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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第4回   4
トーテムという小さなバーに入ると、客は一組のカップルがカウンターに座っていた。室内は光を落とし気味で、静かな雰囲気である。当然、カラオケは無い。
マスターは六十年配で、白髪の髪を綺麗に整えている。口数も少なく、大人の重厚さを身に付けていた。ときおり語る言葉もウイットに富み面白い。通い始めて五年ほどになっていた。
私たちはカウンターから少し離れたテーブル席に向かい合わせに座った。いつも隣り合せであったから、正面から彼女の顔を見るのは初めてである。彫りが深く、瞳はやや青み掛かっていて鼻が高い。内心、ほうっ、と思った。私も日本人としては彫りが深い方であったが、彼女の輪郭は彫刻のようであり、日本人とは全然違っていた。彼女はやや細面で、ただ表情になんとなく険を感じた。だが、美人であることに変わりがない。そのとき、初めて異性を意識したといえよう。私はカクテルについて不案内であったので、メニュー表から名前だけは知っている、定番のマティーニを頼んだ。彼女もそれに倣った。
マティーニはジンにベルモットを加え、オリーブを添えたシンプルなものである。シンプルなものほど奥が深く、各バーテンダーにそれぞれこだわりを持っていて、カクテルの王様といわれる。二人で呑んでいると俄かに、夕月とは違う雰囲気になった。彼女は大人の女性の色気そのものを醸しだしていた。
ふと、彼女は如何して独身だったのだろう、という疑問を覚えた。私の好みは少し太めで愛嬌のある女性だ。したがって、彼女はその正反対であり、対象外といえる。だが、エキゾチックな雰囲気を持つ女性がすぐ目の前におり話を交わし合うと、惹かれることも事実である。男がほっておくはずもなく、彼氏の一人や二人、居たであろう。そのようなことを考えていたら、「なあに?」と彼女がいった。 「ううん?…」
「私のことを、何か考えていたでしょう。例えばどうして独り身だとか」と、核心をついてきた。私は咄嗟に、「御明察」と、笑いで誤魔化さず正直に答えた。この人はさり気なさを装いながら、私を注意深く観察していると感じたからである。といっても、私に関心があるということでなく、人それぞれの人間性に興味があるということを後で知ることになる。
「過去に彼氏は何人かいたわ。でも、皆に振られてしまったの」と、彼女はあっさりと告白をした。
「へえ、ジョアンナさんを振る男がいるの?」  「そう、いるの…」
彼女は少し顔を俯かせ、寂しそうな陰影を見て、私はそれ以上何もいわず、マティーニに口を付けた。
短い沈黙の後、「八田さん、御結婚は?」と彼女は気を取り直したように訊いてきた。
「一度結婚したけれど、五年前に別れた」 「どうして?」
「母と折り合いが悪くて」 「お嫁さんより、母親を取ったのね」
その言葉には、やや非難めいた響きが感じられたので、私が彼女をあらためて見なおすと、「ごめんなさい、立ち入ったことをいって」と、首をすくめる仕草をした。
嫁と姑の問題は太古の昔からである。別れた嫁は、「私とお義母さん、どちらを愛しているの!」と、私に迫ったことを思いだした。嫁に対する愛情と、母親に対する愛情は肉親という別物で意味が違う。そのような意味合いで答えたら、嫁は憤慨し、それが離婚の決定打になった。嫁を中心に考えろという要求であったので、私も嫁に対して醒めていき、引き留めはしなかった。この女性もそうなのかと思ったが、そのときはまだ彼女に対して特別な感情を懐いていた訳ではないので、それ以上の話はしなかった。その後会うたびトーテムに行き、日替わりで一杯の同じカクテルを呑むようになった。しかし、それはデートといえるものではなく、男女間の関係に進むことはなかった。進展といえば、彼女の姓名が藤枝ジョアンナということを知っただけだ。そのことから、父親が日本人で母親が白人だと思った。だが、家族のことは一切話すことはなかった。もう一つ気になることといえば、しきりに人としての格を上げたいと口にする。何らかの焦りを感じた。だが、本人自身は遊びや旅行が好きなようである。お金には代えられないといい矛盾があり、また、やや金銭感覚に難がありそうだ。
そうして年を越し、雪も解け春になった。
「今日はお願いがあるの」 「どんな?」
「うん、行きたいところがあって、車で連れていってほしい」 「何時?」 
「今度の日曜日の朝、増毛町まで」 「ううん…、いいよ」
再会してから、一年近くなっていた。恋人同士に発展はしていなかったが、男友達、女友達という間柄になっており、気さくな会話が交わされるようになっていた。会うのはいつも夜であり、いままで昼間会ったことはない。
小樽市からは石狩湾をへて対岸に遠く増毛連山を望むことができる。その切っ先から、さらに北上していくと増毛町に至るが、相当な距離である。承諾してから、一度も行ったことがないことに気づき、その距離を考え、帰りは夜になるな、と内心閉口した。
当日、彼女が住むマンション前まで車で迎えに行った。古いマンションのためか、入り口はガラスの引き戸になっていた。その中で、彼女は明るくカジュアルな服装で待っていて、夜に会っていた時とは別人のようであった。おまけに化粧はしておらず、素顔のままである。車中で、「休みの日はいつも化粧しないわ」といい、私との間柄を物語るものであり、内心可笑しかった。


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