国道五号線を走り、銭函から三三七号線に入り石狩川を越えて、通称オロロンラインを一路北上する。すると、増毛連山を右手に見ながら並行することになる。まだ、山々は白い雪ですっぽりと覆われている、という表現がぴったりで美しい。そこを過ぎると海岸線沿いを進み、厚田区望来という地区に入った時だった。丘から降下する様な地形であるが、まるで映画のワンシーンの中に自分が入り込んだような感覚になった。 「ここ、いつ来ても大好き!」と、彼女がいった。その言葉から、何度か彼氏と来ていたようだが、私も好きな女性が出来たら、一緒に来て見せたいと思ったほどのロケーションだった。浜益地区を過ぎ、昔、陸の孤島といわれた難所の雄冬を超えると、ようやく昼近くに増毛町に入った。だが、その時点で何のために増毛に来たいのか、彼女の目的は知らない。観光目的ではないようだということは分かっていたが、あえて訊かなかった。 小さな漁港で車を降りると、彼女はメモ用紙を取出し近くにいた六十前後の体格のいい漁師に近寄っていった。 「何だ!」 漁師は浜言葉で随分と荒っぽい。だが彼女は臆することなく漁師に近寄り、メモ用紙を見せながら何かを尋ねている。漁師は指で示しながら、彼女に教えているから、何処かの場所のようだ。 私といえば車の側でその様子を見ていたが、荒くれ漁師のような男がだんだん彼女に従順になっていくのが面白かった。彼女は現役の看護婦である。多くの患者に接していて、この手の男も手玉に取ることの術は身に付けているのであろう。 彼女は戻ってくると、どこそこに行ってくれといい、初めて以前患者だった女性に会いに来たことを話してくれた。退院したその後が気になっていたらしい。 その小さな家の前に着くと、彼女は私に車で待っていてといい、一人降りて家のチャイムを押した。すぐに六十過ぎらしい婦人がでてきた。 「あら、ジョアンナさん、よく来てくれたわね」と嬉しそうにいうのが聞こえた。 その後の会話は、ひそひそ話で何を話したのかは分からない。さほどの時間も係らず、あっさりと車に戻ってきた。私に、婦人の術後の経過も良いようで一安心したといったが、これで増毛町での用は済んだ訳である。私は内心、彼女は気にかかると夜も眠れぬ性格のようだと笑った。ただ、増毛町くんだりまで運転をさせ、男は女性に奉仕するのは当然というタイプかも知れないとも感じた。 帰路についたが、昼はとうに過ぎている。何処かで昼食を摂ろうと思いながら運転していると、「温泉に入ろう」と、突然彼女がいい、前方を指さした。見ると、左側の土手に夕陽荘という木造造りの建物があった。いわれるままに土手を上り、建物の中に入っていった。食堂もあったので、二人で蕎麦を食べた。そこで少し休憩をしていると、彼女は小さなバックから手拭いを取出し、「はい、これ」といって私に渡した。内心、本当に入るのか、と驚いたが、「ここから眺める夕陽がとても綺麗なの。だから、夕陽荘というのよ」と意にかえさない。いまだ別れた彼氏との思いを引きづっているのであろう。増毛に来た二番目の理由は分かったが、それに付き合わされるのは勘弁してもらいたいと思いつつ、入浴料を払い男湯に入った。 客は私一人だった。浴室からは日本海が一望できた。水平線に沈む夕陽は絶景であろうことは容易に想像できる眺めである。と、隣合わせの女湯から、浴槽を掻きまわす音が聞こえてきた。話し声は聞こえないから、客は彼女一人のようだ。温泉には二人だけが入っていることになる。混浴ではないが、ふと、彼女の裸身を想像してしまい、初めて彼女に女を感じた。後は何事もなく帰路についた。 その後仕事が忙しかったこともあり、夕月から足が遠のいていた。そんな或る夜、彼女から家に電話がかかってきた。 「ご飯食べた?」 「ええ、先ほど」 「お酒は呑んだ?」 「いや、まだ」 「ドライブに連れて行って」 「えっ、これから?」 「そう、これから。駄目?」 「駄目じゃないけれど、どうしたの?」 「どうしても、何か悲しくなって、一人で居たくない」 「そう、分かった」 私は指定された彼女のマンションに車を着けた。ほどなく現れた姿は、やはり素顔のままであるが、服装はジャジーという室内着であった。私に対して異性の意識は無いようで、これもある意味親密になったことの証であろうかと、内心苦笑いをした。 「何処に行きたいの」 「古平辺りがいい」 古平は積丹半島の中位に位置する漁港で、かつては鰊漁で栄えた町である。私は彼女の要求通り車を走らせた。車は塩谷からは海岸線沿いに走らせ、蘭島を抜け余市町に至る。そこは積丹半島の付け根で、そこから一本道で北上し古平町に入ることになる。その間、彼女はほとんど口を開かなかった。途中、自動販売機で買ったミルティを黙って飲んでいた。 私といえば、車を走らせながら積丹半島に行くのはどのくらい前であろうかと考えていた。いろいろ記憶を探ってみたが、余市町までの行程しか思い出せず、漸く小学生の時にバス旅行のこと思い出したのである。殺風景な景色のことしか頭に思い浮かばず、車のライトに照らされているだけの暗い夜道を、一抹の不安を覚えながら運転していた。それでも昔と違い道路事情は好くなっているので、思いのほか早く一時間ほどして古平に着いた。私は漁港に車を入れ止めた。窓を開けると、濃い潮騒の香りが入ってきた。夜半であったが、晩春のため寒くは無い。私はひとりで車を出て岸壁の縁に立った。更に潮の香りが強くなった。暗い石狩湾の対岸に漁火が幾つも灯っているのが見えた。何漁かは分からないが、この間二人でドライブをした増毛連山の辺りである。何となくロマンチックな気分になった。しばらくそうしていたが、彼女は来なかった。振り返ると、車の中にいた。少し離れていたので暗がりなので中の様子は分からない。近づくと俯いているのが見えた。私はそっとして置こうかと考えたが、傍に誰かがいて欲しいのであろうと思い車の中に入った。彼女は両手を膝の上に置き、すすり泣いていた。
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