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作品名:積丹半島 作者:じゅんしろう

第11回   11
がらんとした浴室で一人湯に浸りながら、これでは経営は成り立たないであろう、と考えた。彼女が心配するのは無理もないと思っていたら、脱衣所の摺りガラスに人影が見えた。長身の背丈から彼女であることが分かる。何をしに来たのであろうと思っていたら、服を脱ぎだした。内心、えっ、と思ったが、私の目はそれに釘付けになった。一枚一枚ゆっくりと脱いでいく。すべてを脱ぎ終え、摺りガラス越しにおぼろげに浮かぶ裸体はじつにエロテックであった。戸が開き、彼女が入ってきた。私は慌てて目を伏せた。密やかに足音が近づいてくる。私の手前で止まった。
「湯加減はどう?」と、背中越しに囁くような声で訊いてきた。
「ちょうどいいよ」と、私も中年男の落ち着きを取り戻すべく、静かに答えた。
彼女は桶で湯船から湯を汲むと、静かに掛け湯をした。その湯の音が私の脳裏に響き渡った。そして湯船に入り身体を反転させ、私と向き合った。
女性と一緒の風呂は前妻以来である。前妻はやや太めのぽっちゃりとした体型であった。目の前の彼女はやや細面で見事なプロポーションの持ち主だ。彼女はそのことを十分意識をし、計算しているはずである。
「私をどうかしたい?」と蠱惑的な眼差しで挑発してきた。
私を誘い込み取り込みに掛かっているのだ。それが分かっていても抗いたいものがあった。私は猿臂を伸ばし彼女を引き寄せた。彼女は抗うことなく素直に従った。互いの肌と肌が触れ合あい、私は彼女の背中に両手を廻した。彼女は柔らかな両腕を私の首に絡ませ、じっと見つめてきた。
その眼は、覚悟出来ていますか、と問うているようだった。私はもう後戻りは出来ないと思った。その答えとして唇を重ね合わせた。彼女も強く反応し唇を強く押し付けてきた。長い口づけの後、彼女は微かに笑いかけると、さっと私から離れ、風呂から出た。
あっけにとられている私を尻目に、見事な後姿の裸身を見せて少し振り向き横顔を見せ、何かをつぶやくと脱衣所に向かって行った。
あとに残された私は、やや茫然としていた。彼女が何といったのかは分からない、謎めいた言動である。これまでに経験した女性の類でないことだけは確かだった。
風呂から上がり指定されていた灯りのない部屋に入ると、すでに布団が二組敷かれていた。別々の部屋と思っていたのだが、彼女の予定の行動であったのを知った。だが彼女の姿は見えない。ふと、野外に灯りを感じ、窓を見て目を見張った。
いつの間にか霧が立ち込めていて、下から幾つもの明るい灯りが霧を丸く照らしていたのである。エンジン音が聞こえたので漁船の漁火であろう。岸近くで漁をしているのであろうが、幻想的な情景であり、官能的でもあった。
私は引き付けられるようにベランダに出た。夜の冷気に身体が包まれたが、それを忘れさせるほどに魅了された。身体と霧が一体となる感覚に黙って見続けていたが、人の気配がした。浴衣姿の彼女だった。この情景に同様に魅せられたのであろう。
「素敵ね、このような景色初めて体験したわ」 「私もそうだ、素晴らしい」
彼女は私に寄り添ってきた。私は右手を彼女の腰に廻してさらに引き寄せた。
「貴方と来て良かった」 「うん、私もジョアンナさんに誘われて来て良かった」
私たちはそのまま抱擁しあい唇を重ね合わせた。神秘的な情景での抱擁である。私は興奮を覚え、彼女の手を取り室内に戻った。
彼女を組み敷き布団に横たえ、「先ほど、風呂場で何といったの?」と尋ねた。
「今日は排卵日よ、といったの」と彼女は答え、両手を私の首に絡め、また蠱惑的な眼差しで見つめてきた。
思わぬ言葉であった。看護婦故、その手の医学的な知識は豊富なはずである。今夜、彼女を抱けば妊娠の可能性が大きい訳だ。その覚悟はありますか、と問うているのだ。女の計算と打算を隠さず示しているのである。私は思わず、どきり、とした。だが、もはや魅惑的なその行為を止めることは出来なかった。
薄暗い部屋であったが、微かに漁火の灯りが入り込んでいる。妖しげで艶めかしい女の顔がそこにある。深い淵に入り込むような感覚に囚われながらも、私は身体を沈めていった。
翌朝、起きるとすでに彼女は横にいなかった。もう一組の布団は部屋の隅に畳まれていた。官能的な一夜を過ごした後、朝の陽の光は私を現実に引き戻していた。
「宴の後とはこの事だな」とつぶやき、暫しぼんやりと雑木林を見ていた。
一階に降りると彼女は朝餉の支度を手伝っていた。私を見とめると、「おはよう」といい、屈託のない笑顔を見せた。
早めの朝食を摂ると、すぐに車に乗り込んだが、彼女は女将さんに、「また時間が出来たら、また来るわね」といった。すでに主導権は自分が握っているかのような物いいである。
車を走らせ池の畔まで来ると、「止めて」という。いわれるままにすると、「昨日は本当に有難う。貴方のお蔭で心の氷が溶けだしたわ」といい、唇を求めてきた。抱擁の後、「おばちゃんにはああいったけれど、また連れてきてね、お願い」といった。私が黙って頷くと、「嬉しい」と弾けるような笑顔でいい、軽く口づけをして身体を離した。男を操る術と分かっていても本心の言葉の様でもあり、ボールはすでに私に渡され主導権を握られつつあると、内心苦笑いをした。


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