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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第2回   2
それから十日ほど経ったある休日、私はそこに行ってみた。錦町というところにあり、私の住まいから車で十分ほどである。街の一角にあり、小さな店であった。外側は木を焦がした造りで、中では何人かが内装工事をしているのが見えた。すると、彼が長い木材を運びながら外に出てきた。
「やあ、来てくれとったけ」と、彼は人懐こい笑顔でいった。
彼はその木材をプロパンボンベに繋いだガスバーナーで、表面を焼き始めた。焦げ目を付け、趣を出そうとした訳である。すると心配顔の眼鏡を掛けた小柄な女性が店から現われ、「やだー、怖いから止めて」と言い出した。ごーっ、という音を立て青白い炎を出す、ガスバーナーに恐れを成しているらしい。
「大丈夫やけ」と、彼は取り合わない。後でその女性が細君と知った。
それが彼らとの付き合いの始まりだった。私は休日になると、メリーゴーランドという名の店に顔を出すようになった。喫茶店にはいろいろな人が集うが、彼の気さくな人柄のせいなのだろう、わいわいがやがやといった風な店だった。私の性格はどちらかといえば静かな質である。相反する人たちの会話ややり取りが面白く、常連となった。
後に小樽の運河保存運動が起こり、彼との付き合いから著名集めに駆りだされもした。この運動で小樽運河が全国的に認知され、観光地へと変貌していった。ただその間に私も結婚をし、父が亡くなり会社を切り盛りする立場になって、自然と疎遠になっていた。彼とは七、八年ぶりの再会であった。
「今日は何を狙っているのです」と声を掛けると、彼は振り向き、「おお、久しぶりやね、真鰯や」と、以前と変わらず屈託のない笑顔を見せた。訊くと、知り合いから真鰯が釣れていると聞き、飛んできたのだという。真鰯は体長が二十センチほどで体に七つの黒い斑点があり、その群れは港内を回遊する。そのときを釣り人はじっと待つのである。仕掛けは単純な擬餌針で、一度に三、四匹釣れることもあり、その引きの強さは釣り人にはたまらないのだ。彼は静かな凪の港内に二本の竿を垂れている。
そのときがくるまでの間の話によると、五年前に喫茶店を止め別な場所で、今は木工工芸の仕事をしているという。表札に鳥や魚を彫り込み、絵付けで装飾したものということだ。私もときおり他の家で見かけたことを思いだした。観光客に人気があり、なんども本州の百貨店などに出張していて、漸く自分の居場所を得たといった。彼はいろいろと模索を続け、自分の生きる道を見つけたのだ。私は親の家業を受け付いただけに過ぎない、と彼のバイタリテイーに羨望の念を懐いた。すると、「来たー」と彼が叫んだ。竿の先が弧をえがいてしなっていた。「このググッという引きが堪らんやけ」と、また岐阜弁を発して竿を引き上げようとする。すると、もう一本の方にも当たりが来て竿がしなり弧をえがいた。「頼むさけ」という彼の言葉に私も竿を引き揚げにかかった。強い当たりが腕に伝わってきた。吊り上げると、型の良い二匹の真鰯がぴちぴちと躍動していた。見ると、他の点在している釣り人も真鰯と格闘していた。この港内に真鰯が回遊してきたのだ。次々と襲来してくる真鰯の群れに私も一本の竿を任され、久しぶりに彼と楽しい時間を過ごした。
数日後の休日に、彼の工房を訪ねた。そこは船見坂といわれる急な坂道を登りきり、右折して少し行った高台にあった。二階建ての建物で、露出した鉄製の階段を上がると工房になっていた。室内は商品が展示されてあり、一組の若いカップルが見学していた。
彼は海に面した窓際で作業していたが、私が声を掛けると、「おう、来てくれたさけ」といい、「美佐子さん、八田君が来てくれさけ、コーヒー入れてくれ。一服するさけ」と、別室に声を掛けた。すぐに細君の美佐子さんが顔をだし、「あら、しばらく」といってキッチンの方に行った。彼は細君のことを、昔から美佐子さんと、さん、付けで呼ぶ。喋り方も、岐阜弁と小樽弁の混ざり合ったものになっていた。
「今日は姪の結婚祝いに、表札を贈ろうと思うので、来ました」
「やあ、ありがとう」
彼から商品の説明を受けていると、美佐子さんがコーヒーを運んで来た。
「八田君が表札を注文してくれたさけ」
「まあ、ありがとう」といって、にっこりと笑った。美佐子さんは北海道の恵庭市出身である。この夫婦は同じように小柄で、細面に眼鏡を掛けていて、似たもの夫婦だった。子供は小学生の女の子と男の子の二人だ。
二階にはベランダがあり、春先の暖かな日和だったので、そこに移り三人で飲んだ。
「それにしても見晴らしがいいですね」 
ベランダからは小樽市街が一望でき、港に停泊している船や、石狩湾とまだ山の頂に雪が残っている増毛連山が美しい姿を見せている。
「そやさけ、ここに移ったんだがね」
「大型フエリー船の行き来は、いつ見てもいいわ」 小樽港にはフエリー航路があった。
「以前、ジョアンナさんが来た時も、石狩湾を進むフエリー船が増毛連山の背景とマッチしていて、素敵といっとったやがね」
「ジョアンナさん?」
「八田さんも何度か顔を合わせていた女性よ」
「?…。そのような外国女性との記憶は無いなあ」
「ハーフの方で、すらりとしてエキゾチックな顔立ちの女性よ」
「?…」そのとき夕月で出会った女性の顔が脳裏を過ったが記憶が曖昧で、私は首を傾げざるをえなかった。
 その話はそれだけで終わり、昔話に話題が転じた後、店を辞した。


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