない様に思える。見果てぬ夢を追い求めるのは、男のロマンというものであろう」
「磐乃の事件が解決したとはいえ、私の中ではいまだ結着がついていないのだ。秘宝を探し当て、私も死んだ二人の息子の供養と無念を晴らしたいのだ」と、惣佐衛門は続けて言ったが、心に秘めた思いを吐露し、鴻池に決断を迫ったのである。
「分かりました。遣ってみましょう」 鴻池も惣佐衛門が言った言葉に、自分に対する活躍の場を今一度与えようという思いやりを感じ、後に引けないと決断した。
「私の知り合いに、在野の研究家で飯岡さんという方が居られました。三年前に亡くなられたおり、私の恩師である高瀬さんを通して、形見分けとして秦氏に関する研究書を戴きました。あの事件は片付いていましたので、ぱらぱらと捲る程度でしたが、出発するまでじっくりと読み込んでみようと思います」  「おお、それは良い。その後、私も読んでみたい」
その後、二人は遅くまで話し込み計画を練った


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