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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第17回   17
「私には到底払うことの出来ない大きな債務が生じました。知り合いの方に相談して、破産の手続きをしたの。でも、私自身の債務は申告しませんでした。」
 「えっ、どうして?」 「恥ずかしいから…。それが破産宣告をしてしまったばかりに、いっぺんに返済しろとクレジット会社からいってきたの」
 「また、その人に相談したらどうなの?」
 「いまさらそんなこと出来ないわ」 「う、むむ……」
 「ある知り合いの男の人に頼んでみたら、一度エッチさせてくれたら貸してやる、といわれたわ。でも、好きでもない人と、そんな事出来ない」
 私はその男に嫌悪感を覚えたが、彼女の訳のわからないプライドにも啞然としてしまった。同時に、夕月の女将がいったように浪費家で金銭感覚に問題があることをあらためて知った。そして、社会感覚にずれがあると感じた。自身は飲みに行ったり、旅行に行ったりしており、金がなくなると私に無心する。酷い女といえる。或いは前の彼氏とのことで、心に闇を抱えたからかもしれないとも想像できる。そうだとすれば、少しは同情も覚えないこともない。だが、言動の出鱈目と心に傷を負っている彼女に対して、私の中で拒否と同情心が揺れ動きだした。
 「返済は五十万円だけだね」 「ええ…。ただ、あまり時間がないの」
 「少し考えさせてくれ」そういうと、私は喫茶店の伝票を掴み、一人外に出た。
 帰路は不愉快な気分だった。日頃、自分を高めたいといっていたのに、やっていることは正反対である。遊びと浪費で、夕月の女将の危惧していた通りだった。
しかし孤独感に苛まされている彼女を突き放すことも憚られる。手を差し伸べようか、どうしょうかまんじりと思い悩む夜を過ごした。
 それでも翌朝、早く目が覚めた。布団の中で考えていたが、決めかねていた。
 結論からいえば断り、彼女と別れた方がいいに決まっていた。常識ある人に問えば、誰もがそう答えるだろう。だが、自分の奥底にある何かがそれを押し留めていた。彼女との情愛の日々がそうさせるのであろうか、とも思った。理性を超えた何かが私を支配し、女への未練となって縛りつけているのであろうかとも思った。
 ふと、谷崎純一郎の「痴人の愛」を思い出していた。これは、ある少女に魅入られてしまい破滅までを描いた耽美主義といわれる小説である。男女それぞれに非理性的な処があると知ってはいたが、自身にその様な気持ちが起こりつつあることに戸惑いを感じていた。五十万円で済むなら今の自分にはさほどでもない額である。だが、それで済むであろうかとの疑念もあった。ローン破産者は雪だるま式に膨らみ、幾つものローン会社に借り入れをしていると聞いている。彼女は五十万円だけといったが、本当であろうかとも思う。
 私は結論として、彼女からの連絡を待っことにした。そこで本当のことを正し、決めることにして、ようやく布団から出た。
 午前中、仕事をしていると彼女から電話が入った。
 「先ほどクレジット会社から、今日中に一括支払いが出来なければ法的処置をとると電話が入ったの、お願い助けて。病院には昼過ぎには入らなければならないの」という切迫したものであった。
 「分かった、三十分ほどでそちらに行く」 私はその時、真意はともかく貸そうと決断していた。話が本当ならそれで良し、違っていても、それならそれで手切れ金の積もりであった。私は急ぎ銀行で金を下ろし、マンションの前で車を止め、クラクションを一度鳴らした。すぐに彼女が降りてきた。運転席を開けてやると、上半身を入れるようにして顔を寄せてきた。
 「お金は用意した。ただ、確かめておきたい。これで解決するのだね」
 「はい、そうです」 「うん、分かった」といい、私は封筒に入った金を渡した。
 彼女はそれを受け取ると、額を私の額に当てじっと押し黙った。やがて、顔を離すと、「ありがとう、助かります」といい、一度頭を下げた。軽率な行為であろうと思うが、その時の私はみょうな充実感が湧いていたのである。世間で男と女の情痴事件は多々あるが、私もその一人に加わらないとはいい切れない。男女の仲とは不思議なものである。「ありがとうございました、これで救われました」といい、私の頬に唇を当てた。
 その行為に、こそばゆい気持ちになったが、悪い気持ちはしない。彼女もこれに懲りて浪費癖が収まると良いと思うだけだった。暫し、塩谷でのことも忘れた。
その夜、請われていつもの温泉に行った。
 天流荘での入浴も、彼女は思いのほか早かった。いつものすっぴん顔であったが、安心したのか、わずかに明るい表情である。女性の素顔も良いものだと思った。
 「ねえー、これから浩ちゃんと呼んでいい?」と、明るくいう。
 「別にいいけれど」 「本当、嬉しい!」と、屈託のない笑顔を見せた。
 中年といわれる私が、ちゃん、づけで呼ばれることに多少の照れくささがあったが、悪い気はしなかった。
 しかしそれは、後で金蔓を逃がさないための強かな彼女の行為であることを知る。そうやって生きてきたのであり、私がつくづく甘かった。
その帰り、車が小樽市街に入ったとき、「もう少しドライブしたいわ。朝里のダムまで」というので、そこに向かった。朝里ダムというのは市内の東側の郊外に有る朝里温泉の更に奥まった所にある。知り合いから、夜、ライトアップされて綺麗らしい、と聞いたので見たいのだという。
 ダムにつくと駐車場があり、何台かの車が止まっており人影も見えた。すると私たちを待っていたかのように、ダムの正面が赤や青や桃色の華やかな色彩にライトアップされた。
「綺麗!」 「うん、そうだね。こんなに鮮やかとは思いもしなかった」
私たちは車を降り、近くによって見入った。
「ロマンチックね」 私はその言葉に反応し彼女の手を握ると握り返してきて、「暖かくて優しい手ね」といい、「抱いて」と、せつない声でいった。私はその意味を理解し、途中道沿いに目にしていたラブホテルを思い浮かべた。
「明日の仕事は大丈夫?」 「ええ、夜勤だから。浩ちゃんと一緒にいたい」
 すぐ車を走らせ、そこに向かった。後で考えると、その時の私は何かに魅入られていたのかもしれない。
 官能的な夜を過ごし、初めてひとつになったと実感した。これで何もかもうまくいくと思い、母に見合いの件を断った。見合いをせかしていた母は失望した様子を見せたが、「その人、大丈夫かい?」と、まだ会ったこともない彼女の安否を不安げに訊いた。
 「うん、大丈夫」と、自分自身にいい聞かせるように断言した。


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