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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第9回   9
帰り道は裏道を通り、また彼女の求めで塩谷の休憩所で車を止めた。今は初夏であるので暖かく、窓を開けると潮の香りが漂ってきた。遠く幾艘もの漁火の灯りが見えていた。ロマンチックな光景であるが、二人の関係には無縁なことと自分に言い聞かせていた。
「打たせ湯でうつ伏せになって、腰と足の裏にあたって気持ちよかったわ。あれが良かったのね」と私を見ていった。
男湯にも同様にあり、二本のお湯が天井から落ちてくる。私もやってみていたが、腰のあたりに当てると、足裏には到底届かない。また、彼女の長い素脚を想像してしまった。
「なあに?私の裸を想像したでしょう」と、彼女はすぐに私の心を見透かした。
「いや、私も打たせ湯をしたが、全然足の長さが違うなと思ってさ」
「そんなこと。私は八田さんの人柄を視ています、その様なこと関係ないわ」
「ふふふ、そうですか、ありがとう」といい、私は車を発進させようとした。
「待つて、もう少しこうしていたい」といい私の手を押さえた。
「この前はごめんなさい、まだ前の彼氏の陰を引きずっていたの。八田さんの好意が心地いいから甘えっぱなしで。私こそ、ありがとう」というと、彼女は私を引きよせ唇を重ねてきた。甘美な口づけであった。ただ、この前のこともあり、私は内心どのような気持ちで、彼女は唇を合わせてきたのであろうかと慮った。だが、この状態は私が彼女に抱かれているようなものである。違和感を覚えながらも、甘美なそのことに夢中になって、つい応じてしまった。
長い抱擁の後、「また、前のように温泉に連れて行ってくださる?」と顔を間近に寄せ私の目を覗き込み、囁くように訊いてきた。
「友達としてかい?」 「いいえ、まだ私自身分からないけれど、少なくともそれは白紙。ひとりの男と女として、あらためてお願いしたいの」
控えめないい方ではあるが、有無をいわせぬものがあった。私は取り込まれたように頷いた。
「ああ、嬉しい」といいながら、私を胸元に引き寄せ抱きしめてきた。両頬に柔らかな膨らみを感じ、ほのかに石鹸の香りが匂う胸元に顔を埋めた。
このようにして私たちは温泉通いを続けることになった。それは余市町の温泉にとどまらず、共通の休日などはニセコやその周辺の温泉地を探索するように浸かりに行った。ただその間、家族などの私生活のことは一切口にしなかった。私もあれこれ詮索しなかった。さらに男と女の関係には至ることはなかった。まだ、彼女は傷が癒されておらず恋愛に臆病になっているのかもしれないと、私も敢えて求めなかった。
緑濃い夏になった。彼女の膝の状態もよほど良くなったようで、屈伸運動をして見せ屈託のない笑顔を見せた。そこにはときおり感じていた影のようなものはなく、軽やかなものだった。心身ともに回復しつつあるようだ。
そんな或る休日のことだった。またどこかの温泉に行く予定だったのであるが、早朝、彼女は慌てたようにあの婦美のコロポックル荘に連れて行ってほしいと電話してきた。女将と昨夜から連絡が取れないとのことだ。
私たちは山荘に向かった。車中、彼女は女将のことを本気で案じているようで、色々と不安を口にした。その話から分かったことであるが、亭主に先立たれて一人ぼっちで生きていかなければならぬ女将に対して、彼女自身を重ね合わせているようである。いささか思いれが強すぎると思ったが、敢えて黙っていることにした。
山荘に着くと女将の姿はなかった。だが玄関の戸は開いたので、私は問題ないと直感が働いた。館内を探し回る彼女を尻目に、私は新緑の空気を吸いに外に出た。
何処からか郭公の声が聞こえてきた。木々の間に小鳥が見え隠れしている。彼女の心配をよそに、私は清々しい気持ちであった。すると、ゴンドラのそばから荷物を抱えている女将が姿を現した。
「あら、八田さん」 「おじゃましています」
「ジョアンナさんと一緒?」 「はい、連絡が取れないと心配していましたよ」
「知り合いに不幸があってね」 「はあ、そうですか」
私たちが館内に入ると、「あ、おばちゃん」といいながら駆け寄ってきた。私は二人の会話には加わらず、二階の一番大きな部屋に入った。窓を開けると爽やかな風が入ってきた。静寂な見渡す限りの雑木林である。しばらくそれを楽しんでいたが、朝早かったこともあり窓を閉めると、畳に横になり目を瞑った。
どのくらい経ったであろうか、ふと影を感じた。目を開けると、彼女の顔が目の前にあった。
「あら、起きちゃったの」 「うん、どうしたの?」
「お昼まで時間があるから、神威岬に行きたいと思って」
「神威岬?」 「そう、神威岬。行ったことないの?」
「無い」 「私がナビゲーターするわ」
彼女が何をしようとしていたか分かっていたので、起き上がり離れようとする身体
に両手を廻した。彼女も意図を察したようで、じっと私を見た。私は片手をその髪に当て、ゆっくりと顔に引き寄せ、唇を合わせた。長い口づけであった。
「好き?」 彼女は顔を離すと、そういった。
「うん」 「私も。貴方は信頼できる人だから」 彼女はそういうと、また軽く唇を当て起き上がった


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