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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第20回   20
「朝鮮人であろうとなかろうと、そのことは関係ない。貴女の出鱈目にうんざりしているだけだ。私は貴女のATMではないよ」 また貸せば、さらに貸してくれと言ってくるのは日を見るより明らかだった。
「それでも貸して欲しい。出なければ誰かの愛人か娼婦にでもならなければどうしょうもない」 「どういわれようと、貸せないよ」
「私は貴方に身体を与えた。その代償を返すか、付き合ってきた時間を返せ」と、訳の分からないことをいいだした。
「それでは売春婦ではないか、自分が何をいっているのか分かっているのか」
「それでも返せ!」 その言葉にあらためて彼女の顔を見た。半きちがいの目であった。少なからず恐怖を覚えたほどだ。
これ以上話し合いは無理だと思い、「金は貸せない、自分で何とかしろ!」というや伝票を握り、足早に店を出た。
聞き耳を立てていた店の従業員や客たちは、顛末に静まり返っていた。彼女は私に対して何か怒鳴っていたようであったが、流石に追ってはこなかった。
私は車を発進させながら、彼女とは完全にこれで終わりだと思い、あの喫茶店にはもういけないなと苦笑した。それにしても、喜怒哀楽の激しさは尋常ではない。あるいは鬱病に掛かっているのでないのかと疑った。前の彼氏のことで心が病んでいるのかも知れなかった。男女の仲になる前、ときおり、その彼氏のことを私に話すことがあったのである。それも、赤裸々に性の体験も話していた。普通の神経を持ち合わせてはいないようだと感じていた。私もその時点で付き合い方を考えなければいけなかった。高い代償を払ったことになる。
今後、そのような女に対して弱い態度は見せてはいけないと考えた。五十万で済むわけがない、さらに金を要求してくるであろう。巻き込み引きずり込みに掛かってくるのだ。
その間、自堕落な浪費家で在るあの女は、自身は遊びまわり無くなると金を無心してくる。罪悪感はないというか感覚が麻痺しており、底なし沼なのだ。
その夜、流石に穏やかな気持ちにはなれず、ウイスキーをロックで呑んでいた。春には再婚するが、随分と回り道をしたような気がした。彼女に対して精魂が尽き果てていた。悪夢を追い払い、穏やかな日々を取り返したいと心から願い、眠りについた。
数日後の夜のことだった。家のチャイムが鳴った。直感的に彼女だと思った。母に絶対顔を出さないよう念を押して、玄関の戸を開けた。果たして、彼女だった。神妙な顔をしていた。
「何しに来た。人の家まで押しかけてきて、どういうつもりだ」
「この間はすみません。明日までに返さなければ、家財道具など差し押さえられてしまうの。病院にも知られてしまうかもしれない。そうなれば小樽に居られなくなる。お願いです、お金を貸してください」
「断る!」 「お願い、このままでは狒々爺に身を売るか、自殺するしかないの、後生だから頼みます」
「駄目だ!」 私は余計なことは一切いわず、言下に否定した。
「ならば貴方のお母さんに合わせて、これまでの貴方との関係を話し、お願いしてみる」と、また訳の分からない事をいいだした。彼女の顔を見ると、表情が一変していて、目付きが変わっていた。狂っていると感じた。その狂気の表情に少なからず恐怖を覚えたが、ここが踏ん張りどころと考えた。
「私には如何する事も出来ないし、もう、しようとも思わない。悪いことはいわない、貴女のお母さんに相談しなさい」
「出来ることなら、とっくにしている。出来ないから、ここに来た」
「何故できない?」 彼女は一瞬目を瞑ると、呪文のように語りだした。
「私の母は、朝鮮戦争のとき、妊娠し私を生むと日本に渡り、大変な苦労をして私を育ててくれた。その恩に仇で返すような事は出来ない。また、その様な貧困の生活を送ってきたため金銭には大変厳しい。怒鳴られるのが落ちだ。助けてはくれない」
思いがけない事であるが時代的にも、私自身薄々感じていたこ事でもあった。つまり、アメリカ兵相手の売春婦の娘ではないのか、という疑問であった。そうであるのであれば、彼女の苦悩の一端を垣間見たような気がした。深い暗闇の中を漂い生きてきたのだ。自身の出生に絶望し奔放な生き方に身を任せてきたのだ。日本でも敗戦により同様な事があるだろう。戦争とはそのような悲劇が数多く起こるものだ。だが同情して気を許せば、巻き込み引きずりこんでくるであろう。私自身、奈落の底に落ちかねない。わが家を崩壊させる訳にはいかないのだ。
「しかし、今は再婚し暮らしには困らないのではないのか」
「私の家族を巻き込めというのか」と、怒気を含んだいい方になった。逆切れであった。今を凌ぐことが出来れば、なりふり構ってはいられないようだ。
「それならばいう。貴女は私の母親を巻き込もうとした。自身の責任であるのに、貴女の家は駄目で、私の家はどうなろうとも構わないというのか」と、静かに諭すようにいい聞かせた。
彼女は、はっ、としたように俯き、黙り込んだ。私はじっと待った。やがて、蒼ざめた顔を上げると正気に戻ったように、「分かったわ、もう頼まない」というと去って行った。
私は今度こそ、これで終わりだと、確信した。
居間に戻ると、母親が心配そうに寄ってきたが、「すべては終わった、心配はいりません」と答えると、「本当に?」と念を押してきたので、「本当です」というと、その言葉に安心したのかようやく笑顔になった。


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