それから何事もなく日々が過ぎていった。夕月は勿論何処へも出かけず、仕事に没頭した。 その間、虫のいい話であるが母親に一度は断った見合いの話を、相手側に再考出来ないか打診をしてもらった。切れてはいたが、彼女は何をするか分からない処がある。早く身を固め、完全に係わりを絶ちたかった。 「付き合っていた人とはどうなったの?」 「きつい性格の女性で、神経をすり減らしてしまった」 「そう、それではお前には向いていないね」と、母はあっさりと答えた。 母はすぐに動き、相手側に打診してくれた。母が相手側にどのようなことをいったのかは分からぬが、意外にもあっさりと見合いをすることになった。 見合いは上手くいった。相手の女性は色白の少し太めで、穏やかな人柄のようだ。私は気に入り母に話を進めてもらった。母は嬉しそうに動き回り、とんとん拍子に話は進み、来春には結婚という手筈になった。 私も、これで穏やかな正月を迎えることが出来ると思った。松の内に簡素ながら、婚約の儀をすることになっている。 正月元旦夕方、これから一杯呑もうとした時、思いがけず、あの女から電話が掛かってきた。 「これから積丹のおばちゃんの所に友達と一緒に行きたいのだけれど、連れて行ってくれませんか。頼めるのは貴方しかいないの」と、か細い声である。 「冬の積丹?」 「そう…」 私は啞然となったが、訊いてみたいことが有り、切らずに会話を続けた。 「友達とは、あの親子か?」 「いえ、あの親子とは縁を切ったわ。子供に馬鹿にされるのは嫌だわ」 何があったのかは分からないが、察しがついた。 「どうしても行きたいの、お願い」 懇願口調である。 私はその時、友達をだしに使って、また金の無心ではないのかと、勘が働いた。この場合、何か理由を付けると、そこからつけ込まれる可能性がある。 「断る!」と強い口調でいい、電話を切った。 ウイスキーをロックで飲んでいると、また、電話が掛かってきた。 「すみません、どうしても行きたい」 「しつこい。すでに酒も飲んでいるから断る」といった瞬間、しまった、と思った。つけ入るすきを与えてしまったと考えたからだ。案の定、「お酒はまだ飲みはじめたばかりでしょう、少し醒ませば大丈夫よ」といってきた。 「ふざけるな、俺に飲酒運転をさせるきか!二度と電話を掛けてくるな」と,わざと乱暴にいい、電話を切った。 その言葉が効いたのか、その後電話は掛かってこなかった。 ただ、聞き耳を立てていた母がやり取りを心配し、「あの女かい?結婚も控えているし面倒は御免だよ」 「大丈夫、もう係わることはない」 「そうかい、それなら良いけれど」 正月七日に相手の親子夫婦がやってきて、正式に婚約をはたし、式は無事終えた。その間、彼女から電話が掛かってこないかと、内心穏やかではなかった。これで、すべてが上手くいくと思った。だが正月が終わり、仕事も再開して少し経ったときだった。会社に、彼女から電話が掛かってきたのである。 「どうしても会いたい。お願い!」 私はその切羽詰まった言葉から、金の無心だと確信した。ここで決着をつけなければならないと決心した。 「分かった、今、マンションか?」 「はい」 「十分後に行く」 「すみません」と答えた言葉に安堵の響きを感じた。 会えば、金を引き出せると甘く考えているようだった。 マンションに着くと、すでに入り口で待っていた。スーツ姿で化粧をしていた。彼女の覚悟のほどを理解したが、その虫の良さに腹も立った。私は運河問題で論争した後、観光地になっていた或る喫茶店に入った。ここでは、荒々しい声を出せないとの私なりの計算が合ったのである。 その隅の一角に座ったが、周りは観光客でいっぱいである。思惑通り、これで準備完了だと思った。 「それで要件はなに?」と、単刀直入に事務的な声で訊いた。 「じつは五十万、お金を貸してほしい」といい、また、という言葉はなかった。 「何の為に?」と、察してはいたができるだけ冷淡に訊いた。 「クレジット会社から、督促状が来たの」 「前回で解決したのではなかったの」 「いえ、嘘をついていました。今回は別の会社です」 「貴女はその間、飲みに行ったり旅行に行ったりして、遊びまわっていたね。私に借りた金や、別の会社の借金を返済するという考えはなかったの?」 「それは…」 「貴女は遊びまわり、切迫すると借金は私に返させようという。夫婦でもないのに生活を委ねている、恥を知るべきだね」と、突き放した。 「すみません。でも、知り合いの別の男性に頼んだら、また、エッチさせてくれたら貸すというのよ。どうしょうもなくなって」と、私のいい方に蒼ざめ、消え入りそうな声でいった。私を巻き込み引きずり込んでいく気だ、と感じた。 「両親に相談したらどうなの」 「そんなこと出来ない」 「何故?」 「絶対貸してはくれない、怒鳴られるのが落ちだわ」 「親子でしょう?」と冷淡にいうと、彼女は怒りの目で私を睨んだ。 「私を馬鹿にしているのね」 「どこが馬鹿にしているというのか」 「秋にジャガイモを実家に届けたとき、母に朝鮮の訛りがあったでしょう。母は再婚したの。貴方はそれについて何もいわなかった、嬉しかったわ。そう、私には日本人の血が流れていないの、朝鮮人よ。でも、いまのあなたのいい方は明らかに馬鹿にしている、許せない!」と人目も気にせず声を荒げた。逆切れであるというよりも、何がなんでも、屈服させようという計算が働いているのは明らかだった。他の観光客はこちらを見たが、縁を切るためにはここが正念場だと思った。
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