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作品名:大前田栄五郎の脇差 作者:じゅんしろう

第4回   4
そこで面白い事に、幸松が嫌いではなく、好きで二代目の後継者にしようと考えていた事である。ぴんと背筋が通った遊侠気質が可愛かった。二人の考え方は相反するが、人間の好き嫌いは情の問題で、人智を超えたところにあった。
 幸松は事件に巻き込まれたとき、捕り方の岡っ引きを斬ったので、市中引き回しの上、磔は免れないところであった。それを栄五郎から盃を貰っていた大前田一の子分、館林の江戸屋虎五郎という目明しで子分が二百人は居ようかという大親分が、陰から手を回し幸松の首が繋がった。栄五郎の幸松への強い思いを、知る人は知っていたのである。
 凶状持ちになり国を売った者は、商人や坊主に化けるなどして旅をしたもので、心の休まる日は無かった。映画のように、合羽絡げて三度笠ではないのである。世の中幕末で何かと騒がしくなってはいたが、庶民各層では、全国各地辻浦裏に捕り方の包囲網が出来上がっていた。幕藩体制はまだ揺ぎ無いものであった。凶状持ちは皆、目立たない格好をしていた。栄五郎は俳諧師の格好をして各地を逃げ回っていたという。遊侠の旅というのは常に敵の中に身を置いている覚悟がなければならない。五年も旅をしていると十年は寿命が縮まると言われている。更に、彼らは追っ手を躱す為足が速かった。遊侠は日に四十里といわれた。かの国定忠治は、胸に三度笠を当てて歩いても落ちることは無かったという話が伝わっている。栄五郎にも似たような話があり、舎弟分の宇吉というのがいるが大前田から大洞まで赤城越で十二、三里の行程があった。栄五郎を岡っ引きが嗅ぎまわっている話が彼方此方の子分から伝わってくると、夏の頃など晩飯を食べた後、「ちょいと出かけてくるよ」と言い、草履ばきで陽のあるうちに着いたという。栄五郎を捕らえれば男が上がり栄達の道が開けるのだ。このような野心を持つ岡っ引きも多くいたが、あれだけの大親分であるから命がけでもある。実際、栄五郎に縄を掛けたのがいたが、大騒ぎの擦ったもんだの末、子分に斬り殺されている。しかも、蛇の道は蛇で子分が多く、すぐこの様な事は事前に耳に入ってくる。だが、事あるごとに何年も逃げ回っていたが、七十近歳近くなっても逃げ回らなければならなかったのだ。いかに遊侠の大親分といえども、幕藩制度の前には手も足も出なかったのである。全国各地を逃げ回っていたとき、幸いにも尾張藩と深い係わりを持ち、家老に見込まれたという話が伝わっている。藩内の火消しや藩金の盗難などに手柄を立てた頃が、藩侯に感謝状をいただくほどで、追われる心配はなく一番安らぎを得たときであろう。だが、故郷恋しい気持ちには勝てず、ほどなく帰郷した。
      


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