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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第7回   7
私は食事が用意できるまで館内を見て回った。玄関口の左手側の廊下を進むと左手は大きな男女別のトイレがあり、右手は浴室である。突き当りの階段を上ると二階はすべて客室であった。それぞれの部屋にはアイヌ語の名札が掲げられていた。一室に入ってみた。六畳の和室からは見渡す限り雑木林である。その先は日本海であろうが、見えなかった。ほかの部屋も同様の造りであるが、一室だけ家族用であろう大きな和室があった。私はまた窓から雑木林をぼんやりと見た。物音一つしない静けさである。そのとき不意に、誰かと一度泊まりに来ようかな、という思いが頭を過ぎった。そろそろ、また伴侶が欲しくなったのかな、と考えたが、相手が居るわけでもない。何となく下にいる彼女の顔を思い浮かべた。
 一階に下りてみると、食事の支度が出来ていた。多彩な品々がならんでいる。二人で向き合い食べ始めたが、まともな一緒の食事は初めてなことに気が付いた。男友達、女友達の関係であるが、少しどきりとした。
 食後、彼女は女将さんとよもやま話をし始めたが、随分親しげで尽きることがない。初めは、私も多少は参加したが、女同士の話になり沈黙せざるを得ない。すると、「八田さん、お風呂湧いているよ」と女将がいい、「地下水をくみ上げたのだけれど、鉄分が含まれていて、良いお風呂よ」と彼女がいった。要はあっちへ行っていて、ということである。私は風呂場に向かいながら女将のものいいに、私も友達の一人に組み込まれたのかと、内心苦笑した。
 風呂場は思ったより大きかった。鉄分が含まれているということで浴槽の湯は黒っぽい。浸かると少し温めであったがいい湯のようだ。のんびりと浸かりながら、二人の関係について考えた。お互い相応の年である。近頃、母親は私にそれとなく再婚の話を匂わすようになった。何となく、私の行動から女性の存在を感じているようだ。だが、彼女とはそのような関係では無い。彼女もそう思っていることは、肌で感じていた。実際、会話の中で以前の彼氏の話がよく出てくるのである。私を一人の男と意識しているならば絶対出ないであろう、からである。以前、私は戯れに、「どうして私と呑みたいの?」と訊いたことがある。すると、「あなたと居ると、ほっとするの」という答えが返ってきた。男としてではなく、人対人としての付き合いを望んでいるのである。前の彼氏との別れに相当傷ついているのであろう。その後は、前に何となく感じていた、人間観察に興味が転じているようだ。そこまで考えていたら、まあいいか、とひとり合点して風呂を出た。
 戻ると、まだ二人は話をしている。よく尽きないものだと、半ば感心するやら呆れるやらで、少し離れたところに座った。すると、それを待っていたかのように彼女は、風呂に入りに行った。内心、これから二時間半待たされるのかな、と覚悟をした。その間、私は外を散策することにした。出て左側のゴンドラのほうに行ってみた。乗車席は取り外されており、全面赤黒く錆び付いていた。かつての賑わいの残滓である。下をのぞき込むと道路が見えたから、車はぐるりと回り道してきたことになる。私は来た道を辿ってみることにした。しばらく行くと、右手下に池があった。朽ちた木が何本か横たわるようにあった。魚でも居るかと思い水辺に降りてみたが、その気配はなかった。寂しい風景である。なんとなくやるせない思いになり、引き返すことにした。と、その時であった。かっこー、かっこーと、遠くから鳴き声が聞こえてきた。私は郭公の鳴き声が大好きである。いかにも新緑の山間に来たという気分になり、嬉しくなるのだ。気分も良くなりまた引き返して、建物の反対側に行ってみた。小さな庭があり、そこからは雑木林である。中を歩いてみたいと思い、小道を探したが無いようだ。すると、小さくポンポンポンと音が聞こえてきた。初めは雑木林の何処からかと思い、耳を澄ましてみた。また聞こえてきたが、遠い音であった。その時、その正体は船のエンジン音であることに気が付いた。ここは高台だから、聞こえるのだ。私は海が見たいと思い、女将が見えたのでガラス戸を開け中に入っていった。
「女将さん、ここから海が見えるところはありますか?」
「屋根からなら見えるよ。二階のコタンの間から上がれるから」といい、更に以前某ラジオ局の某有名女性アナウンサーが上がって、ばかやろうと叫んでいたわよといった。私は早速二階に行き、その部屋に入った。壁側のガラス戸を開けると、沿うように屋根があった。私は滑らないように用心のため靴下を脱ぎ、上って行った。屋根の頂上に着くと、身体を反転しながら座った。日本海が目に飛び込んでくるような、明るく凪の大海原が一望できた。遠くに白いフエリー船が航行していた。石狩湾を出て新潟、或いは福井県の敦賀市に向かう船である。すると、またポンポンポンと軽やかで心地よいエンジン音が聞こえてきた。だが、漁船の姿は見えない、高台の陰に隠れて見えないのだ。それにしても気分が良くなる景色である。先ほど女将がいった、女性アナウンサーのばかやろうという言葉を思い出し、ひとり苦笑した。人間は何らかのストレスを抱えながら生きている。ここは息抜きにはもってこいの隠れ家であり、また来たいと思った。
 一階に戻ると、すでに彼女が風呂から上がっていた。一時間ほどで、ずいぶん早い。
 「早いね」 「温泉ではないから」といい、頭に巻き付けたカラフルなタオルを手で直す仕草が可愛らしかった。帰りの車の中で、「また、コロポックル荘に連れて行ってくれる?」というので、「ああ、いいよ」と私は快諾した。
 数日後のことである。彼女から電話があり、余市の温泉に連れて行ってくれ、という内容だったが、心なしか沈んだ声であった。早めに夕食を終え、彼女のマンション前に車を止めた。少し待たされた。ようやく表れたときは足を引きずっていた。
 「どうしたの?」 「仕事中に、また足を痛めてしまったの」
 「そうか…」 「もう、あの病院での務めは無理だわ」と、ため息をつくようにいった。私は何もいえず、黙って車を発進させた。彼女は終始無言であった。
 天流荘に着くと彼女は黙って風呂場に行った。彼女の今日の様子から、入浴時間は長くなるだろうと覚悟して、私も長めの入浴をした。入浴を終え休憩室で待っていると、予想に反していつもより早い時間で姿を現した。足は引きずってはおらず、表情も明るくなっている。
 「嬉しい。温泉に入ったら随分足が軽くなったわ」 「うん、その様だね」
 「何もかも八田さんのおかげね、ありがとう」と笑顔を見せた。 
 「いや、いいよ」といいながらも、私も彼女の笑顔を見て嬉しくなった。


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