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作品名:大前田栄五郎の脇差 作者:じゅんしろう

最終回   6
また遊侠の心得として、下の者には目を掛けてやれ、上の者には対等に付き合え、そうすれば自然と世間からは重く見られるようになる、と言う有名な言葉がある。更に、喧嘩を売り物にしているのは馬鹿を看板に掛けているようなものだ。このように子分に対して日々言い聞かせ、腐心した。栄五郎は酷い霜焼けで足の指半分が無かった。これは久宮の丈八を斬って、美濃の合戸の政右衛門という人に身を寄せていた時の事だ。そこで事件になり、冬の木曽路を逃げた。素足に草履であったので、その時に足の指を無くした。これを佐渡に島送りになり、島ぬけした時になったという話があるが、これは作り話の類であろう。これを見過ごすほど、幕府もお人好しではない。また、栄五郎には女の浮いた話は聞いたこともなかった。妻女を持つと遊侠の斬った張ったで、切っ先の感が鈍るということらしいが、ある芸者が想いを寄せた。それには閉口し、無視した。あの人ほど女にそっけない人は二人と見たことが無い、と、芸者に言わせた話が残っている。
 後に跡目を継いだ阿久沢裕七こと二代目田楊吉は新島で自殺した幸松の一の子分である。本来その任にあらずという人物であったが、栄五郎の兄要吉の一字を貰い、幸松に対しての思いを知っている他の子分たちは泣いて喜んだという。
 要吉に対しての兄弟愛の話が残っている。要吉が親分衆の集まりなどがあるとき、ひよっこり表れぶらぶらと付いて行くのである。そのため、誰も盲目の要吉に手を出すものがいなかった。要吉が亡くなるとそのまま引き継ぎ、さらに勢力を広げた。
 明治元年九月、栄五郎、家業一切から隠居。
 隠居して上州大胡の向う屋敷に小さな居を構え、姪の高橋なか女と二人でささやかな饅頭や駄菓子を売って暮らした。裏に畑があり、鶏も五、六匹いたという。その住まいは橋の脇であった。子分たちは近くを長屋のように並び住んでいた。昔、橋の上は土地の遊侠の持ち場であった。したがって橋は持ち主がないから汚れやすくなるものだ。いつも綺麗にしておかなければならない、と子分たちにやかましく言った。朝夕、橋だけでなく周りの街道筋も丁寧に掃除をした。草鞋は田んぼに投げて肥料にし、馬糞は集めて置き、「ほら、お土産だよ」と百姓にやった。だが、近くに住む子分たちは大変である。毎朝陽の出ない中に掃除をしなければならないからだ。
 栄五郎は自分がそうだったように、子分が人を殺すのを嫌った。
 慶応四年二月に幕末の大混乱の時、落ち武者が女子や商家に乱暴狼藉を働くため、警護に当たらせた子分が侍を語る無頼漢を一人斬り殺し、他の四人の耳を切り落とし、雨の中へ放り出した。後でこれを聞き、「大胡の団兵衛、五代の玉五郎{栄五郎一家の十人衆}が揃っていて、偽侍を殺さなければならぬ程に怖かったのか」と、一家の柱と言われる者を大声で怒鳴りつけた。団兵衛は目に一丁字も無く、思慮に欠ける軽率な事もあり他の子分達の支持を得ることが出来なかった。後、三宅島に流され死亡。
 明治七年二月二十六日八十二歳、玩具の脇差を生涯離さず、姪の高橋なか女を初め、大勢の子分に看取られ畳の上で大往生を遂げた。
 
 
 
 
 
 
 
  
 

 



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